縄文人の反乱 日本を大事に

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●今日は壇ノ浦の戦い(1185年 - 元暦2年/寿永4年3月24日)

2014年04月25日 17時49分30秒 | 色んな情報

●今日は壇ノ浦の戦い(1185年 - 元暦2年/寿永4年3月24日)
◆壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)http://p.tl/qrn7
平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
 
◆長門国(ながとのくに)http://p.tl/c8WX
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。
相当領域 山口県西半分
 
◆壇ノ浦(だんのうら)http://p.tl/GIxB
山口県下関市周辺の海域名および地名。馬関戦争の主戦場の一つであり、また治承・寿永の乱(源平合戦)の最後の合戦となった壇ノ浦の戦いの舞台にもなった場所でもある。

関門海峡でも最も狭隘な場所に面しているため、本州と九州を結ぶ陸上交通機関の多くが壇ノ浦と対岸の和布刈(福岡県北九州市門司区)の間で関門海峡を渡っている。

現在の町名(下関市壇之浦町)としては関門橋直下周辺を指すが、広義には壇之浦町・みもすそ川町・本町あたりまでを含めることがある。
 
◆周辺
 みもすそ川公園
 火の山 (山口県)、火の山公園
 関門国道トンネル(人道口、下関パーキングエリア)
 関門橋(関門自動車道、下関壇之浦バスストップ(休止中)、壇之浦パーキングエリア)
 下関市立養治小学校(本町2丁目)
 
◆下関戦争(しものせきせんそう)http://p.tl/ZaK6
幕末に長州藩と、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた、文久3年(1863年)と同4年(1864年)の前後二回にわたる攘夷思想に基づく武力衝突事件。

歴史的には、1864年の戦闘を馬関戦争(ばかんせんそう)と呼び、1863年の戦闘はその「原因となった事件」として扱われることが多い。
今日では1863年のことを下関事件、1864年のことを四国艦隊下関砲撃事件と呼んで区別している。
また両者を併せた総称として「下関戦争」が使われているが、その影響で「馬関戦争」が総称として使われることもある。
ただ、1863年のことを下関事件、1864年のことを下関戦争と呼んで区別している教科書もある。
 
◆関門海峡(かんもんかいきょう)http://p.tl/vmM0
本州の下関市(山口県)と九州の北九州市(福岡県)を隔てる海峡。名称は両岸の地名である、馬関(現 下関市)の「関=カン」と、門司(現 北九州市門司区)の「門=もん」を取ったものである(難関という意味の関門ではない)。
穴戸海峡、馬関海峡(ばかんかいきょう)、下之関海峡とも称された。最深部は水深47m。

本州と九州を隔てる水路を大瀬戸(おおせと)といい、彦島と本州を隔てる水路を小瀬戸(こせと)または小門海峡(おど)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる壇ノ浦と和布刈の間は早鞆の瀬戸(はやとものせと)という。

一般には大瀬戸の下関と北九州市門司区の間を関門海峡と呼ぶ。なお、海運業界では下関市彦島の周囲を迂回する形で門司区 - 小倉北区 - 戸畑区 - 若松区に抜けるルートが関門航路=関門海峡との認識である
 

 
◆桓武平氏 > 伊勢平氏  http://p.tl/4pXy
 伊勢平氏(いせへいし)は、承平天慶の乱に功のあった平貞盛の四男平維衡よりはじまる平氏一族の一つ、高望王流坂東平氏の庶流である。平氏の中でも伊勢平氏、特に平正盛の系統(六波羅家あるいは六波羅流)を平家(へいけ)と呼ぶ場合がある
 

 
◆治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)http://p.tl/aMqa
平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱である。古代最後の内乱であり中世最初の内乱である。後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最終的には、反乱勢力同士の対立がありつつも平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される関東政権(鎌倉幕府)の樹立という結果に至る。

一般的には「源平合戦(げんぺいかっせん、げんぺいがっせん)」あるいは「源平の戦い(げんぺいのたたかい)」などの呼称が用いられることがあるが、こうした呼称を用いることは適当でないとする議論がある(詳しくは後述)。また、奥州合戦終結までを治承寿永の乱に含めるという見解もある。
 

 
◆耳なし芳一(みみなしほういち)http://p.tl/24vT
安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺(現在の赤間神宮、山口県下関市)を舞台とした物語、怪談。小泉八雲の『怪談』にも取り上げられ、広く知られるようになる。

八雲が典拠としたのは、一夕散人(いっせきさんじん)著『臥遊奇談』第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」(1782年)であると指摘される。

『臥遊奇談』でも琵琶師の名は芳一であり、背景舞台は長州の赤間関、阿弥陀寺とある。これは現今の下関市、赤間神社のことと特定できる。

昔話として徳島県より採集された例では「耳切り団一」で、柳田國男が『一つ目小僧その他』等で言及している。
 
◆http://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/42927_ruby_15422.zip
 
◆小泉 八雲 http://p.tl/eihp(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)
ギリシャ出身の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。

出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) 。ラフカディオが一般的にファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。アイルランドの守護聖人・聖パトリックに因んだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。

ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの。ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがある。HearnもしくはO'Hearnはアイルランド南部では比較的多い姓である。

1896年(明治29年)に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗る。「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされる。

 

 
◆怪談(かいだん)http://p.tl/PSFY
怖さや怪しさを感じさせる物語の総称。日本古来のものを限定して呼ぶ場合もある。中でも、四谷怪談・皿屋敷・牡丹燈籠の三話は「日本三大怪談」に数えられることが多い。

怪談(怪奇ジャンルの作品)は日本国内では通常「夏の風物詩」にあげられるが、近年は真冬の時期に放映や作品発表が行われるケースもある。


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