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「明治」という元号は春嶽が命名  第16代越前福井藩主。●松平 春嶽

2011年10月24日 01時16分55秒 | 色んな情報
「明治」という元号は春嶽が命名  第16代越前福井藩主。●松平 春嶽
松平春嶽 - Wikipedia http://bit.ly/ov8Ypa  抜粋
●松平 春嶽(まつだいら しゅんがく)は、幕末から明治時代初期にかけての大名、政治家。第16代越前福井藩主。

春嶽は号で、諱は慶永(よしなが)である。他に礫川、鴎渚などの号を用いたが、生涯通して春嶽の号を最も愛用した。

田安徳川家第3代当主・徳川斉匡の八男。松平斉善の養子。
将軍徳川家慶の従弟。
英邁な藩主で、幕末四賢侯の一人と謳われている。


春嶽は熊本藩出身の横井小楠を政治顧問に迎え、藩政改革や幕政改革にあたって彼の意見を重視した。

翌文久3年(1863年)には上洛するが、京都では長州藩など尊王攘夷派の勢力が強く、慶喜が尊王攘夷派と妥協しようとすると反対して3月2日(4月19日)に政事総裁職を辞任する。

6月、先月中から横井小楠主導で進められてきた「挙藩上京計画」が発表される。福井城中に全藩士を集めて発表されたこの計画は、「天下に大義理を御立通し成され候御趣意」とし、春嶽および藩主・松平茂昭を筆頭に、藩重臣の全て・動員できる最大兵力を動員し、「身を捨て家を捨て国を捨る」「一藩君臣再び国に帰らざる覚悟」をもって、つまり越前を捨てて全軍で京都に出兵し(日本を)制圧。朝廷・幕府どちらにもつかず、政局内の過剰な対立を武断をもって鎮圧し、しかるのち速やかに両勢力を合議し、広く才能ある人材を登用し、早急かつ緩やかな改革を推し進めようとするものであり、薩摩藩と連携しつつ肥後藩・加賀藩などにも加勢を頼み、天皇もこれを了承していたとの話が伝わる。福井藩の天下掌握宣言ともいえるこの計画に、日本中、特に京洛中の諸氏諸藩は騒然となったが、藩内外の反対派の活動や他藩や朝廷・幕府との連携がほころび、決行直前の8月半ばに急遽中止となった。これより越前家関連の諸方は、朝廷を蔑ろにしたとして、主に勤皇の士のテロに悩まされることになる。

松平春嶽と坂本龍馬 その2 - 北海道龍馬会 公式ページ ( http://hokkaidoryoma.com/?p=141 )
 春嶽が坂本龍馬と出会ったのは、このころであった。春嶽が江戸城に登城する日の朝、福井藩邸に突然、岡本健三郎と龍馬が、面会を求めてやってきた。そこで中根雪江に先に会わせたあと、自ら2人に会い、その話しに耳を傾けた。
 龍馬のような脱藩浪人に大藩の藩主が対面したことは、まさにであった。恐らくは、横井小楠か勝海舟の紹介状があったのではないかと思われる。(ただし春嶽自身は、むしろ自分が龍馬を横井や勝に紹介したと述べている。「逸事史補」)
 翌3年2月、春嶽は将軍家茂の上洛を控え、自ら公武合体に向け奔走している。
 その後、龍馬は勝の門人となり、この年の5月、勝の使者として、福井にいた春嶽を訪ねた。そして神戸海軍操練所の建設資金の援助を求めた。このころの福井藩では、「挙藩上洛」問題で、議論が沸騰していた。つまり京都で気勢をあげる攘夷派を圧して政局を安定させるため、福井藩を挙げて上洛し、外国代表や諸大名を呼んで会議を開き、「公儀公論」によって打開をはかろうというのである。
 こうした議論のさなかではあったが、春嶽は国全体の海防の徹底を訴えた龍馬の意見に理解を示し、藩の年間予算に匹敵する大金5千両(諸説あり)を融通している。春嶽はこの際、龍馬から京都を中心とした政治情勢、とくに尊攘運動などについて聴き、活眼を養ったに違いない。
 龍馬はこの機会に、小楠の紹介で由利公正に会い、酒を酌み交わしながら懇談している。
 その後、龍馬は6月と7月に京都の福井藩邸を訪れ、改革派に属する重臣村田氏寿と会っている。このときの話の中心は、尊攘運動の牙城となった長州藩や、危機に瀕した外国との関係の問題についてであったといわれる。



●人物・逸話 [編集]
・福井市立郷土歴史博物館前の松平春嶽像幕末期に鋳造発行された貨幣「文久永宝」の文字は、当時幕府上位閣僚のうち能筆とされた3人の手による。この一部は、春嶽の筆である。
「文久永寳」の寳の字が「宝」と略されている硬貨が春嶽の筆である。
・「明治」という元号は春嶽が命名した。
・著作に『逸事史補』がある。
・西洋のリンゴを初めて日本に導入したとされる。
文久2年(1862年)、春嶽はアメリカ産のりんごの苗木を入手し、それを江戸郊外巣鴨の福井藩下屋敷に植えたのが最初とされる


「松平春嶽」優秀な部下を集める上司の度量 | 部課長の基本
龍馬との面会 http://president.jp.reuters.com/article/2010/09/18/61517808-B964-11DF-9294-A1B73E99CD51.php




ふくい歴史王 発掘!ふるさと人物伝 幕末の名君 松平春嶽
http://rekishi.dogaclip.com/Crm/Profile-100000010.html
ふくい歴史王 発掘!ふるさと人物伝 松平春嶽の右腕、橋本左内
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ふくい歴史王 発掘!ふるさと人物伝 福井藩の財政再建を手がけた由利公正
http://rekishi.dogaclip.com/Crm/Profile-100000012.html




坂本龍馬との関わりは検索すると下の項など沢山有る。
パトロンの一人であったけれども福井を師と仰いでいたのは間違いなさそう。
この頃色んな人物が織り成すもので日本は動いていた。
あまりにも有名で無い松平春嶽や橋本左内などを秋の夜長に探索してみてはどうかな。


松平春嶽(坂本龍馬.由利公正.橋本左内)
http://www.1-em.net/sampo/sinron/syungaku/

坂本 龍馬(さかもと りょうま)- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
諸藩(一)-坂本龍馬の友人・知人  「松平春嶽」
http://ryomado.in.coocan.jp/Sakaryo/SRrelated/saryo_related08-01.html

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