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「静かな秀才」のイメージは日本として大切にしていくべきであろう

2014年02月04日 21時29分49秒 | 色んな情報
「静かな秀才」のイメージは日本として大切にしていくべきであろう

973 :日出づる処の名無し:2012/02/03(金) 12:22:22.95 ID:JdYmnqrp
元国連職員から聞いたこんなエピソードがある。

国連総会においては、ときには瑣末でどうでもいいような議題が投票に
かかることがある。
こういうとき、利害関係も関心もない発展途上国は、賛成か反対かの
対応に悩む。なにし ろ本国からの訓令はなく、自分で決めようにも判断材料がない。
そういうときは、「とりあ えず日本と同じにしておけば安心」なので、日本が賛否を投じた直後に、一斉にそれと同 じ投票行動が続くのだという。

 つまり、日本外交は妙なところで信用があるらしい。日本人であれば、どんな事案であ っても一通りの事実関係は調べるだろうし、それなりの理屈を立てた上で賛否を決めるだ ろう。そこには一定の我田引水もあるだろうが、全体としてはけっして極端な意見ではな く、第三者が援用しても十分に通じる合理性があるはずだ。
加えてアメリカや中国の意見 に賛同するのはちょっと怖いが、日本の真似をする分には、後で恩に着せられる心配もあ るまい……おそらく、そんな計算が働いているのではないだろうか。

 しかし、「静かな秀才」のイメージは、日本として大切にして
いくべきであろう。こうし た評判が、日本や日本人にとってポジティブな意味を持つことは言うまでもないし、われ われの諸先輩たちが、長い月日を経て残してきた「見えざる資産」と言うべきものである。
さらに言えば、このイメージは日本人の「ありのままの姿」に近く、
目標として掲げるこ とにそれほど無理がない。
国際社会における「静かな秀才」は、けっして機転の効くタイプではなく、ときに「ツ ーリトル・ツーレイト」的な批判を受けることもある。
その一方、少なくとも口にしたこ とは必ず実行するし、威張ったり、大言壮語したりするタイプでもない。
こういった人物 がもし、われわれの周囲に実際にいたとすれば、存在感は強くなくとも、かならずや好感 度は高いということになるだろう。

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