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縄文人の反乱 日本を大事に

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●法医学

2014年05月21日 19時40分22秒 | 色んな情報

●法医学
◆ほう いがく【法医学】
裁判など法の運用の際に必要な医学的事項について研究する医学の一部門。特に,死体鑑定による死因・死亡時刻の判定や血液型・ DNA 分析による親子鑑定など,裁判上の事実認定のための証拠を医学的見地から確定することを任務とする。
 
◆法医学 - Wikipedia  http://urx.nu/8q07
 法医学(ほういがく、英語:forensics medicine)とは、犯罪捜査や裁判などの法の適用過程で必要とされる医学的事項を研究又は応用する社会医学のことをいう。

法医学はさらに応用法医学と基礎法医学に分けられる。一般には応用法医学のうち、刑事に関連するもの、特に司法解剖に関連する分野が法医学と認知されていることがおおいが、法医学の領域はこれに限られない。法医学の実務としてはDNA型鑑定、司法解剖、行政解剖、個人情報、親子鑑定、精神鑑定などがある。

現代の医学の進歩はめざましく、それに伴い様々な倫理的・法律的な問題が浮上してきていることから、法学部の科目として法医学を開講する大学も増えている。その一方で、2007年の時津風部屋力士暴行死事件で、当初司法解剖が行われず事故死として処理されたように、医学面から犯罪性を調べる専門法医学者などの育成体制については減少傾向にあり[1]、専門医が不在の県もあるために、警察庁が日本法医学会に体制の充実を求める要望書を提出する事態となっている。
 
◆法医学に関するQ&A-Yahoo!知恵袋  http://urx.nu/8q0j
Q. 法医学について 某大学医学科の1年生です。 わたしは法医学に興味があり、将来法医...
A. 医師国家試験に合格すれば医師免許は取れます。その後に臨床研修が必要なのは保険医として...
 
Q. 法医学教室に在籍しておられる方・おられた方にお伺いしたいのですが、法医学教室の技...
A. 某大学の法医学教室にいます。ウチの研究室には技術補佐員という役職はありませんが、おそ...
 
Q. 法医学に興味を持っている高校生です。法医学で有名な、あるいは研究業績のある大学医...
A. 法医学という分野は医学部の中でも特殊です。具体的には死因を特定するための司法解剖、裁...
 
◆日本法医学会  http://www.jslm.jp/
 
◆Voice
 https://www.youtube.com/watch?v=9L8okOIyP0w


●若者言葉

2014年05月21日 18時28分32秒 | 色んな情報

●若者言葉
◆わか ものことば [5] 【若者言葉】
(主に十代後半から二十代前半ぐらいの)若い世代特有の言葉。または,言葉遣い。
「若者言葉」に似た言葉» 類語の一覧を見るスラング  俗語  卑語
 
◆若者言葉   実用日本語表現辞典
読み方:わかものことば
別表記:若者ことば、若者コトバ
青少年、若年者が用いる特有の語彙や表現などを意味する表現。時代や年齢、性別、コミュニティーによって内容が異なる場合が多い。また一部は流行語に通じる。2010年前後に若者言葉として流行した語彙に「あざーす」や「あげぽよ」などがある。
 
◆若者言葉(わかものことば)http://urx.nu/8pIH
主として20代前後(10代後半~30代前半)の青少年が日常的に用いる俗語・スラングなどで、それ以外の世代ではあまり用いない言葉のことである。若者言葉には最近になって使われ始めたものと、古くからあって代々若者に受け継がれるもの(例:体育会系に多い「っす」など)があるので、共時的だけでなく通時的に見る必要がある。本項では特に明記しない限り、昭和後期以降から2000年代にかけての日本語の事情を先に述べた2つの観点から記述する。
 

 
◆若者言葉の一覧用語集   http://urx.nu/8pQY
 
◆最近の【若者言葉】まとめ http://urx.nu/8pRd
 
◆これ、全部意味わかりますか?最近流行りの若者言葉です。http://urx.nu/8pRt
・ようつべ→You Tube(ローマ字読みすればようつべ)
・うp→UPアップ
・ググる→Googleで検索する
・ウィキる →Wikipediaで調べる
・神ってる→神のような(そのままw)
・マジおこ→マジで怒ってる
・ばくわら→爆笑
・りょ→了解
・乙→残念な人w
 
◆若者言葉辞典~あなたはわかりますか?~  http://bosesound.blog133.fc2.com/
 
◆意味がわからない略語、若者用語ランキング http://urx.nu/8pS8
 
◆若者用語の裏知識   http://urx.nu/8pSm
 
◆流行語(若者ことば) http://urx.nu/8pSs
 
◆若者ことばにみる特徴的表現の一考察 http://urx.nu/8pSN
 
◆-若者ことばの「体言+る」動詞- - 大阪教育大学(Adobe PDF)http://urx.nu/8pSI


●忌み言葉

2014年05月21日 16時03分39秒 | 色んな情報

●忌み言葉
◆いみ ことば【忌み詞・忌(み)言葉】
① 信仰上の理由や,特定の職業・場面で使用を避ける言葉。不吉な意味の語を連想させる言葉が多い。例えば婚礼の際の「去る」「切る」「帰る」「戻る」「別れる」,お悔みの際の「重ねる」「重ね重ね」「返す返す」「再び」など。
② ① の代わりに使う言葉。昔,斎宮(さいぐう)で「僧」を「髪長(かみなが)」といい,また,商家で「すり鉢」を「あたり鉢」,結婚式で「終わる」を「お開きにする」という類。 → 斎宮の忌み詞
 
◆忌み言葉(いみことば)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E3%81%BF 

忌みはばかって使用を避ける語。忌詞、忌み詞、忌言葉とも。
 
◆いみ 【忌み・斎】
〔動詞「いむ(忌)」の連用形から〕
① 神に仕えるために汚(けが)れを避けて謹慎すること。
② 死・産・血などの汚れに触れた人が一定期間,神の祀(まつ)りや他人から遠ざかること。 「 -が明ける」
③ 避けるべきこと。方角・日取りその他,一般によくないとされていること。差し支え。はばかり。 「事の-あるはこたみはたてまつらじ/源氏 絵合」
④ 他の語の上に付いて複合語を作り,汚れを清めた,神聖な,などの意を表す。 「 -斧」 「 -垣」 「 -鎌」 「 -竈(かまど)」 「 -場」 「 -柱」 「 -殿(どの)」 「 -服殿(はたどの)」
「忌み」に似た言葉» 類語の一覧を見る禁忌  タブー  禁物  禁欲  禁酒
 
◆忌み・斎み(いみ)とは 

1.神に対して身を清め穢れを避けて慎む事。斎戒。
2.(転じて)忌み避けるべきこと。禁忌。はばかり。
平安時代以降の用例は大半が2.の意。
基本的に生活圏に悪影響を及ぼす穢れを嫌い排除する事である。 台風や大雨、日照り、地震等自然災害も不浄、穢れとされ、地鎮祭など祓えの儀式で清められ治まるとされた。
 
◆神事における忌み
神宮等では、神事の際、忌火(いみび)と呼ばれる火を起こす。これは火がそもそも持つ性質、すなわち「他を焼き無くしてしまう」という性質が、一般的なケガレの概念、つまり「不浄」「不潔」同様、神や人間の結界、生活圏を脅かす「ケガレ」であるため、これを用いる際にそう呼ばれる。また火がケガレを伝染媒介すると考えられていた為、かまどを別にするなどの措置がとられた。古事記によるとイザナミは火の神(ホノカグツチノカミ)を産んだため陰所を焼かれ、それが元で死に、黄泉の国に下る事になる。

「近き火、また恐ろし<枕草子・せめておそろしきもの>」や、現在でも「マッチ一本火事の元」という言葉にあるように、危険物として火は認識されてきた。忌み火をオリンピックの聖火と同一視される事があるが、拝火文化は神道にない。本来神道における「火」はケガレである。よってそれを押さえる火伏せの神様、火坊尊(ひぶせのみこと)などの神様が信仰の対象になって来た。鎮火(火を鎮める)という表現もある。

例外もあるが、一般的に神道における死は穢れ(黒不浄)としての「忌み」であり、神はそれを嫌うとされる。よって神社内及び敷地内に遺体を持ち込んで葬儀をする事はないし、家庭の神棚は半紙を被せ神の目に触れないようにする。死(黒不浄)、経血(赤不浄)、出産(白不浄)は神様が嫌う不浄として避けられてきたが、この価値観は明治政府の近代化及び富国強兵政策によって大きく変わる事になる。 戦死をケガレから名誉に、個人の問題であった出産を「産めよ増やせよ」の国家事業に、そしてそれを遂行する女性を褒めるという事に対応するため、これまでの穢れ観と正反対の価値観が神道において成立した。これが「国家神道」である。明治以前の神道における穢れの基準は「延喜式」に詳しい。
 
◆用例
忌み嫌う - 穢れを払う+嫌う。穢れを払う様に嫌う。忌避。
忌み名 - 清楚+名。清楚な名・神仏となった本当の名。(臣下、目下のものが口外するのを忌むべき)本名(諱)。
忌中 - ケガレの最中。
奈良時代の忌部氏(いんべし。後の斎部氏)は宮中の神事を行っていた。忌(いん)は清楚という意味でもあるが、平安時代以降はほとんどの場合否定的な意味に使用される。
 
◆禁忌(きんき)とは、「してはいけないこと」の意。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E5%BF%8C

・宗教学、人類学用語としての禁忌→項目「タブー」参照
・医療上の禁忌。不適当で患者の予後を大きく悪化させる術式、検査、投薬、調剤等を指す。絶対的禁忌と相対的禁忌の二つに分けられる。→en:Contraindication
 ・併用禁忌データベース 併用すると危険をもたらす医薬品のデータベース
 ・温泉の効能で特定の症例に対して逆効果があると考えられている場合、一般的禁忌症と表現される。→項目「一般的適応症」参照
・禁忌品 - 古紙回収に出されると再生処理がうまくできなくなる物のこと。(禁忌品(きんきひん))
・禁忌肢 - 医師国家試験などの試験の設問で、所定数以上誤って選択すると、他が全て正答であっても自動的に不合格・落第の判定となる選択肢
タブーとしての禁忌には道徳的な含みがあるのに対して、他の用例では、技術的、科学的な根拠によって禁じている。
 
◆忌避(きひ)

広い意味ではあるものや事柄について嫌って避けることである。日本の法律においては、除斥事由には該当しないが、手続の公正さを失わせる恐れのある者を、申立てに基づいてその手続に関する職務執行から排除すること。

典型的な例は裁判における裁判官の忌避であるが、裁判官以外にも、裁判所書記官、鑑定人、通訳人、仲裁人、審判官などについても忌避の規定がある。

なお、手続の適正を図るために、一定の者を職務執行から排除する類似の制度として、除斥や回避がある。
 
◆忌寸(いみき)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E5%AF%B8

684年(天武天皇13年)に制定された八色の姓で新たに作られた姓(かばね)で、上から4番目。直(あたえ)姓の国造や、渡来人系の氏族に与えられた。
 
◆八色の姓(やくさのかばね)八色の姓天武天皇が684年(天武13)に新たに制定した「真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度のこと。

『日本書紀』の天武天皇十三年冬十月の条に、「詔して曰はく、更諸氏の族姓を改めて、八色の姓を作りて、天下の万姓を混(まろか)す。一つに曰く、真人。二つに曰く、朝臣。三つに曰く、宿禰。四つに曰く、忌寸。五つに曰く、道師。六つに曰く、臣。七つに曰く、連。八つに曰く、稲置」とある。

天武天皇の国風諡号(和風諡号、わふうしごう)は、天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。「真人」が使われており、八色の姓の筆頭にあげられている。
 
◆小忌衣(おみごろも)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%BF%8C%E8%A1%A3

古代から伝わる、神事などに使用される上衣。『古事記』などに見える青摺衣の系統を引く。平安時代には新嘗祭および天皇の代始めの新嘗祭である大嘗祭と、六月十二月の神今食(これらはいずれも天皇が自ら祭祀を行う「親祭」)に供奉する貴族以下の官人が使用した。なお神今食のときは冠に心葉や日陰鬘をつけない。(『西宮記』ほか)これらの親祭では、占食といって亀占により選ばれた者が「小忌(小斎)」と呼ばれて神祭に奉仕した(これに選ばれない者は「大忌」-「大」は「凡」と同じで「一般の」の意味-と呼ばれ、祭の枢要に携わることはできなかった)。小忌衣とは主に小忌の者が用いることからきたことばである。

『忌』は神聖なことを表現しているとされる。

男女共に装束の上に羽織り、右肩から赤紐(赤黒紐の場合もある)を垂らす。神楽などの舞人は、邪魔になる為か、紐を左肩から垂らす。模様としては、白絹及び白麻地に青摺(あおずり)と呼ばれる山藍の葉の汁で、花鳥風月等の素朴な文様を書くのが一般的。袖が付いていないものと、袖付きのものがある。

各種の小忌衣について、院政期以降の規定に基づき説明する。

1・諸司小忌 身が二幅、袖が左右各一幅、計四幅のおくみのない垂領である。右肩に赤紐をつける。親祭当日に小忌の官人が下賜されて着用することからこの名称がある。参内後に下賜されると束帯の上に着て、裾まわりは石帯にはさみこむ。生地は、近世では麻を粉張(こばり。胡粉という白い絵の具を厚く引く)にして、「竜胆と尾長鳥」「梅と柳」などの摺文を施している。なお近世では赤紐で身分を表示した。大臣以上は本法組にして金泥で蝶鳥を描き、公卿は本法組で胡粉の蝶鳥を描き、殿上人は略本法組で胡粉の蝶鳥を描いた。いずれも板引である。「冷泉家の至宝展」図録に写真がある。

2・私小忌 身が一幅の盤領で、袖は左右各二幅。狩衣の裾の長いような形であるが、袖括はない。右肩に赤紐をつける。束帯の袍を着ずに、下襲・半臂の上に袍のかわりに着用する。神祇官人や大嘗祭の悠紀・主基国司などの、早くから神事に奉仕することが確定している者は親祭当日にも着用する。親祭で諸司小忌を下賜された者は、新嘗祭や大嘗祭の直会(祭後の宴会)にあたる節会に使用する。下賜品である諸司小忌に対して私弁であるために私小忌の名称を持つ。生地は、近世では麻を粉張にして、様々な文様を青摺にする。平安末期の記録によれば、大嘗祭の悠紀・主基国はそれぞれのそろいの文様を新たに定める決まりであり、南北朝時代の記録によれば吉田家では菊に水などの紋を用いるなど、さまざまな慣習が存在したようである。「冷泉家の至宝展」図録に写真がある。 尚、小忌衣の青摺は石清水八幡宮境内に自生する「ヤマアイ」が用いられる習わしとなっていた。

 


以下は、中世の記録には明確でないが、近世には制度的に確立していたものである。


3・如形小忌 諸司小忌の袖を略した形式。裃のようなもの。 身が二幅の垂領で、右肩に赤紐をつける。主に祭祀にたずさわる地下官人が使用。束帯では裾を石帯にはさみ、その他では裾をはさまずただうちかけた。生地は麻に粉張とし、青摺で主に梅と柳の文様をあらわした。赤紐は平紐で胡粉の蝶鳥を描いた。株式会社井筒所蔵品が「年中行事と宮廷文化のかたち」展図録に掲載される。

4・別勅小忌 天皇の神事服(御斎服)着装に奉仕する衣紋者の公家や、側近で世話をする議奏の公卿が使用した。重要な任務ゆえに占食と無関係に着用したのでこの名がある。衣冠の上に着ることが多く、その場合前は懐の「かいこみ」にはさみこみ、後ろはうちかけて着た。生地は麻の粉張とし、青摺で主に流水とわらびをあらわした。衣冠の上に着るものは普通赤紐をつけない。名称と衣紋者等の使用は『延慶大嘗会記』(後伏見上皇が弟花園天皇の大嘗祭を記録した日記)に基づくが、詳細な仕様は貞享四年の大嘗祭復興に際して新たに決められた。奈良女子大学に近世の遺品がある。

※なお『代始和抄』(一条兼良)などに「出納小忌」の名称があるが、実態は不明で、近世では別勅小忌の(一説では如形小忌の)別名とされていた。


なお、采女のちはやは如形小忌であるが、近代では生絹に蝶を青摺し、赤紐はない。(近世の遺品が奈良女子大学にあるが、赤紐はないものの普通の小忌同様麻の粉張に青摺である) 東遊などの日本古来の古代歌謡を伴う舞楽に用いるものは私小忌と同型で、ただ赤紐が左肩につく。これは占食で選ばれるものではないので普通は小忌衣とはいわず、「青摺」と呼ばれた。五節舞姫も羅の青摺の唐衣を用いたが(ただし宝暦再興後の舞姫装束は古式を伝えていない)、これも普通は小忌衣とはよばれない。ただし青摺の神事服である点では小忌衣と同じ性格を持つといえるものである。


明治天皇の大嘗祭には、太政大臣三条実美のみが白い龍文(無文の綾地綾)の袍と袴に冠(のちの斎服に相当)で、参議以下の高官は小葵の飛文の青摺の白い直垂、神祇省等の職員は白い無文の直垂を使用し、小忌衣は用いられなかった。采女のちはやはこの時には白絹地に蝶の青摺になっている(太政類典)。その後明治六年には衣冠が宮中・神社の祭服となったものの様式の混乱が生じたため、明治十六年より宮中祭祀に奉仕する官僚の服は斎服となった(公文類聚)。登極令によって、大嘗祭に限り諸司小忌を男女の供奉員が着用する(例年の新嘗祭奉仕の掌典は明治十六年以降今に至るまで斎服なので小忌衣は使用しない)。摺文様は、皇族が松に菊(大正大礼で新たに制定)、それ以外は江戸時代以来の梅と柳で、赤紐は江戸時代の規定を援用して、皇族は本法組にして金泥で蝶鳥を描き、勅任官は本法組で胡粉の蝶鳥を描き、奏任官は略本法組で胡粉の蝶鳥を描き、判任官は平紐で胡粉の蝶鳥を描いた。占食のしきたりはないので「小忌」に選ばれる者はないが、名前は従来のままであった。

新嘗祭や豊明節会等の宮廷での諸神事の宮人、大嘗祭の五節舞姫、神楽の舞人、大喪の八瀬童子、神職、巫女等が使用した。 ◎八瀬童子の使用の証拠を示してください。

天照大神が岩戸隠れから再び姿を現した時、身に付けていたとの伝承がある。伝承だが、これが起源とされている。

特に豊明節会にも使われることから、崇神天皇が笠縫邑で天照大神を祀った時代からあったことも考えられる。

雄略天皇が葛城山に登った時、天皇と一言主神の従者が共に着ていた青摺に紅紐を付けた装束は小忌衣と比較して興味深い。

巫女装束にも、同じように、青摺を使用している例が一般的である。近年の巫女神楽の装束にも小忌衣が使用されている(例:浦安の舞)。 また、千早や比礼(ひれ:女性が、首に掛けて、結ばずに、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)との関係が注目される。

歌舞伎に同名の小忌衣があり、貴人の普段着の使われ方をしているが、豪華な絹衣装で、エリマキトカゲの様に襟が長い等、本来の小忌衣とは全く異なるもので起源は不明である。
 
◆命日(めいにち)(忌日から転送)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%BD%E6%97%A5

ある人が死亡した日をいう。忌日(きにち)ともいう。死亡した年月日を歿(没)年月日(ぼつねんがっぴ)という。対義語は誕生日。

通常は、死亡した月を指す祥月と組み合わせて、一周忌以後の当月の命日である祥月命日(しょうつきめいにち)指すことが多い。祥月にかかわらない月ごとの命日を月命日(つきめいにち)という。

日本の仏教では、年12回の月命日に故人の供養を行い、一定の年数の命日には年忌法要(法事)が営まれる(年忌法要一覧を参照)。仏教に深く帰依したとされる光明皇后は、月命日ごとに法要が行われている。

50回忌以降は、50年毎に行っていたが、近年では、31回忌、33回忌、50回忌のいずれかをもって「弔い上げ」(戒名を過去帳に移し、お骨を土に返す)とするのが一般的になってきた。
 
◆年忌法要一覧表  http://www.bukkyou.com/Saikouji/NenkiTable.html

 
◆生没同日(せいぼつどうじつ) 誕生日と命日が同じ日であること。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%B2%A1%E5%90%8C%E6%97%A5
◆忌宮神社(いみのみやじんじゃ)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE

山口県下関市にある神社。長府(城下町エリア)のほぼ中心に位置し、仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされる。
式内社で、旧社格は国幣小社。長門国二宮とされ、現在は神社本庁の別表神社である。飛地境内として国の天然記念物満珠島干珠島を有している。

また、魁傑將晃が現役時代、荒熊稲荷神社で九州場所の必勝祈願を行い優勝したことが縁となり、毎年11月3日の三日相撲に合わせて参拝する。荒熊稲荷神社脇には相撲資料館が併設され魁傑や大乃国康(現:芝田山)の化粧まわしや優勝杯、大銀杏などが展示されている。

 


ベトナム衝突事件を仕掛けた中国の「黒幕」

2014年05月21日 14時51分34秒 | 色んな情報

 

ベトナム衝突事件を仕掛けた中国の「黒幕」
2014年05月19日(Mon)  石 平 (中国問題・日中問題評論家)

南シナ海での石油掘削をめぐる中越衝突が発生して以来、関係諸国の猛反発の中で中国の孤立化が目立ってきている。

タイミングが悪すぎる掘削開始の不可解さ

 たとえばケリー米国務長官は5月12日、両国の艦船の衝突について「中国の挑戦だ。この攻撃的な行動を深く懸念している」と中国を名指しで批判した。さらに5月16日、カーニー米大統領報道官は記者会見において、南シナ海での中国の一方的な行動は「挑発的だ」と改めて批判し、領有権争いをめぐるベトナムとの対立激化は中国側に原因があるとの考えを示した。これでアメリカは、中国とベトナムとの対立においてほぼ完全にベトナム側に立つことになったのである。

 もちろんアメリカだけでなく、南シナ海周辺諸国の中国に対する反発も強まってきている。

 5月10日から開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議は、中国とフィリピン、ベトナムなどが領有権を争う南シナ海問題をめぐり、関係国に自制を求める共同宣言を採択したが、首脳会議に先立つ外相会議では、南シナ海での緊張の高まりに「深刻な懸念」を表明する共同声明を発表した。ASEAN諸国が結束して中国をけん制する立場を示したといえる。

 それに対し、中国外交部の報道官は5月10日に談話を発表して反発した。ASEAN外相会議・首脳会議の共同宣言・声明は中国を名指しで批判したわけでもなく、「関係諸国の自制」を求めているはずであるが、唯一中国だけがそれに反発したのは、要するに中国自身も、上述の宣言と声明はまさに中国に矛先を向けているものであると分かっているからであろう。

 とにかくベトナムとの海上衝突の一件をもって、中国は米国から強くけん制されているだけでなく、東南アジア諸国から総スカンを食った結果となっている。外交的に見れば、それは中国にとって大いなる誤算と失敗であると言えよう。

 このような失敗はすべて、中国自らの行動が招いた結果である。事実関係を整理すると、ことの発端はまず5月初旬、中国側が問題海域での石油掘削を一方的に宣言し実施したことにある。それに対して、ベトナム側はまず外交ルートを通じて中国に抗議して掘削の中止を求めたが、中国側がそれを拒否して掘削を継続したことから、ベトナム船がこの海域に入って中国側の掘削を阻止する行動を取ると、中国船は逆に体当たりしてきて放水の応酬などの衝突事件に発展した。

混乱が観られる当局の対応

 このような経緯を見れば、今回の事件は中国側の一方的な行為が原因で起きたことがよく分かるが、ポイントは、中国側が一体どうしてこのようなタイミングでこのような問題を起こしたのか、ということである。

 より具体的に言えば、中国は一体なぜ、わざわざASEAN首脳会議開催の直前というタイミングを選んでこのような挑発的な行動に至ったのか、それこそが問題なのである。ASEAN諸国の結束を促して中国自身の孤立化を自ら招く、あまりにも愚かな行動である。

 5月13日付の英フィナンシャル・タイムズ紙も、「中国とベトナムの衝突、観測筋が首ひねるタイミング」と題する記事を掲載して、中国側がことを起こしたタイミングの悪さを指摘しているが、まさしくその通りである。

 したたかな中国がどうしてこのような初歩的なミスを犯してしまったのか。それがまず湧いてくる疑問の一つであるが、さらに不可解なのは、ベトナム船との衝突が世に知られた後の中国外交当局の対応である。

 5月7日、ベトナム政府は証拠の映像を公開し、中国側の船舶がベトナム船に意図的に衝突してきたと発表、中国側を強く批判した。それに対して8日、中国の程国平外務次官は「そもそも衝突していない」と言って、衝突という明らかな事実を頭から否定し問題から逃げるような姿勢を示している。

 しかし同日午後、同じ中国外務省の別の高官が急きょ会見し、「ベトナム側が大量の船を出し、170回以上中国側にぶつかってきた」と発表した。つまり中国側もこれをもって「衝突があった」ことを認めたが、それは結局先の「衝突していない」という外務次官の発言を、中国外務省自ら否定することになる。この二つの発言のあまりにも明々白々な矛盾は、中国政府自身の対応がかなり混乱していることを露呈している。

掘削を実施した「中国海洋石油総公司」とは?

 このような状況では、掘削の開始からベトナム船に体当たりで衝突するまでの中国側の一連の行動が果たして、中央指導部の指揮下におけるものであったのかどうか、という疑問が当然生じてくるのである。

 ASEAN首脳会議の直前という中国にとって悪すぎるタイミングから考えても、それが東南アジア諸国の対中国結束を固めることになる結果からしても、あるいは衝突直後の中国外務省の混乱した対応ぶりからしても、掘削の断行は中央指導部の統一意志の下で行われた戦略的・計画的な行為であるとはとても思えないのである。
 だとすれば、今回の断行は、掘削を実施した部門の個別的判断によるものであろうという可能性も出てくる。それならば、その関係部門は何の目的のために、中国にとって大変不利なタイミングで大きなトラブルとなるような判断を行ったのか、という疑問が浮上してくる。そうなるとここではまず、掘削を断行した張本人の中国海洋石油総公司という巨大国有企業に目を転じてみるべきであろう。

石油閥の正体と激しい権力闘争

 ベトナムとの係争海域で今度の掘削を実施した中国海洋石油総公司。9万8000人以上の従業員を有するこの巨大企業は、中国国務院国有資産監督管理委員会直属の国有企業である。「国務院国有資産監督管理委員会」とは中央官庁の一つだが、おそらく中国政府は、採掘すべき石油資源は全部「国有資産」であるとの視点から、中国海洋石油総公司をこの中央官庁の直属下に置いたのであろう。

 それはともかくとして、実は去年の夏から、まさにこの国務院国有資産監督管理委員会において、驚天動地の腐敗摘発が行われていたのである。2013年9月1日に国営新華社が伝えたところによると、中国共産党中央規律検査委員会は、国務院国有資産監督管理委員会の蒋潔敏主任に対し「重大な規律違反」の疑いで調査を始めた、というのである。

 蒋氏は国有石油大手、中国石油天然気集団(CNPC)前会長で、2013年3月に国資委主任に転じたばかりだった。彼は共産党内では約200人しかいない中央委員も務めており、2012年11月の習指導部発足後、調査を受けた党幹部では最高位に当たる。

 このような立場の蒋氏に対する汚職調査は当然、習近平政権が進めている「腐敗撲滅運動」の重要なる一環であろうが、ここで注目されているのは、石油畑出身の蒋潔敏氏の背後にある、「石油閥」という共産党政権内の一大勢力のことである。

 中国でいう「石油閥」とは、蒋氏が会長を務めた中国石油天然気集団という巨大国有企業群を基盤にして中国の石油利権を一手に握る政治集団のことである。この政治集団の始祖は、1958年に中国の石油工業相に就任した余秋里氏である。

 中国の建国に貢献した「第一世代の革命家」の一人である余氏は建国の父である毛沢東からの信頼が厚く、58年に石油工業相に就任してから、中国最大の大慶油田の開発を仕切って「中国石油工業の父」と呼ばれるようになった。その後も中国経済を取り仕切る国家計画委員会(国計委)主任や国家エネルギー委員会(国エネ委)の主任などを歴任した。共産党内で隠然たる力をもつ石油閥の形成はまさにこの余秋里氏からはじまる。

 1999年に余氏が亡き後、彼の後を継いで石油閥の元締めとなったのは元国家副主席の曽慶紅氏である。2002年からは中国共産党政治局常務委員、03年から国家副主席を務めた曽慶紅氏は、元国家主席江沢民の懐刀として知られていて江沢民政権の要だった人物であるが、実はこの曽氏は江沢民の腹心となる以前、余秋里氏に仕えていた。

 余氏が国計委主任を務めた時に同委の弁公庁秘書となり、余氏が国エネ委に移ると、曽氏も同委弁公庁に異動した。そして余氏はその後も中央顧問委員会常務委員などを歴任して実権を握っていたため、曽氏は余氏の「ご恩顧下」で石油省や中国海洋石油総公司(CNOOC)で出世した。

 このような経歴から、余氏が死去した時、江沢民の腹心として政権の中枢にいる曽氏は当然、石油閥の次のボスとなった。そして曽氏自身が政治局常務委員・国家副主席となって権力の頂点に達すると、彼を中心にして石油閥は党内の一大勢力に伸し上がった。もちろん、石油閥総帥の曽氏は党内最大派閥の江沢民派(上海閥)の「番頭」的な存在でもあるから、石油閥はごく自然に江沢民派の傘下に入って江沢民勢力の一部となった。

 そのとき、石油閥の「若頭」として曽氏が抜擢してきたのが石油畑幹部の周永康氏である。周氏は中国の石油業界の「聖地」とされる大慶油田でキャリアをスタートして、その後、石油工業省次官、CNPC総経理、国土資源相などを歴任した。そして2002年に胡錦濤政権が発足するとき、政治局常務委員となった曽氏は周氏を政治局員に推挙した上で警察を司る公安部長に転任させた。2007年の共産党17回大会では、曽氏は自分の引退と引き換えにして周氏を政治局常務委員の地位に昇進させた。しかも政法部門(情報、治安、司法、検察、公安など)を統括する中央政法委員会書記という政治的に大変重要なポストに就かせた。

 これで江沢民派・石油閥の党内基盤は盤石なものとなって、胡錦濤政権時代を通して、この派閥の人々はまさに飛ぶ鳥を落とすほどの権勢を振る舞った。そしてその時、徐々に老衰していく江沢民氏にとってかわって、引退したはずの曽慶紅氏が江沢民派・石油閥の陰のボスとなり、現役の政治局常務委員の周永康氏は政権中枢における派閥の代弁者の役割を果たしていた。

「腐敗撲滅運動」を手段に

 しかし2012年11月に開かれた共産党18回大会において胡錦濤指導部が退陣して今の習近平指導部が誕生すると、石油閥はやがて受難の時代を迎えた。18回大会で誕生した7名からなる新しい政治局常務委員会に、江沢民派・石油閥は4名の大幹部を送り込んで習氏を取り囲むような形で勢力を固めた。あたかも新指導部が彼ら江沢民派・石油閥によって乗っ取られたかのような形勢であるが、それに不満を持つ習氏は今度、前総書記の胡錦涛氏の率いる「共産主義青年団派」と手を組んで、江沢民派・石油閥を叩き潰すための権力闘争を起こした。徹底的に潰さない限り、自前の政治勢力の拡大と自分自身の権威樹立は永遠に不可能であると習氏も分かっているからだ。

 この権力闘争のために習氏の使用した手法がすなわち「腐敗撲滅運動」の推進である。石油利権という莫大な経済利権を手に入れてうまい汁を吸っているのは他ならぬ江沢民派・石油閥の面々であるから、彼らを倒すのに「腐敗の摘発」ほど有効な手段はない。そのために、習近平氏は自分の盟友である王岐山という経済部門出身の幹部を畑違いの中央規律検査委員会のトップに据えて、「腐敗撲滅」という名の権力闘争を始めた。

 前述の国務院国有資産監督管理委員会の元主任で石油畑出身の蒋潔敏に対する「汚職調査」は、まさに石油閥潰しの政治的摘発の一環であるが、習近平氏のターゲットは蒋潔敏のような「小物」ではない。石油閥大物幹部の周永康氏はまず標的にされていた。蒋潔敏氏に対する調査開始はむしろその前哨戦であったと見るべきだ。そして2013年12月から周永康氏の消息が断ったことから、その時点で彼は既に拘束されていてて取り調べを受ける身となったと思われる。今年の3月初旬に、一部の中国メデイアがいよいよ「周永康問題」について報道し始めたことから、彼に対する取り調べが進んでいる事実が白日の下に晒された。

反撃に打って出た石油閥
掘削事件の「黒幕」か

 しかしまさに今年の3月後半当たりから、習近平氏の石油閥叩き作戦が暗礁に乗り上げる様子となった。まずは周永康氏自身が、当局の調査に対し横領などの容疑を全面否定、協力を一切拒んでいることが4月になって複数の党関係筋によって明らかにされた。どうやら周氏は徹底抗戦の構えのようだ。彼がそれほど強気になっているのには当然それなりの理由がある。

 周氏に対する摘発が進んでいく中で、彼と同様に引退の身となった一部の長老たちはこのままでは自分たちの身も安全ではなくなると危惧し始めたことから、江沢民派・石油閥は反撃に打って出た。政治局常務委員会の中では石油閥の代弁者である筆頭副総理の張高麗氏や江沢民派重鎮の張徳江全人代委員長らが「摘発の行き過ぎが党の威信を傷つける恐れがある」との理由から、習近平・王岐山サイドの進める腐敗摘発=石油閥叩きにブレーキをかけ始めた模様である。

 そうすると、それまで順調に進んできた周永康摘発の動きが徐々に鈍くなってきた。前述のように、今年3月の時点で中国の一部メディアは既に「周永康に問題あり」とのような報道をしていたが、中国国内の一般常識からすれば、この問題に関するメディア報道の「解禁」は普通、摘発に関する政治的決着がすでにつけられていて正式発表が間近であることを意味している。

 しかしこの常識に反して、それ以来現在に至るまで、周永康摘発の正式発表は一切なく、摘発の進展を窺わせるような動きも一切なかった。「周永康問題」はとっくに全国民の知れるところとなっているのに、問題の決着がここまで先延ばされているとはまさに異常事態である。しかも、去年9月に「調査開始」と発表された蒋潔敏氏に関しても、現在に至って何の調査結果も発表されることなく、処分も決まっていない。それもやはり異様である。

 こう見ていると、現在、江沢民派・石油閥は、習近平氏の叩き潰し作戦に対して必死の抵抗を試みている最中であることがよく分かるが、このようなタイミングで、中越間の衝突を起こした掘削の意味を考えてみると、一件無関係に見えるこの二つの動きの間に関連性があるのではないかと思いたくなるのである。

 そう、問題の海域で掘削を断行したのはまさに石油閥傘下の中国海洋石油総公司であり、その総公司の上位機関である国務院国有資産監督管理委員会の元主任はまさに石油閥主要幹部の蒋潔敏氏である。今はまさに、彼らが習近平氏の腐敗摘発によって追い込まれている立場であり、自分たちの権益と命を守るために最後の戦いを強いられている最中なのだ。

 その際、習近平氏に対する最も有力な反撃の一つとして、外交トラブルをわざと引き起こすことも選択肢の一つとして考えられる。何らかの外交的危機が発生した場合、中央国家安全委員会主席の習氏は責任を持ってそれを処理しなければならない。外交上のトラブルはすなわち習氏自身のトラブルなのである。

ただただ沈黙を守る習近平

 そうすると、浮上してくる可能性の一つは、石油閥の面々がASEAN首脳会議の直前というタイミングをわざと選んで、しかもベトナム側の猛反発を見込んだ上で係争の海域での掘削を断行した、ということである。

 そうすることによって習近平氏を外交的窮地に追い込んでその政治的権威を傷つけることができるだけでなく、いわば対外的危機を作り出すことによって「国内の一致団結」という大義名分において「腐敗摘発」の動きを食い止めることもできるからである。

 実際、石油閥のこの作戦はすでに一定の効果を上げていると見ることもできる。掘削の断行がベトナムとの衝突を引き起こし、地域における中国の外交的孤立化が進んでいることは前述の通りであるが、中国国内の動きとしてもう一つ不思議に思えるのが、この一連の事件発生以来の習国家主席の態度である。

 ほとんど信じられないようことであるが、中国国民がベトナムの反中暴動において殺されたという由々しき事態が発生したにもかかわらず、国家主席で国家安全委員会の主席でもある習氏はこの問題について、いっさい発言していないのである。少なくともこの原稿を書いている日本時間5月19日午前10時現在まで、習氏はただただ沈黙を守っているだけである。

 5月15日、ベトナムの暴動で中国人が殺されたその翌日、習近平氏は国家主席として「中国国際友好大会」というイベントに出席してまさに外交問題について「重要講話」を行ったが、その中で彼はベトナムとの衝突やベトナムでの反中暴動については一言も触れなかった。自国民が暴動で殺された直後に、何事もなかったかのように行われたこのような「重要講話」は、実に情けないものである。

 要するに習近平氏は進退両難の窮地に立たされているのであろう。ことを起こしたのは石油閥の陰謀であることを承知しているから、ベトナムに対して強く出れば中国にとっての外交的トラブルがますます大きくなり国家主席としての自分の対処はますます難しくなる。それはまさに江沢民派・石油閥の思うつぼである。

しかしあまりにも弱い姿勢を示すと、それが逆に国内から「弱腰」の批判を招くこととなる。そして「弱腰」への国内批判はそのまま、石油閥にとっての習近平攻撃の材料ともなる。どの道、嵌められた習近平氏は大変不利な状況になるから、結局彼のとれる唯一の対処法はすなわちこの問題についていっさい態度を表明せず、外交部門に任せて事態の推移を見守ることであろう。

 もちろん、何も発言しないこの態度は結局、習近平氏の無能さと決断力のなさを国民に晒し出す結果となるから、やはり習近平氏の負けである。

突然姿を現した曽慶紅

 窮地に立たされた習近平氏が立ち往生している最中、得意満面で公の場に姿を現したのは、石油閥の陰のボスの曽慶紅氏である。中国の一部メデイアが写真付きで報じたところによると、公職から引退して以来いっさい姿を現したことのない曽慶紅氏は5月14日に突如、江沢民派の古巣の上海に現れた。表向きの活動の内容はある美術館の参観であるが、共産党政治局委員・上海市共産党書記の韓正氏と江沢民氏の子息で上海科学技術大学校長の江綿恒氏が同伴しているから、どう見ても単なる個人的な参観ではない。見事な政治的行動である。

 それでは、とっくに引退してめったに姿を現すことのない曽慶紅氏が一体どうして、このようなタイミングで突如姿を現したのか、ということになると、本稿が今まで記述してきたこの経緯からすれば、彼の意図するところは明らかであろう。決戦に臨む江沢民派・石油閥に対する激励であると同時に、相手の習近平氏に対する容赦のない警告でもあろう。

 そして14日の曽慶紅氏の登場はまた、10日ほど前から始まった件の「掘削断行」の黒幕はまさに自分たち石油閥であると自供したようなものである。この堂々ぶりは、曽氏がすでに習近平氏に対する抗戦を覚悟していることが分かる。今後、江沢民派・石油閥と習近平国家主席との権力闘争はますます激しさを増していくことは予想できるであろう。

 


●和敬静寂

2014年05月21日 14時51分34秒 | 色んな情報

●和敬静寂
◆わ けいせいじゃく【和敬清寂】
茶道で重んじられる精神。和敬は茶会において,主客がもっぱらとすべき精神,清寂は茶室・茶庭・茶器など全般に備わるべき精神をいう。
 
◆わ けい【和敬】
心をおだやかにつつしみ深く保ち,敬いの気持ちをもつこと。
 
◆せい じゃく【静寂】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ
静かなこと。ひっそりとしていること。また,そのさま。 「 -を破る」 「 -な森」
[派生] -さ ( 名 )
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せい せき【静寂】
( トタル ) [文] 形動タリ
「 静寂(せいじゃく) 」に同じ。 「大雷の後は-たると一般たり/月世界旅行 勤」
「静寂」に似た言葉» 類語の一覧を見る黙  沈静  無風  平静  静止
 

 
◆もだ 【黙】
① 黙っていること。 「なかなかに-もあらましを何すとか/万葉集 612」
② 何もしないでいること。 「咲けりとも知らずしあらば-もあらむこの山吹を見せつつもとな/万葉集 3976」
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【もく】[漢字]
【 木 】
⇒ ぼく〔木〕 [漢]
【 目 】 [音] モク ・ボク
① め。 「 目睫(もくしよう) ・目前 ・目下 ・刮目(かつもく) ・耳目 ・衆目 ・注目 ・眉目(びもく) ・瞑目(めいもく) 」
② 目で見る。 「 目撃 ・目測 」
③ 目くばせする。目で合図する。 「 目送 ・目礼 」
④ かなめ。重要なところ。 「 眼目 ・要目 」
⑤ かしら。 「 頭目 」
⑥ かお。ようす。本来の姿。 「 面目(めんぼく)((めんもく)) ・真(しん)面目 」
⑦ 見出し。標題。 「 目次 ・目録 ・書目 ・題目 ・品目 」
⑧ 小わけ。条文などの小わけ。 「 項目 ・細目 ・条目 」
⑨ 生物分類上の一段階。綱の下。科の上。 「 亜目 ・甲虫目 」
【 沐▼ 】 [音] モク
髪を洗う。 「 沐浴 ・斎戒沐浴 」
【 黙 ( 默 ) 】 [音] モク
① だまる。ものを言わない。 「 黙然 ・黙想 ・黙禱(もくとう) ・黙読 ・黙念 ・黙秘 ・黙考 ・寡黙 ・沈黙 」
② 言葉に表さない。 「 黙殺 ・黙認 ・黙許 ・黙契 ・暗黙 」
「黙」に似た言葉» 類語の一覧を見る沈黙  無音  だんまり  黙り  無言
 
◆熟語
 黙許
 黙考
 黙殺
 黙止
 黙示
 黙視
 黙然
 黙想
 黙諾
 黙祷
 黙読
 黙認
 黙秘
 黙秘権
 黙黙
 黙約
 黙礼
 暗黙
 寡黙
 緘黙
 沈黙
 
◆ちん せい【沈静】
( 名 ・形動 ) スル [文] ナリ
落ち着いて静かな・こと(さま)。また,そうなることをもいう。 「物価が-する」 「其性質の-なるは知べきなり/花柳春話 純一郎」 → 鎮静(補説欄)
 
◆かん じゃく【閑寂】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ
① もの静かなさま。静かで趣のあるさま。かんせき。 「 -な境内」
② 蕉風俳諧の美的理念の一。さび。
[派生] -さ ( 名 )
 
◆せい ひつ【静謐】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ
① しずかでおだやかな・こと(さま)。 「海上至て-なりしに/花間鶯 鉄腸」
② 世の中が治まっている・こと(さま)。静穏。 「世情は-に戻った」
[派生] -さ ( 名 )
 

 
◆さ どう【茶道】
① 「 ちゃどう(茶道) 」に同じ。
② 「 茶頭(さどう) 」に同じ。
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・さ どう【茶頭】
貴人に仕えて茶事をつかさどった茶の師匠。安土桃山時代に千宗易(利休)・津田宗及らが信長・秀吉の茶頭を務め,江戸時代には各藩にも茶道方という職掌ができた。禅院では「ちゃじゅう」と読んだ。 〔「茶堂」 「茶道」とも書く〕
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・ちゃ どう【茶道】
茶の湯の道。鎌倉時代,禅宗の寺院において定めた喫茶の礼に始まり,民間に広まって,茶室や道具類が整うとともに精神面が強調されるようになった。村田珠光・武野紹鷗らを経て,千利休が侘茶(わびちや)として大成。利休以後,表千家・裏千家・武者小路千家に分かれた。他にも多くの流派がある。茶の湯。さどう。
 
◆茶道(さどう、ちゃどう)http://urx.nu/8pAz
湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為。また、それを基本とした様式と芸道。


●スッパ

2014年05月21日 12時57分27秒 | 色んな情報

●スッパ
◆素波
読み方:スッパ   歴史民俗用語辞典
(1)戦国時代の間者。乱波。
(2)詐欺師、ぺてん師。
(3)盗賊、盗人。
別名 素破、透波
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透波
読み方:スッパ
(1)戦国時代の間者。乱波。
(2)詐欺師、ぺてん師。
(3)盗賊、盗人。
別名 素波、素破
 
◆スッパ抜く(すっぱぬく)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 すっぱ抜くとは、隠し事や秘密を暴いて明るみに出すこと。素っ破抜く。
【すっぱ抜くの語源・由来】
すっぱ抜くの「スッパ」は、「素っ破」や「透っ波」と書き、戦国時代、武家に仕えたスパイ(忍者)のことである。
忍者は密かに行動し情報を収集して明るみに出すことや、不意に刃物を抜くことから、出し抜いて暴くことを「すっぱ抜く」と言うようになった。
現代では使われないが、すっぱ抜くには「刃物を不意に抜き放つ」の意味もある。
 
◆すっぱ抜く(すっぱぬく) - 日本語俗語辞書
すっぱ抜くとは、隠し事・秘密を不意に明るみに出すこと。
『すっぱ抜く』の解説
すっぱ抜くのスッパとは後に忍者と呼ばれるようになる戦国時代の武術集団のこと(語源についてはオールガイドリンク『語源由来辞典』参照)である。こうしたスッパの行動・活動をすっぱ抜くと言ったが、現代では企業や政治などの組織、また芸能人など著名人の秘密・裏情報・スキャンダルをマスコミや個人が不意に明るみに出すことを言う。


●精霊馬(しょうりょううま)

2014年05月21日 12時57分27秒 | 色んな情報

●精霊馬(しょうりょううま)
◆精霊馬   実用日本語表現辞典
読み方:しょうりょううま
胡瓜や茄子に足を刺し、それぞれ馬と牛に見立てたもの。お盆の間に精霊棚に飾られる。先祖の霊を送り迎えする乗り物と言われている。
 
◆お盆 - Wikipedia  http://urx.nu/8pq7
太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。
・地方の風習
以下は、全国にあまねく広がっているとはいえないがある程度の地域では一般的な風習である。常識とされる地方もある反面、そういった風習が全くなかったり、時代とともに変容していった地方もある。また、供えた供物を載せ川に流す風習のある地域において、近年は川を汚さないように流さなくなった地区もある。

地方によっては、お盆の期間中には、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」(しょうりょううま)と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意することがある。4本の麻幹あるいはマッチ棒、折った割り箸などを足に見立てて差し込み、馬、牛として仏壇まわりや精霊棚に供物とともに配する。きゅうりは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうとの願いがそれぞれ込められている。

地方によっては「施餓鬼」(きこん または せがき)と呼ばれ、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作り、道ばたに倒れた人の霊を慰めるなどの風習もこの頃に行われる。また、盆提灯と呼ばれる特別な提灯を仏壇の前に飾ったり、木組に和紙を貼り付けた灯篭を流す灯篭流しや、提灯を小船に乗せたようなものを川などに流す精霊流しを行う場合がある。特に長崎県長崎市の精霊船を曳き、市内を練り歩くのが有名。 特殊な例として盛岡市では供物を乗せた数m程度の小舟に火をつけて流す「舟っこ流し」が行われる。

お供え物も地方によって違いがあり、甲信越や東海地方では仏前に安倍川餅、北信州ではおやきをお供えする風習がある。長野県や新潟県の一部地域では、送り火、迎え火の時に独特の歌を口ずさむ習慣があるなど、受け継がれた地方独自の風習が見受けられる。

長崎県では、盆の墓参りや精霊流しの際に手持ち花火や爆竹を撃つ風習がある。今では廃れた福建の風習の『清道』(元は盆と正月に行われていたが、いまでは正月(春節)のみ)が元になっていると言われる。特に長崎市ではその風習により、シーズンになると花火問屋等花火を扱う商店ではその需要の多さから沢山の花火を求める客で賑わう。

沖縄県では、現在(2008年現在)も旧暦でお盆が行われている。13日をウンケー(お迎え)、15日をウークイ(お送り)と称し、この間先祖の霊を歓待する。また独特の風習や行事が伝えられる。代表的なものに、沖縄本島のエイサーや八重山諸島のアンガマがある
 
◆【お盆】みんなの作った精霊馬が面白すぎる【なす・きゅうり】 http://urx.nu/8pqj
 
◆一般
精霊馬【しょうりょううま】
お盆時期に見られる、ナスやキュウリを用いて作る馬(もしくは、牛)型の人形のこと。爪楊枝や割り箸を用いて各々自宅で作られることが多い。

人形は、お盆時期の神霊の移動のための乗り物とされ、神霊を迎える準備品の一つとして、迎え盆(8月13日)の日に盆棚にそなえる。

•キュウリの馬・・・足の速い馬に乗って早くあの世から家に帰って来られるように
•ナスの牛・・・足の遅い牛に乗ってゆっくりあの世に戻って行くように、この世からお供物をたくさん積んで楽に帰れるように
 
◆■精霊馬(しょうりょううま)=キュウリとナス■ http://urx.nu/8pqq

※キュウリとナスビに割り箸を刺して馬と牛に見立てたもの。

・キュウリは馬の例えです。
お盆のときに、少しでも早く迎えられるようにとの願いを表現しています。

・ナスは牛を表現しています。
お盆が終わって、帰るときはのんびりと。

◆一説には、
「精霊がキュウリの馬に乗り、牛には荷物を乗せて楽に帰れるように」という意味が込められているとも言われています。
 
◆ お盆の行事 その3  http://obon.bonodori.net/obon/OBON8.html
迎え盆から盆中の行事
 7月15日前後の迎え盆から送り盆は、お盆のクライマックスです。
 きれいに整えられた盆路を通り、迎え火を目印にして、精霊たちが家々に戻ってきます。これを迎え、もてなし、そして無事確実に送り出すことが、お盆の目的なのです。

 「迎え盆」は7月13日とする例が圧倒的に多く、また「送り盆」は15日または16日とするところが多くなっています。迎え盆から送り盆はお盆の中核行事のため、日程や内容も全国的に共通性が高くなります。

 「盆踊り」は、まさにこのお盆のクライマックスの13日~16日に行われるケースがほとんどです。
 
・迎え火(むかえび)
7月13日の夕方には迎え火の行事が行われます。迎え火は、盆灯籠と同じように精霊たちの目印となるものです。
「迎えは早く、送りは遅く」といわれる地方が多く、あまり夜遅くならない夕方に火を焚くところが多いようです。
柳田国男「日本の祭り」によれば、日本のまつりは本来夜に行われるものでした。迎え火から、いよいよほんとうの「まつりの時間」に入るのです。
◆場所
迎え火を焚く場所は、
①家の門口や庭先
②道の辻
③墓地
などが一般的に多く見られます。
興味深い例では、大きなたいまつで山上から精霊を導いたり、新盆の家では108本のたいまつを焚いて精霊を迎える「百八炬火」(ひゃくはったい)という行事もあり、これらも迎え火の一種です。
 
◆素材
迎え火に焚かれる素材は、一般には「苧殻」(おがら。麻の茎を乾燥したもの)が多く、お盆シーズンになると花屋さんなどで売られ始めます。ほかに麦藁、藁、豆殻、白樺の皮などを燃やす地方もあります。


●おべんちゃら

2014年05月21日 10時44分57秒 | 色んな情報

●おべんちゃら
◆お べんちゃら
口先だけで御機嫌をとろうとすること。また,その人。お追従(ついしよう)。 「 -を言う」
「おべんちゃら」に似た言葉» 類語の一覧を見る愛想笑い  おべっか  諂い  諂笑  阿諛
 
◆京ことば    意味
 おべんちゃら   口先だけでうまいことを言う
 

 
◆お はこ [0] 【〈十八番〉】
〔箱に入れて大切にしておく意からとも,市川家の家の芸歌舞伎十八番の台本を箱入りで保存したことからともいう〕
① 最も得意な芸。得意とする技。じゅうはちばん。 「そろそろ彼の-が出そうだ」
② (転じて)その人のよくする動作・行為や口にする言葉。くせ。 「また君の-の引っ越しかい」
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じゅうはち ばん じふはち- [4] 【十八番】
① 「歌舞伎十八番」の略。
② 最も得意とする芸。いちばん得意な事柄。おはこ。
「十八番」に似た言葉» 類語の一覧を見る長所  取り得  おはこ  取り柄  特長
 
◆十八番(おはこ)音楽用語辞典
おはこ、といえば自分の得意なレパートリーのこと。唄あり、踊あり、楽器演奏あり、人によってそのジャンルは様々。レパートリーとは元々倉庫のこと、倉庫にどれだけの荷物があるか、つまり音楽で言えば、曲の在庫があるか、と言うことになる。その曲の在庫の中でも最も得意な物を「おはこ」と呼ぶのだが、元々この言葉は歌舞伎から来ている。歌舞伎・市川家に伝わる荒事の演目、七世団十郎が言い出し九世がこれを大成。この「十八番」という演目は封印をした箱に納め、みだりに上演してはならぬとしたことから「おはこ」称して権威づけられた。「不破・ふわ」、「鳴神・なるかみ」、「暫・しばらく」、「不動・ふどう」、「嬲・うわなり」、「象引・ぞうひき」、「勧進帳・かんじんちょう」、「助六・すけろく」、「押戻・おしもどし」、「外部売・ういろううり」、「矢の根・やのね」、「関羽・かんう」、「景清・かげきよ」、「七つ面・ななつめん」、「毛抜・けぬき」、「解脱・げだつ」、「蛇柳・じゃやなぎ」、「鎌髭・かまひげ」の十八種は必ずしも市川家に伝わるだけのものではない。
 
◆おはこ  隠語大辞典
1.同上(※「おはま」参照)。〔第四類 言語動作〕
2.懐中金銭の乏しき事、又目的となす相手方の見込なきをいふ。〔犯罪語〕
3.懐中に金銭の乏しき事を云ふ。又目的とする相手方に見込なき事を云ふ。「おはま」に同じ。
4.スリの目的人物の懐中に金銭がすくないこと。〔掏摸〕
5.懐中に金銭の乏しいこと。又目的とする相手方に見込みのないことをいう。「おはま」に同じ。
分類 掏摸、犯罪語
--------------------------------------------------------------------------------
十八番
読み方:おはこ
1.得意の技芸。得手なこと。十八番。
2.歌舞音曲等すべて得意の芸事をいふ。一般人事にも用ふ。十八番ともいふ。〔花柳語〕
3.自分の得意な歌或は踊りなどをいふ。〔花柳界〕
4.自分の最も得意とする歌とか踊りとか其他才能のことをいふ。
5.得意なもの。
分類 花柳界、花柳語、芸能
 
◆十八番(おはこ、じゅうはちばん)http://urx.nu/8pfp もっとも得意な芸や技のこと。
・語源
語源には複数の説があるが、それぞれが相互に関係している。
1.歌舞伎で七代目市川團十郎が、初代團十郎・二代目團十郎・四代目團十郎がそれぞれ得意としていた荒事の演目18種を選んでこれを「歌舞伎十八番」といった。ここから、得意とする芸という意味で広く用いられるようになった。
2.阿弥陀如来が仏になる修行をしている時に立てられた48種類の誓い(弥陀の48願)の十八番目が「念仏をする人達を必ず救済する」というものであり、これが他の諸仏の立てられた誓いより突出している(すべての生けとし生けるものすべてを救う)ことから、十八番が得意なものの代名詞となった。
3.武士の嗜む武芸の種類(刀、弓、組みなど)などの種類が全部で18種類(武芸十八般)から来ている。この場合は「とっておきのひとつ」ではなく、18種類全てに優れた「多才」の意味も含まれる。
4.江戸時代、高価な書画や茶器などを丁重に箱に入れて、「真作である」ことを示す鑑定者の署名である「箱書き」を添えた。ここから、「本物の芸であると認定された」という意味で、「おはこ」と言うようになった。
なお、十八番と書いて「おはこ」と読ませた初出は、柳亭種彦が文化12年(1815年)から天保2年(1831年)にかけて書いた『正本製』(しょうほんじたて)。また七代目團十郎が歌舞伎十八番を初めて公表したのは天保3年(1832年)のことで、この頃から広まった流行表現だったことが分かる。

◆日本列島の誕生 ~日本の古代史
 http://urx.nu/8p9L


●日本人の知らない日本語

2014年05月21日 09時49分15秒 | 色んな情報

●日本人の知らない日本語
◆日本人の知らない日本語01
 https://www.youtube.com/watch?v=1iSSBVEFwDc&list=PL950FB03FEECACD2B&index=1
◆「超ウケるんですけど~」
昨日まで渋谷でカリスマ店員をしていた嘉納ハルコ(23)の目の前には、外国人たちが­座っていた。高校教師となることが夢だったのに、まさか外国人相手の日本語教師とは。­顔が引きつるハルコ。
「やる気がないなら帰っていいぞ」とベテラン教師・鷹栖(42)に言われるも、引き下­がれない理由がハルコにはあった。鷹栖から教科書を奪い今日教えるページを開く。『助­数詞』だった。
「小学生レベルじゃない。日本語教えるなんて簡単よ」と教壇に立つハルコ。

「モノの数え方について質問ある人?先生が何でも答えてあげるよ」
ロシア人のクールビューティー・ダイアナが手を挙げた。ハルコが指すとダイアナが座っ­たまま答えようとした。
立って発言させるためハルコは言った。
「立って言って」 「た」 「...?」
ダイアナは『た』と言う様に言われたと思ったのだった。
波乱満載日本語バトルの幕開けだった。
「ストローは一個です」と答えるダイアナに、細くて長いものは『一本』と教えるハルコ­。
すると、食いしん坊の中国人・王が 「蛇も一本ですか?」 ...生物か無生物かで数え方が違うと教えるハルコ。
動物はその大きさでも数え方が違う。蛇は『一匹』、象は『一頭』。するとダイアナが意­気揚々と知識を披露する。
「ブラジャーも数え方が違います。Aとか、Bとか」 「......それはサイズですから」
黒板に 『鮪』と書いて『マグロ』 と教えると、中国人のお嬢様・金麗が
「違う!中国でその字は『チョウザメ』よ!」 聞けば 『鮭』も『フグ』 のことらしい。
ハルコがうろたえているとアメリカ人・ボブが 「ラーメン茹でる時の網編みカップは何て名前か?」 と聞く。
答えられないハルコ。お構いなしに次々とカルトな質問が。
「醤油を入れる四角くて仕切りのあるお皿の名前は?」 「持つところが一つの大きい鍋は何あるか?」......
バカにしているのかとハルコは怒った。しかし生徒たちにとっては、それは生きるために­必要な質問だったのだ。
生活費のためラーメン屋で働くボブが、麺を茹でる網=『てぼ』が分からず店主に怒鳴ら­れるのを目撃するハルコ。
意を決したハルコは翌日、生徒たちを教室から連れ出した。それは教育機関の常識をぶち­壊す前代未聞の行動だった。


●呪文

2014年05月21日 09時07分35秒 | 色んな情報

●呪文
◆じゅ もん [0] 【呪文】
① 一定の呪術的行為のもとにそれを唱えると神秘的な力が現れるという言葉・文句。まじない・のろいの文句。 「 -をとなえる」
② 密教・修験道・陰陽道(おんようどう)などで唱えるまじない。
「呪文」に似た言葉» 類語の一覧を見るまじない  陀羅尼  呪い  魔法  呪
 
◆呪文
読み方:ジュモン
密教・修験道・陰陽道などで唱えるまじない
 
◆呪文   歴史民俗用語辞典
読み方:ジュモン
特定のことばに呪力を認め、書いたり唱えたりする呪法。
 
◆呪文(じゅもん)http://urx.nu/8pax
呪術的な効果を得るために使われる言葉であり、呪術の一要素を成す。
多くは定式化されており、期待する効果に応じてそれらを使い分ける。
呪文のフレーズには直喩・隠喩が多用されたり、擬音語・節回しなどの音声的な工夫がなされたりする。
また神秘性によって効力が高まると考え、古語や意味不明な語句を用いたり、秘密にされたりする場合もある。
またはそこから転じて、意味不明な言葉の羅列などを"呪文"と喩える場合もある。
呪術の要素として、言葉(呪文)、行為(呪法)、道具(呪具)の三つが挙げられるが、各々を単独で用いるか・組み合わせて用いるか、またどれを重視するかは文化によって異なる。
従って呪文はしばしば儀式と結び付けて用いられる。
また呪文を特に尊び、一言一句正確な詠唱を求める文化もあれば、呪法や呪具の効力を認めて、術者による多少の呪文改変を許す文化もある。
前者の例としてはポリネシアのマオリ族やトロブリアンド島民がある。アフリカでは後者の例が多い。

呪文は言葉そのものとして見ると、様式的かつ一義的解釈が困難という点で詩歌との共通点がある。実際、呪文が詩歌(特に諷刺詩)の原型になったと思われる社会は多く見られる
 
◆日本において有名な呪文
・ちちんぷいぷい
・オン・キリキリ・~ (密教)
・臨兵闘者皆陣列在前 (九字)
・くわばら、くわばら (雷)
・エロイムエッサイム、我は求め訴えたり(水木しげるの漫画、「悪魔くん」で使われ有名になる)
・アブラカダブラ
 
◆祈り・祓い
・なんまいだぶ、なんまいだぶ (南無阿弥陀仏からの転化)
・主イエス・キリストの御名によって~、アーメン (キリスト教)
・天にましますわれらの父よ、~ (キリスト教の主の祈り)
・~せと、恐み恐み(畏み畏み)白す(申す) (祝詞)
・真言
・言霊
 
◆召喚術
・ベントラーベントラー
・コックリさん、コックリさん、おいでください。
 
◆童謡における呪文
・鏡よ鏡よ鏡さん、~ (白雪姫)
・開けゴマ (アリババと40人の盗賊)
・ビビディ・バビディ・ブー (シンデレラ)
 
◆漫画やアニメ、ゲームにおける呪文
・バルス! (天空の城ラピュタ)
 

 
◆マントラ(मन्त्र [mantra])http://urx.nu/8paI
サンスクリットで、本来的には「文字」「言葉」を意味する。真言と漢訳され、大乗仏教、特に密教では仏に対する讃歌や祈りを象徴的に表現した短い言葉を指す。
宗教的には讃歌、祭詞、呪文などを指す。インドではヴェーダ聖典、またはその本文であるサンヒター (saMhitaa) のことをいう。またタントラ教ではシャクティ崇拝の儀礼の際に用いられる祈祷の定型句、ヨーガ学派では音声による修行法を意味する。

密教では、真言を念じて心を統一する真言陀羅尼(しんごんだらに、dhaaraNii)が重要視された。また、諸仏を象徴した種子(しゅじ)と呼ばれる悉曇文字(しったんもじ、siddaM)も真言の一種といえる
 

 
◆呪い(のろい)http://urx.nu/8paL
人あるいは霊が、物理的手段によらず精神的・霊的な手段で、他の人、社会や世界全般に対して、悪意をもって災厄・不幸をもたらす行為をいう。「呪う」という言葉は「祝詞(のりと)」と語源的には同じで、「宣(の)る」に反復・継続の助動詞「ふ」が接続したものであり、古代の言霊信仰に由来するものと思われる。

日本では既に死んだ人・動物や神霊がなす呪いを特に「祟り」と呼び分けることが多い。呪術(まじない)とも関係が深いが、呪術という言葉は意図および結果の善悪にかかわらず用いられるのに対し、呪いという言葉はもっぱら悪い意味で用いられる。

呪いは生きた人間による場合には、呪文、祈祷、その他の言語的、呪術的または宗教的な行為によって行われるとされることが多い。具体的には宗教・文化的背景によって様々な違いがあり、神・悪魔その他の強力な霊の力を借りてなされると考えられたり、あるいは自己の霊能力によると考えられたりする。日本では、丑の刻参りが呪術的な行為によるものの代表的なものである[1]。

また神話・伝承・物語などにおいては、登場人物(特に王子・王女など)が魔法使いなどによって呪いをかけられ、動物に変身したり(白鳥の湖)、眠りに落ちたり(眠れる森の美女 )する例が多く見られる。

俗に、単なるジンクスを何かによる呪いと考えて、「何々の呪い」と呼ぶこともある(都市伝説の呪い)。
 
◆よく知られた例
多くの人に呪いとして理解されていたり語られているものをいくつか挙げる。神話・伝承・物語・都市伝説等における呪いを含む。
 円卓の騎士(13番目の席)
 眠れる森の美女(魔女の呪い)
 白鳥の湖
 ブックカース
 テカムセの呪い
 第九の呪い
 王家の呪い
 ホープダイヤモンドの呪い
その他 1900年代頃からのもの
 スーパーマンの呪い
近代のスポーツにまつわるジンクス
 バンビーノの呪い
 弁当の呪い
 カーネル・サンダースの呪い
 ラミレスの呪い
 マイヨ・アルカンシエル
 前田の呪い
 デスブログ


*じゃあの氏、投下情報まとめ 自民内で安倍おろし、その急先鋒の議員、支那の操り人形

2014年05月21日 08時23分41秒 | 色んな情報

*じゃあの氏、投下情報まとめ 自民内で安倍おろし、その急先鋒の議員、支那の操り人形
http://hosyusokuhou.jp/archives/37967051.html
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野田毅
野田毅の平成23年度の政治資金団体
弁護士 小室恒の名前、小室恒は昭和44年4月、石川泰三弁護士事務所に入所
日韓弁護士協議会、第12回定期総会 日本側会長に石川泰三弁護士が就任

中国留学生友の会、日中協会に資金が流入


社団法人 日中協会 役員 
会 長 野 田 毅 衆議院議員、元 自治大臣   
理 事 海江田 万 里 衆議院議員 会 賓
崔 天 凱 中華人民共和国駐日本国特命全権大使(第十代) 
小 川 嘉 子 中国留学生友の会世話人代表
加 藤 紘 一 (社)日中友好協会会長、衆議院議員
河 野 洋 平 前 衆議院議長 

野田毅、中国大使館に出入り

韓志強駐日大使館公使,日中協会で講演
2011/08/08
8月3日、当大使館の韓志強公使が日中協会で中国の発展と中日関係について講演した。
これには日中協会の野田毅会長(衆議院議員)、白西紳一郎理事長と会員約150人が出席した。

李春光 93年5月~95年3月福島県須賀川市日中友好協会国際交流員(兼任)
韓志強臨時代理大使,福島県須賀川市日中友好協会一行と会見 
バリバリの支那中共のスパイコネクションに、野田毅は入っている 

現安倍内閣で古賀と野田も所属してる宏池会の支那関連スキャンダルネタ

浜松市と中国・瀋陽市が締結した「友好交流都市協定」の第1弾となる民間交流事業として、
日中書道・水墨画展が浜松市中区のクリエート浜松で開催

瀋陽の著名な水墨画家、王珂氏さん(79)の作品を浜松市民に紹介する事業

王珂(父)王雅丹(娘)李春光(義理の息子でさっき出た支那のスパイ)
元総理の村山富市氏、羽田孜氏、谷垣禎一氏、それから多くの国会議員、
大学教授、著名な学者、財界政界の人々がファン

宏池会出身者は次回の内閣改造で外したほうがいい
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古賀誠
北朝鮮に援助してた建設会社、水谷建設
北朝鮮に関わった水谷建設含む
九州土建屋でブイブイいわせてたのが古賀
九州コンクリート製品協会、顧問に古賀誠の名前

水谷建設含む、土建屋からパーティー券買ってもらう
一部ゼネコンが北朝鮮で得た利益を、こういう賊議員が
パーティー券を『購入させる』ことで、キックバック(利益)を得る

 

 


【これが沖縄の新聞記者だ】「ヘイトスピーチについて考える」 

2014年05月21日 08時15分23秒 | 色んな情報

【これが沖縄の新聞記者だ】「ヘイトスピーチについて考える」 
沖縄タイムス記者 新里健講演
   手登根 安則
5月18日に、那覇市の男女共労参画センターにて開催された、「ヘイトスピーチを考えるシンポジウム」にて、登壇した沖縄タイムスの記者、新里健氏の講演です。
彼は講演のなかで、フェンスクリーン、ハートクリーンを平和運動へのヘイトだと断罪しました。
彼は1度たりとも、私たちの所に来て取材をしたことはありません。...
ヘイワ団体のみという偏った取材内容を平気で真実だと公開し、そして質問の時間をとることなく、言いっぱなしでシンポは閉幕しました。
よってここに、当日の音声と、実際の現場の画像を組み合わせてアップします。
なお、このシンポジウムの写真と動画の撮影は禁止でした。
そしてコメンテーターの一人が登壇中に、「右翼が紛れ込んでいる」とツイート。
その場には、あの有名なチョイさんも見えられておりました。
都合の悪い質問をさせるわけにはいかない、これって言論封殺ですね。
3部に分かれています、まずは①をごらんください。

http://youtu.be/aPL5-fMdoK4
http://youtu.be/1o4C9DBRNao
http://youtu.be/o24oHRWEeHo
【これが沖縄の新聞記者だ】 沖縄タイムス新里健氏講演 ①2014年5月18日に那覇市の男女共労参画センターにて開催された、「ヘイトスピーチを考えるシンポジウム」にて、沖縄タイムスの報道記者、新里健記者がフェンスクリーン活動、ハートクリーン活動について批判を繰り広げました。 驚くべきことに、彼は1度も、ハートクリーン、フェンスクリーンの当事者に取材をしたことはございません。
そして、ヘイワ団体の言うことを鵜呑みにしたことを記載した資料を、来場者全員に配布­したのです。
講演では、清掃や挨拶活動が、平和運動への弾圧であり、フェンスを汚すことは合法であ­ると公言しました。
彼の言葉と、実際のヘイワ運動の姿をオーバーラップしながら、ご覧ください。