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●ドサ回り●興行●勧進

2014年03月16日 15時37分49秒 | 色んな情報

●ドサ回り●興行●勧進
◆どさまわり  どさまはり  【どさ回り】
① 決まった劇場をもたず,もっぱら地方巡業をすること。また,その劇団。
② 盛り場などを歩き回る遊び人や与太者。地(じ)まわり。 〔「どさ」は地方・田舎の意,「さど」の倒語で,賭博の現行犯が佐渡に送られたことから,など諸説がある〕
 
◆どさ回り   実用日本語表現辞典
読み方:どさまわり
別表記:ドサ回り
地方の劇場を興行して回ること。固定的な劇場を持たず、地方巡業を行って転々としている劇団や芸能人を指す語。また、方々を転々とする遊び人などを指すこともある。
 
◆ドサ回り(ドサまわり)http://p.tl/-vM6 芸能人などが地方を巡業すること。
表舞台で華々しく活躍する一線級の芸能人ではなく、二線級以下の人々の活動を示すことが多い。
転じて、地方で営業活動を行う一般人をも指す言葉となった。
 
◆ちほうじゅんぎょう  【地方巡業】
各地を興行してまわること。ツアー。 「 -に出る」

 
◆こう ぎょう 【興行】
( 名 ) スル
① 入場料を取って芸能・スポーツなどの催しを行うこと。また,その催し。 「地方-」 「 -場(じよう)」 「 -主」
② 法会・芸能・連歌・俳諧などの儀式や会を催すこと,またその会。 「灌頂-せらるべき由/平家 3」
③ 盛んに行われること。 「頃年禅法の-世に喧しく/太平記 24」 → 興業(補説欄)
「興行」に似た言葉» 類語の一覧を見る演芸  芝居  見世物  ショー  ショービジネス
 
◆興行  歴史民俗用語辞典
読み方:コウギョウ
(1)仏事・芸能などを行うこと。
(2)寺社を創設すること。
 
◆興行(こうぎょう)http://p.tl/Jm9c
人間が表現する芸術の基盤を形成し、同時に大衆へ娯楽を提供する行為である。
具体的には見物人から入場料をとる代わりに演芸やスポーツを見せる事である。
「ショービジネス」と言葉としての意味は似ている。
 

 
◆かん じん ] 【勧進】
( 名 ) スル
① 仏の教えを説き,信仰に入らせること。仏教を説いてまわること。勧化(かんげ)。
② 寺社・仏像などの造立・修復のために寄付を集めること。勧化。
③ 出家の姿で物乞いをすること。また,その人。 「はやりうたを歌い-をすれども/浮世草子・胸算用 5」
 
◆勧進   歴史民俗用語辞典
読み方:カンジン
信者・有志者を勧誘して寺院の建立・修繕などの費用を奉納させること。
 
◆かんじん 【勧進】世界宗教用語大事典
勧化ともいい、人を勧めて仏道に入らせるのをいったが、中世以後、仏像・寺堂の造立や修理のため寄付を募ることにいい、またその人をもいった。その帳面を勧進帳という。昔は勧進目的のため歌舞伎・狂言・相撲その他の興業ものがあった。なお、行路病死者の屍体を蓋うため小枝を手向けたのを勧進柴とか、柴立て・柴供養などといった。→ 寄付
 
◆勧進(かんじん)http://p.tl/Qce6
仏教の僧侶が衆庶の救済のための布教活動の一環として行う行為の1つで勧化(かんげ)ともいう。
直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める者や寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求める者がいたが、中世以後には後者の行為を指すことが一般的となった。
 
◆勧進帳(かんじんちょう)http://p.tl/NWi2
如意の渡しでの出来事を基軸にした能の演目『安宅』をもとにした歌舞伎の演目。
歌舞伎十八番の一つで、松羽目物の先駆けとなった作品である。
 
◆勧進相撲  http://p.tl/w4F6
宮廷行事としての相撲節会は承安4年(1174年)に廃止されている。その後、相撲は武家社会に根づき、武士たちの屋敷で行われるようになった。

いっぽう、現在の大相撲は神社仏閣の再興や造営の費用を捻出するための江戸時代初期の勧進相撲(かんじんずもう)に端を発している。勧進相撲は、京都、大坂、江戸の三都を中心に開かれた。当時、各地に職業的な力士集団が生まれつつあり、勧進相撲に招かれては出場した。しかし、戦国時代の気風が抜けきれず、様々な問題を引き起こしたため、江戸幕府は慶安元年(1648年)に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。

貞享から元禄にかけて、勧進相撲の禁令は随時解かれていき、江戸でも1680年代に興行制限が大幅に緩和された。京都では元禄12年(1699年)に岡崎神社で再開されたという記録がのこり、大坂では、元禄15年(1702年)に現在の南堀江公園(大阪市西区南堀江)で再開されたとの記録がある。なお、おもな力士集団は、秋田、南部、津軽、仙台、大坂、京、尾張、紀伊、讃岐、播磨、因幡、長崎、肥後、薩摩にあったという。勧進相撲は、江戸相撲、京都相撲、大坂相撲の各々が独立した力士集団をもつのではなく、各国の力士集団が勧進元との契約によって招かれて相撲興行に参加するという形式[7]をとった。

やがて、寛保2年(1742年)に江戸で勧進興行のすべてにわたって解禁され、春は江戸、夏は京、秋は大坂、冬は江戸で「四季勧進相撲」を実施するという体制が確立していく。神社仏閣の再興などに資することがなくなっても「勧進相撲」の名称はのこったが、それは幕藩体制において寺社奉行の許可が必要だったためである。そして、1925年(大正14年)には東京、大阪の相撲集団が合流し大日本相撲協会(いまの日本相撲協会)へと発展する。形式的にではあるが、「勧進元」という呼称は1944年(昭和19年)まで残り、その名残として地方巡業の主催者のことを勧進元とよぶことが多い。
 

 
◆●大相撲の勧進 興行主・主催者  http://p.tl/ttqg
 
◆●相撲(すもう)● http://p.tl/i9Pk
◇・ 相撲甚句(すもうじんく) http://p.tl/wn5W ◇○大相撲の勧進 興行主・主催者 http://p.tl/ttqg ◇○勧進(かんじん) http://p.tl/_Hln ◇○むそう http://p.tl/cwJf
 
◆『●勧進(かんじん)』 http://amba.to/1fLHRz9


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