縄文人の反乱 日本を大事に

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・しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

2013年04月28日 14時40分13秒 | 色んな情報
・しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
★静御前(しずかごぜん、生没年不詳)http://p.tl/ympA
平安時代末期から鎌倉時代初期の女性、白拍子。母は白拍子の磯禅師。源義経の妾
『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。
 
同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は、
 ・しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)[1]
 ・吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)。
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。
 
この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月29日、静は男子を産んだ。安達清常が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。
 
9月16日、静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子と大姫が多くの重宝を持たせたという。その後の消息は不明。

★源 義経(みなもと の よしつね、源義經)http://p.tl/Oh5Q
平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。
仮名は九郎、実名は義經(義経)である。
 
河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた。
平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。
兄・頼朝が平家打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となった。
その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平家との戦いにおける独断専行によってその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。
全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。
 
その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓という言葉、多くの伝説、物語を産んだ。

★牛若丸(うしわかまる) http://p.tl/pkNm
源義経 - 平安時代の武将。幼名が牛若丸。
牛若丸 (昔話) - 日本の昔話。上記の幼年期に由来。
牛若丸 (童謡) - 日本の童謡。上記に由来。

★白拍子(しらびょうし)http://p.tl/hyW8
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。
 
主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。

★異性装(いせいそう)http://p.tl/kcDG
文化的に性役割に属するとされる服装をしないこと。
 
男性が女性に属する服装をすることを女装(じょそう)と言い、女性が男性に属する服装をすることを男装(だんそう)と言う。
 
従来の社会にある服装規範に違和感を持ち、自由でありたい人が持つ性のあり方を 異性装指向 及び トランスヴェスチズム(transvestism)という。一般に異性装を行う者をトランスヴェスタイト(transvestite, TV)と呼ぶが、これは本来は医学的な概念としての呼称であり、これにネガティブなイメージを持つ異性装者が自ら生み出した呼称にクロスドレッサー(cross-dresser, CD、異性装をしていることはクロス・ドレッシング)がある。
 
また自分又は相手に、全体又は一部の異性装をさせて性的に興奮を得るフェティシズムは、異性装嗜好(一部異性装指向)ともいう。両方とも比較的男性に一層多いことが知られている。
 
現代においては、男性の女装を性的指向・性自認の表明と捉える見方に対して、女性の男装に関しては比較的寛容な傾向にある(つまり必ずしもそう見られないということ)。

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