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72年前日本は自存自衛の為にハワイ真珠湾を攻撃しました。

2013年12月08日 20時40分54秒 | 色んな情報
72年前日本は自存自衛の為にハワイ真珠湾を攻撃しました。

日本は、この12月8日こそ、日本人が大いに誇る日です。

日本とアジアの今日の繁栄は、日本が逃げずに戦ったこと、敗戦後に懸命に働いた先人方のおかげです。







昭和16(1941)年12月8日「大東亜戦争」が開戦となりました。
この日の未明、ハワイオアフ島の真珠湾にあった米海軍太平洋艦隊基地および、マレー半島への上陸作戦が開始されています。


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この戦争について、戦後のわたしたちの世代は、名称を「太平洋戦争(The Pacific War)」と教わりました。
現在、日本と米国では、その名称が使われています。
なるほど米国からみれば、この戦争はまさに太平洋で行われた戦争です。


けれど戦争には、英国や、オランダ、フランスなども参加しています。
彼らにとっての戦域は、太平洋ではありません。
とりわけ西欧では、太平洋戦争(Guerra del Pacífico、スペイン語)といえば、明治12(1879)年から明治17(1884)年にかけて、南米のボリビアとペルーが、チリとの間で行った戦争のことを指します。


従って昭和16(1941)年にはじまる極東地域での戦争のことも「太平洋戦争」というのでは、同じ名称が重なってしまいます。これではわかりずらい。



ですから英国では、この戦争のことを「対日戦争(War with Japan)」と呼んでいるし、その英国の歴史学者クリストファー・ソーンは、この戦争の戦域に東アジア、東南アジアだけでなく、西太平洋、オーストラリア、インドなども含まれることから「極東戦争」と呼ぶべきと提唱しています。


一方、中華民国や中華人民共和国では、この戦争を「中日戦争」と呼んでいます。
開戦始期も、昭和12年としています。


つまりわたしたち戦後世代は、この戦争を「太平洋戦争」と呼びますが、実は他にも「極東戦争」や「対日戦争」、「中日戦争」など、様々な呼び方があるわけです。


名称の問題は大切です。
なぜならそれは、その戦争が、何を意味するかを明確に規定するからです。


そのわが国では、実は「太平洋戦争」という正式名称は存在しません。
この名称は、戦後に日本にやってきたGHQが、占領統治時代の「検閲」によって「事実上定着」させただけのもので、法的には、いまも昔も「大東亜戦争」です。


というのは、「大東亜戦争」という名称は、開戦後まもなくの12月12日に内閣で閣議決定された名称だからです。
そして実は、翌昭和17年2月17日には、法で定められていた「支那事変」の呼称も、「大東亜戦争」に含めると閣議決定されています。
いまにいたるまで、これを修正する閣議決定も法律も定められていません。
ということは、わが国における正式名称は、いまもなお、実は「大東亜戦争」のままなのです。
遵法精神があるならば、「大東亜戦争」と呼ぶのがわが国国民としてふさわしいことです。


それに、太平洋戦争と呼ぶと、東アジア地域での戦争の説明がつかなくなります。
マレー半島は太平洋ではないし、満蒙や支那での戦いも、戦域から外れてしまいます。


それにそもそも「太平洋戦争」と呼ぶから、支那事変との戦争の一体性が切れてしまい、支那事変と太平洋戦争がまるで別々な事案のような印象になってしまうわけです。
昭和12(1937)年にはじまる支那事変は、昭和20年まで戦闘状態が継続していたわけですから、本来これもふくめて「大東亜戦争」と呼ぶという閣議決定が、正しい呼び方です。


さきほど、昭和16年12月12日に「定められた」と申し上げました。
では、12月8日の開戦当時には、この戦争が何と呼ばれていたかと言うと、「対米英蘭蒋戦争」です。
ですから、真珠湾攻撃やマレー攻撃のとき、呼び方は、報道用語として「対米英蘭蒋戦争」だったわけです。
もう少し詰めて「対米英蘭戦争」という呼び方もされています。


では、それがなぜ「大東亜戦争」という名になったかというと、理由は3つあります。
1 この戦争が「対米英蘭戦争」というだけでなく、支那事変も含めた戦争である。
2 大東亜新秩序建設を目的とする戦争である。
3 戦争地域が単に東亜のみを限定したものでなく、アジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものである。
というものです。


大東亜戦争を、「日本の軍部による侵略戦争」だったという人がいます。
最近の学校などでは、そのように教えているし、教科書にも、そのように記述しているものがあります。


けれど、少し考えたら誰にでもわかることだけれど、戦争は軍が「勝手」に行うものではありません。
戦争は、国家が国家の意思として国と国とで行うものです。
軍は国の命令によって動きます。
勝手な暴走などできるものではないし、暴走があれば、すぐに鎮圧部隊が出動して、関係者は軍法会議によって処断されます。あたりまえのことです。


「日本による侵略戦争」という言葉も、不適切です。
日本が戦った相手国は、どこの国でしょうか。
日本はアメリカもイギリスも、一度も侵略していません。


ハワイは、開戦当時は、米国の州ではありません。
ハワイが米国の50番めの州になったのは、昭和34(1959)年8月21日のことです。
開戦当時のハワイは米国が力によって強引にハワイ王室を廃絶させた自治領でしたが、人口の半分は日本人でした。
そのハワイ、オアフ島に、米国は海軍基地を作りましたが、日本が行った攻撃は、その海軍基地に対してだけのものです。
もし、日本によるハワイ攻撃が侵略とするなら、米欄によるラバウル攻撃も、侵略です。


そもそも、です。
江戸時代の終わり頃、欧米列強は地球の陸地の35%を支配していました。
その欧米支配の脅威に対して、国論をまっ二つにしながらも、多くの血まで流して国をまとめ、統一的近代国家を形成するために大変革を行ったのが明治維新です。
日本は、明治維新を無事になしとげたからこそ、その後の近代化が起こったし、その日本が立ち上がったからこそ、世界から植民地支配が一掃されるという動きになったというのは、歴史が示す通りです。


ところが第一次世界大戦が始まるころには、欧米の支配地域は約84%にまで拡大していました。
その第一次世界大戦に勝利した日本は、大戦の戦後処理を行うパリ講和会議で、国際連盟の結成に際し、その連盟憲章の第一条に「人種の平等」を入れるべし、と提案しました。
世界にむけて人種の平等を高らかに謳い上げたのです。
この時代、そんなことを言い出したのは、日本だけです。


この提案は、は米英によって拒否されるけれど、この時点で間違いなく日本は、世界の被支配諸国の民衆にとっての大きな希望となっていたのです。


そしてこのことは、同時に日本が、明らかな植民地支配国からみた敵国となったことを意味しました。
方や世界の84%を支配する大国群です。
方やまだまだ貧しい国でしかなかった東亜の一国です。
日本は、全身血まみれになりながらも、必死の戦いをしました。
その結果、世界から植民地が一掃され、それだけでなく、日本という国も民族もしっかりと保持されました。
それが大東亜戦争であり、その結果です。


戦後のわたしたちは、ながく豊かで平和な生活を維持することができました。
世界の先進諸国のなかで、戦後68年間、戦争をまったく経験しなかった国は、日本だけです。
それがなぜ可能だったのかといえば、その理由は、昭和16(1941)年9月6日の御前会議の際の永野修身海軍軍令部総長の言葉にあります。


政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。
すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である。


(現代語訳)
アメリカの主張に屈服するというのは、日本が亡国の憂き目に遭うということです。
しかし、戦うのもまた、亡国であるかも知れません。
戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。
けれど、戦わずに国が滅びるというのは、日本民族が、身も心も永遠に国を失うことになります。
もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても、祖国を護るという日本精神が残ります。
そうすれば、私たちの子孫は、必ず再起し、あるいは三起する。
統帥部としては、もとよりあくまでも外交交渉によって平和的解決を望んでいます。
けれどもし、不幸にして開戦と決し、陛下の大命が発せられるようなことになるなら、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟でございます。


日本は、まさに勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦いました。
いくたびの玉砕戦では、傷ついた体に蛆がわき、食べるものさえない中で、身を敵に晒し、果敢に戦い抜きました。
それは、祖国を守るため、後世の日本に生きる、いまを行きているわたしたちのためです。
そのおかげで、わたしたちは、戦後の平和な生活を享受できました。


こうして日本は、世界の植民地秩序をぶち壊し、そして戦後はいちはやく祖国の復興を遂げ、アジアへの技術援助、経済援助を行い、アジアに工業生産がはじまると、それをどんどん買い上げて、お金がどんどんその地にはいるようにしました。
日本が商品が買い上げてお金が落ちることで、独立したばかりのアジアの諸国の近代化は、さらに拍車がかかりました。
これによって、非欧米世界は、いちはやく近代化を実現し、工業化が順調に軌道に乗って行きました。


わたしたちは、いまの平和を享受するあまり、歴史が順調に推移したと思いがちです。
何か安全なレールの上を順調に走って来たかのように誤解しています。
けれどそこには、実は様々な試行錯誤があり、その中で、勇気をふるって決断をし、汗を流し、血を流して、時代を切り開いてくださった先輩たちがいてくださった。
わたしたちは、そのことを忘れたり、見落としたりしてはならないと思うのです。
 
 
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第5回「日本は植民地解放のヒーローだ!」 自虐史観をブッ飛ばせ! 韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ! 15分でわかる大東亜戦争の真実 ●日本は本当に侵略国家だ...ったのか!? ●ルーズベルト大統領は日本と戦争がしたかった!? ●日本が先の大戦を戦ったことでアジア・アフリカの植民地が解放された!? ●●真珠湾攻撃の前にアメリカが画策していた日本爆撃計画!?
●日本が戦争に突入したのは××だっだから!?
●外交評論家・加瀬英明氏インタビュー
●真珠湾攻撃の舞台裏を描いた「OPERATION SNOW」著者、ジョン・コスター氏インタビュー

〇パソコンおよびスマートフォンでご覧いただけます。
〇【YouTubeにて】11月9日(土)PM8時~配信予定。
https://www.youtube.com/user/theFACTtvChannel.


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