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【巨石・伝承】泣石~甲斐武田氏の滅亡へと繋がる悲しい伝承@ 山梨県甲斐市下今井

2021-08-06 | 磐座・巨石・霊石
中央本線塩崎駅より南東へ100mほど行った県道の歩道と路線の間に柵で囲まれた場所にこの巨石はあります。
この巨石に纏わる悲しい伝承もあり今回は、そのご紹介です。

県道6号を塩崎駅方面から甲府方面へ走ってくると歩道脇にフェンスで囲まれ突如現れるこの巨石。
高さ約3.8m 幅約2.7m 奥行約3.7m 重さ推定30tと、かなり巨大な巨石です。この地区の字名「甲斐市下今井字鳴石」にもその名が残っています。
以前は、今ある場所より南東へ100m辺りにあったそうです。

 由緒には、中央の裂け目より水が流れ出ていたとの事ですがその理由に「鉄道の開通と共に水脈が途切れ枯れてしまった」とあります。移動してからも水が流れ出ていたのかは不明です。
 この巨石には、悲しい伝承が残っています。
 天正十年(1582)織田軍侵攻により武田勝頼は自ら築城したばかりの新府城に火をかけ、夫人と他200数余命を引き連れこの地まで逃げてくるのですが、ふと振り返り炎上する新府城を見て夫人と共に涙した場所と伝わります。
 この巨石に残る伝承では“石も中程から涙を垂らして共に泣いた。”と、ありますが 人質を残したままの逃避行だったため城内はそれは、地獄絵図だったと伝わっています。
その後一行は甲府を抜け郡内小山田氏の岩殿城(岩殿山)に向かいますが、信茂の裏切りに合い逃げ場所が無いことを悟った勝頼一行らは、 以前当ブログでも紹介した天目山栖雲寺へ向かうのですが、その途上滝川一益の追手に捕捉され勝頼は嫡男の信勝や夫人と共に自害したのです。(天目山の戦い)
享年37。これによって、甲斐武田氏は滅亡へと繋がります。

以前も投稿した武田八幡神社に残された勝頼夫人の願文もそうでしたがこの泣石の伝承も何ともうら悲しい物語です。

現地案内板
【マップ】


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