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●まり●手毬唄●数え歌

2012年12月02日 13時45分39秒 | 色んな情報
●まり●手毬唄●数え歌
★まり 【▼鋺/▼椀】
土や金属で作った酒や水を盛る器。もい。
「捧げたる―の水、溢(あ)れて腕(たぶさ)に凝りぬ/日本書紀(允恭訓)」
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・まり 【▼鞠/▼毬】
(1)スポーツや遊びに用いる球。ゴム・皮・布などで作り、よく弾む。ボール。
「―つき」
(2)「蹴鞠(けまり)」に同じ。
「さまあしけれど―もをかし/枕草子 215」
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・まり 【▽余】
(接尾)
〔「あまり」の「あ」の脱落した形〕数量を表す語に付いて、それよりいくらか多い意を表す。
「ななつぎの御代にまわへる百(ももち)―十の翁の舞ひ奉る/続後紀(承和一二)」
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・まり
(連語)
〔「まれ」の転。中世語〕…であろうと。…でも。多く「でまり」の形で用いられる。
「何と―立身せうと思うたこは物ぢやほどに/蒙求抄 5」

★手まり(てまり、手毬、手鞠) http://p.tl/oWC2
日本に古くからある遊具(おもちゃ)のひとつである。「新年」の季語。当初は、芯に糸を巻いただけの物であったが、16世紀末頃より、芯にぜんまい綿などを巻き弾性の高い球体を作り、それを美しい糸で幾何学的に巻いて作られるようになった[注 1]。ソフトボールよりやや大きく、ハンドボールよりやや小振りのものが多い。
婦人や女児が屋内外で下について遊んだ。室内ではひざまずいてつくこともある。江戸中期以後とりわけ流行し、特に正月の日の遊びとして好まれた。
明治の中期頃からゴムが安価になり、よく弾むゴムまりがおもちゃとして普及して、手でついたり(地面にバウンドさせて)あるいは、空中に打ち上げて遊ぶ。女児のおもちゃで、江戸から明治期には、正月の遊びとされるが、現在では通年の遊びとなっている。

★手鞠歌 http://p.tl/reRh(てまりうた 手まり歌、手まり唄、手毬歌、手毬唄などとも表記)
少女たちが手まりをつきながら歌った童歌、遊び歌の一種である。

★数え歌(かぞえうた) http://p.tl/36b0
歌の一種で、歌詞の各行(バース)の頭に数字を読み込んで、1 から順に数え上げて歌うもの。
民謡として、古くから伝えられているものも多い。言葉遊び的な要素もある。たとえば一をひとつと読むのを人にひっかけ、歌詞を紡いでいくような感じである。
日本では、古くは降神(神がかり)の儀式の際の呪言として用いられたと言われ、『古今和歌集』仮名序に「かぞへうた」、『倭儛歌譜』には「計歌」として記載されている。近世に入ると、和歌・神事祭文より、浄瑠璃・庶民歌謡まで幅広い分野で行われ、童歌としては手毬・御手玉・羽根突と組み合わされて発達した。
・著名な数え歌
  ・どちらにしようかな
  ・ちゅうちゅうたこかいな
  ・一番はじめは一の宮
  ・一かけ二かけ(明治時代成立)
  ・一列談判(イチレツランパン)(明治時代成立)
  ・よさほい節: 「ひとつとせ、一人娘と」で始まる、艶歌の一種。
  ・大漁節: 国際放送NHKワールド・ラジオ日本のインターバルシグナルに使われていることで知られる。

★『悪魔の手毬唄』http://p.tl/0yQJ(あくまのてまりうた)
推理作家・横溝正史が著した長編推理小説。およびそれを原作とした映画・テレビドラマ作品である。2009年1月までに映画2本、テレビドラマ5作品が制作されている。

★どちらにしようかな  http://p.tl/Tzpo
子供の数え歌の一種で、遊びの鬼ごっこの鬼など、主に何かを選んで決めるときに使われるもの。地方によってさまざまなバリエーションがある。
  ・いろいろなパターン  http://p.tl/e_yM
★どちらにしようかなに続く歌詞をおしえて! http://p.tl/7hlg http://p.tl/Jwac
★『どちらにしようかなの歌詞は?』調査 - ウィふり調査団|freeml byGMO 1.http://p.tl/eLV9 2.http://p.tl/so5e

★どれにしようかな? http://p.tl/qSAU
<歌>
    ・これは遊びではなく、なにかを決めるときの歌です。
     いろいろと集めてみましたのでまとめておきます。


★『ちゅうちゅうたこかいな』  http://p.tl/r7q4
2個単位で数を数える数え歌の1種である。
★由来には複数の説が存在する。 http://p.tl/DGmO
★ちゅうちゅうたこかいなの意味・語源・由来を解説
【意味】 ちゅうちゅうたこかいなとは、おはじき遊びなどで「二、四、六、八、一〇」と二つずつ数を数える代わりに唱える言葉。
【ちゅうちゅうたこかいなの語源・由来】
「ちゅう」は双六用語の「重二(ぢゅうに)」が変化した語といわれる。
「重二」は、2のゾロ目(賽の目が両方とも2の目)になることをいい、「4」を意味する。
その「ちゅう」を二度繰り返した「ちゅうちゅう」は「8」を表し、「8」から8本足のタコを連想し、「たこかいな(たこですか)」となったものである。
このことに加え、タコが吸いつく音を表した「ちゅう」や、「腕」の古語「かいな」が掛けられているという説もある。
また、「ちゅうじ(重二)ちゅうじ(重二)たこ(蛸)の加え」と言っていたものが訛り、「ちゅうちゅうたこかいな」になったとする説もある。

★ちゅう・ちゅう・たこかいな - Yahoo!知恵袋 http://p.tl/vmvY


★一番はじめは一の宮 http://p.tl/mzp7(いちばんはじめはいちのみや)
明治後期から昭和時代にかけて、全国で歌われていた手まり歌・お手玉歌のひとつである。
曲は明治時代に日本軍隊の指導のために来日したフランス人が作曲した軍歌「抜刀隊」のメロディーを借用したものであるが、リズムは手鞠歌によく見られるピョンコ節になっており、メロディーも歌いやすいように変えられていることがある。
歌詞は、口承による童歌のため、作詞者は未詳で、また、歌詞にいろいろなパターンがある。
一般に唄われていたものは、16行からなり、前半は数え歌形式で、この歌では、御利益のありそうな神社仏閣尽くしになっている。後の6行は打って変わって、徳富蘆花の小説「不如帰」をモチーフにしている。本来は10行目までで終わりになっていたのが、1908年(明治41年)前後から「不如帰」が劇として各地で上演されることが多くなったのを受け、舞台を鑑賞した年かさの女児が、後を付け足したものと思われる。
近年は作曲家信長貴富編曲による合唱曲としてしばし演奏されるようになった。《7つの子ども歌》所収、混声版と女声(同声)版がある。因みに曲名は「一番はじめは」となっている。


★不如帰 (小説)  http://p.tl/6_1X
『不如帰』(ほととぎす)は、明治31年(1898年)から32年(1899年)にかけて国民新聞に掲載された徳富蘆花の小説。のちに出版されてベストセラーとなった。
片岡中将の愛娘浪子は、実家の冷たい継母、横恋慕する千々岩、気むずかしい姑に苦しみながらも、海軍少尉川島武男男爵との幸福な結婚生活を送っていた。しかし武男が日清戦争へ出陣してしまった間に、浪子の結核を理由に離婚を強いられ、夫をしたいつつ死んでゆく。浪子の「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」は日本近代文学を代表する名セリフの一つとなった。 家庭内の新旧思想の対立と軋轢、伝染病に対する社会的な知識など当時の一般大衆の興趣に合致し、広く読者を得た。
作中人物にはモデルが存在する。しかしベストセラーとなったが故に、当時小説がそのまま真実と信じた民衆によって、モデルとなった人物に事実無根の風評被害があった。(詳細は作中人物のモデルの『不如帰』項を参照)。
後にはこれを原作とした映画や演劇などの演劇作品が数多く制作されている。


★「一かけ二かけて」わらべ歌《地方により、お手玉歌・手毬歌・手合せ歌など》 http://p.tl/CeSn
★必殺仕事人 (一かけ二かけて)  http://p.tl/gj3P

★わらべうた「一かけ二かけ」 ふるさとのことば  http://p.tl/7a8l
てあそびうた「一かけ二かけ」はふるさと鹿児島に歌いつがれてきた「わらべうた」のひとつで昔の遊びや生活の風景が偲ばれます。


★一列談判  http://p.tl/Nfs1
一列談判は1950年代頃までよく歌われていた東京の手まり歌。イチ、ニ、サ、シ…と各句の頭に数字を読み込んだ数え歌の形をとっている。「一列」は意味不明だが、「一月」(日露開戦直前の1904年1月に最後の交渉が決裂したことを指す。いちげつ。)の転訛とも、「日列」(=日本対列強)の転訛とも、交渉会場のテーブルが「一列」に並んでいるから、ともいう。

★よさほい節の歌詞  http://p.tl/6WTN
★ヨサホイ節 書生節 http://p.tl/rWra
★ヨサホイ節     http://p.tl/HqFV
有名なバレ歌「ヨサホイ節」について、歌詞のバリエーション情報がよせられました。

★大漁節 とは 世界大百科事典- コトバンク http://p.tl/leKJ
民謡の曲名。大漁の祝歌(いわいうた)で日本の沿岸各地に広く分布する。最も有名なのは千葉県銚子の《大漁節》で,イワシの豊漁でわいた1864年(元治1),大漁を記念して網元の網代久三郎,松本旭江,石毛利兵衛の3人が数え歌形式の歌詞を10番作り,常磐津の師匠の遊蝶が作曲した。一番の歌は〈一ツトセー,一番ずつに積みたてて,川口押し込む,大矢声,エーコノ大漁船〉で,終りの囃しことばを〈ああ大漁だね〉と歌うこともある。

★[ 銚子大漁節とは?]  http://p.tl/NJOd
 元治元年(1864年)の春、下総の国(千葉県)銚子沖にイワシの大群が押し寄せ、海の色が変わりました。浜方は大漁に次ぐ大漁が続き、銚子の港はイワシ、イワシ、イワシで埋まりました。この豊漁を祝うため、川口明神で大漁祭を催すことになり、飯貝根浦の網元 網代 久三郎 と飯沼浦の 松本 旭光 そして俳諧師の 石毛 利兵衛 の3人が松本家の離れ座敷「夏陰の庵」に集まって歌詞を合作し、常磐津師匠 遊 蝶 が作曲し、清元師匠 きん子 が振り付けしたものを、この祭礼で漁師達が歌い踊ったのが、銚子大漁節の起こりと云われています。

★春歌 - Wikipedia http://p.tl/k4qX
炭鉱節(元歌が春歌であった); 秋田音頭(元歌が春歌であった); ヨサホイ節(ヨサホイ 数え歌); おっぴょ節; ブンガチャ節 - ブガチャカ節とも。渋谷で流しをしていた北島三郎 のデビュー曲。発売後すぐに放送禁止になったが、これは渋谷界隈で流しが歌っていた

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