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【座学】明治大学平和教育登戸研究所資料館@明治大学生田キャンパス内

2013-10-24 | イベント
明大の生田キャンパス内にて、旧日本陸軍が秘密戦のための兵器や資材を研究開発していた「登戸研究所(正式名:旧陸軍第九技術研究所)」についての座学があると言う情報を知り早速応募して、サクラさんと聴講してまいりました。
座学は、午後からでしたので午前中にキャンパス内に併設されている資料館の見学とその関連史跡を見て歩きました。

小田急線 生田駅からはこちらの生田門からの登校となります。


理工学部4号館前にある“生田神社” 以前は「弥心(やごころ)神社」と呼称していたそうで、もとは登戸研究所が1943年(昭和18年)に、所内で、亡くなった研究者たちの御霊を弔うために建立した神社です。“八意思兼命”をお祀りしているそうです。

説明板(クリックして拡大します)

登戸研究所跡碑 裏面(クリックして拡大します)


当時の消火栓 ☆(五芒星)マークは旧陸軍の紋章

こちらは正門になります。

動物慰霊碑 正門の右手駐輪場横に、ひっそりと建っています。

植村直己記念碑 彼は、農学部出身で不撓不屈の精神を後輩に語り継ぐ「碑」だそうです。

ここは、弾薬庫として使われていたそうです。

登戸研究所資料館 この建物内では、かつて生物・化学兵器の研究開発が行われていたそうです。

館内の様子 リニューアルはされていますが間取りなどは当時のままです。

風船爆弾の模型 驚いたのは9300発を打上げたうち、米国本土に1000発ほどが着弾していたそうです。当時米国内では国民に不安を抱かれないように徹底した報道管制を敷いていたそうです。
一見マンガ見たいな作戦ではありましたが、当時の米国本土を襲った唯一の脅威だったようです。

唯一成果を残した風船爆弾開発の中心だった第一科では、先に電波兵器の開発などの物理分野を担当する部署でした。その殆どは、小規模な実験には成功したものの実用化には程遠いものばかりだったようです。(クリックして拡大します)

当時の状況を残した暗室 

入室時の外光を遮るため、わざとクランプを持たせた特異な構造

第三科では、偽造紙幣を作っていた部署だったそうです。この事実には正直驚きました。
その目的は、当時の敵国(中国)にインフレをもたらし経済を混乱させ、物資の購入を円滑化させ戦争を有利に導くためだったそうです。しかしながら、道義的にも問題となるため第三科は、所内の中でもとりわけ秘密裏な部署だったそうです。

石井式濾水器濾過筒(ろすいきろかとう) “軍事機密”の刻印に着目 細菌戦のおり日本軍の飲料水を確保する目的で開発された濾過器です。

キャンパスには、かつて第三科で偽札を印刷していた施設などがあったそうですが、2011年2月に老朽化で取り壊されていました。

理工学部校舎横には、パラボラアンテナが…。それにしては、設置場所が不自然ですが?

ここで、学食でランチを食べることにしました。

学食内の様子

券売機 全てワンコインで食べられます。

明大カレー¥240 ハーフラーメン¥150 どちらも普通に美味しかったです。

アンケート用紙には、こんな要望も^^;

座学は、中央校舎405号室にて開催されました。

講義室は、ほぼ満席 100有余名の方たちが各地より参集していました。
同大非常勤講師の渡辺賢二氏の講演「陸軍登戸研究所を知ることの意味」と題し、負の遺産でもある同研究所を公開する意義と、今後は平和を創造する文化遺産として国に働きかけておられるそうです。

頂いた豪華な案内パンフレット 定期的に見学会も開催されているようです。
※なお、研究所内の写真は研究資料としてお断りをして撮影させてもらったものです。転載はご遠慮ください。


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