日々平穏 

日々の雑多な話題と管理人の趣味中心の見聞記を紹介

悪魔の町!?秋葉原

2006-02-26 | 徒然
昔からが良く通っている秋葉原ですが、初めて親父に連れて来られた時は、店先ににずらっと並ぶテレビを見て、まるで未来都市に来たかのような感覚を感じたのを覚えています。初歩のラヂオが愛読書だった少年時代は、パーツを買いにガード下のラジオセンターやラジオデパート。当時は無かった今のLAOX コンピュータ館裏の秋月電子へ良く通ったものです。大人になってからは、オーディオ、アマチュア無線にはまり老舗の専門店を覘く日々。パソコンやフィギアと趣味は、尽きることはありません。時間があれば、チチブ電気横のジャンク通りを散策するのが最近のMy秋葉ツアーです。
そんな長く通っている秋葉原ですが、駅前ビルは、老舗の店が次々に消えアニメやゲームのキャラクター、フィギア専門店のビルに変貌し、反対側の市場のあった場所は、近代的なビルが立ち並び、大型カメラ店の進出。つくばエキスプレスの開業と大きくこの街は様変わりしてきました。
そんな、秋葉原ですがその地名の由緒で面白いエピソードがあります。

秋葉原の地は、江戸時代、神田川の北岸を「佐久間河岸」と呼んでいて米や材木、薪炭の収散地として賑わっていたそうですが、当時しばしば大火事が発生し、特に秋葉原には炭問屋が軒を連ねていたため、ひとたび火事が起きると大火になる事が多く江戸の人々は、この佐久間町を「悪魔の町」と呼んでいたそうです。
明治2年(1869)師走に起きた大火事は、神田一帯を焼き尽くし1000件が被害にあう大惨事となって業を煮やした明治政府は、この地に約1万坪もの広大な火除地(防火用の空き地)を造りました。
火防といえば「秋葉大権現」ですが、鎮火の神様である秋葉神社(静岡県浜松市)の分霊が江戸城内に祀られていたので、その「火防の神様」をこの地に移し中心部に「火防の御宮」を建て鎮火神社として祀ったそうです。その後、秋葉神社(今の秋葉神社は、台東区松が谷にある)に名称が改められると神田っ子達は、この辺りを「アキバノハラ」とか「アキバッパラ」とか呼ばれるようになりました。
そもそも秋葉原の読みは、「アキハバラ」ですが、「アキバ」と略して会話する事が良くあります。自分も以前から略して「アキバ」だと思っていたのですが「アキハバラ」の名称は、昭和7年秋葉原駅が開業する際、当時の鉄道省が決めたそうで古くからこの地に住む神田っ子達は、開業時「アキバノハラ」を主張していたそうですが結局認められず「アキハバラ」となってしまったのが真相なのだそうです。
(TOKYO PORTAL SIGHTより)
普段、何気なく通っていた秋葉原の電気街ですが現在の変貌以前の歴史にもいろいろあった街だった事を興味深く感じました。(写真 2005年秋葉原駅前にて)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿