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【神社・史跡】古代イスラエルの礼拝施設(テル・アラッド)にそっくり!?古代祭祀遺跡“磐境神明神社”@ 徳島県美馬市穴吹町口山宮内

2022-02-17 | 神社・仏閣
 前回に続いて発掘写真よりご紹介するのは、同じ徳島県美馬市穴吹町に鎮座する白人神社とその旧社地だったと伝わる奥社の磐境神明神社です。
この神社の奥社の造りが、かなり異質で古代イスラエルの礼拝施設にそっくりの様式を持っていると一時期話題になりました。
ただし由緒などから少なくとも現在の姿については近世以降のものだそうで、成立年代は比較的新しく正直“似ているだけ”と、思えなくもないのですが神社遺構としての特異性に関しては、他に類例がなく貴重な遺構であるのは間違えありません。

白人神社 
祭祀:伊弉冉神、瓊瓊杵尊、天照大神、豊秋津姫命、崇徳上皇、源為朝
由緒:伝承によると、仁賢天皇の時代にこの地に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされる。
保元の乱の後、讃岐国の崇徳上皇を尋ねた源為朝が、阿波国との境にある相栗峠で弓を引いたところ、うなりをたてた矢はこの毘沙門獄に当たり、はねかえって白人神社におちた。一般的には狛犬を置く神社が多い中、白人神社では神様の使いとされるうさぎが置かれており、このうさぎを撫でると開運につながると云われている。WIKIより)
 今回ここを訪れた目的が、こちらの神社の奥社と伝わる道を挟んだ向かい側の丘陵(明神山)の頂上に鎮座する“磐境神明神社”です。

鬱蒼とした樹々の中に続く急な参道石段を登って行きます。
登り切った場所に、石垣で囲まれた異質な空間が突如出現します。
南北約7m、東西約22m、高さ約1.5m、塀の厚さ約2mの積石で長方形の囲状の塀が築かれ南側に3ヵ所の入口、北側に5ヵ所の祠が設けられています。

北側に祠が5か所並んでいます。それぞれ豊秋津姫神、伊弉冉神、天照大神、瓊瓊杵尊、国常立神が祀られています。白人神社の旧社地とも伝わります。

北東角より 前回紹介した矢倉比売神社の五角形の祭壇の様な平たい石を積み上げて造られています。

3か所ある入口のひとつ 
「白人大明神由来書(1779年)」によれば、白人神社より約1町(109m)上の段の明神山という古社床といわれる所で、寛保年間(1741~1743)に芝刈の際にこの石垣が発見されたそうです。

現地案内板 
要約すれば、古代豊作を祈願するため、また一族の安寧を仰ぐため清浄の地として選定した場所とある。また、古代人はここで祝詞をあげ祭りを行ったという。やがて石垣で囲み崇め「磐境」と呼び聖地とした。
これらからこの石垣で囲まれた空間は古くから記紀の神代記にいう「磐境(古代祭祀遺跡)」の類ではないかと推定されているそうです。

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 一時期この石積造りの様式が古代イスラエルの礼拝施設(テル・アラッド)に似通っている事からテレビの特集やムー誌などにも取り上げられ、まさに我々もその話題に飛びついてわざわざ遠路訪れた訳でしたが、真偽は別として確かに現地へ赴くとこの異質な空間は、異国の祭祀施設を思わせる造りである事は間違えありません。剣山の「失われたアーク(契約の箱)伝説」やこの地域にのみ伝わる不思議な遺跡や伝承など今もなおロマンが溢れる地でもあります。
※お断り:訪れたのは、1998年8月とかなり前で現状と異なる可能性があります。
 
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