巨石・磐座カテゴリから今回は、諏訪大社下社春宮の裏手にある「万治の石仏」の紹介です。(写真は、岡本太郎筆の石碑)
ここへは、20年以上前に一度訪ね歩いておりましたが当時はフィルムカメラだったため、まともな写真が無くこの度、諏訪方面へ用事が出来たので少し遠出をして、下社春宮・秋宮へご挨拶がてら参拝して参りました。
下社春宮の脇から裏手に流れる砥川の赤い欄干の橋を渡ると万治の石仏が鎮座されている公園へ行くことが出来ます。
1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を観に来ていた画家の岡本太郎氏、作家の新田次郎氏が、この石仏を観て感嘆されその事を講演や雑誌などで紹介されてから一躍全国に知られることになったそうです。
万治の石仏
石質・・・安山岩
高さ・・・・・2m60cm
横・・・・・・3m80cm
奥行き・・3m70cm
胴回り・・・11m85cm
顔の長さ・・65cm
顔周り・・・・1m38cm
高さ・・・・・2m60cm
横・・・・・・3m80cm
奥行き・・3m70cm
胴回り・・・11m85cm
顔の長さ・・65cm
顔周り・・・・1m38cm
ここでは、独特の参拝方法があります。
1. 正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる
2. 石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
3. 正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する
2. 石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
3. 正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する
Googleストリートビューで、バーチャル参拝が出来ますので体験して見られたら如何でしょうか。
「万治」とは、同仏像の胴部に「南無阿弥陀仏 万治三年(西暦1660年)十一月一日 願主 明誉浄光 心誉慶春」と銘が刻まれていることに由来します。
この万治の石仏には、興味深いエピソードがあります。
明暦三年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。
命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立された…。
と、されているのがこの石仏です。(以上は、こちらの記事より引用し加筆)
その石工の夢枕に茅野の上原山に良材があるとお告げがあり、その通りの良材を見つけることが出来て、石鳥居を完成させる事ができたそうです。
ちなみに、こちらが春宮の石鳥居(二の鳥居)です。
白御影石のなかなか均整がとれた八幡型石鳥居ですが、由緒によるとこの鳥居は、万治二年(1659)の建立とされ、諏訪大社最古の石造物とあります。
ですが、実は今ある石鳥居は、延宝三年(1675)の建立だそうです。
こちらの記事によれば、2012年に由緒に伝わる本来あったと思われる鳥居の礎石が発見されたそうで、その規模から建立時はかなりの大きさだった事が予想出来ます。
もう一つ興味深い話に、なんと!10センチ近く首が伸びたというエピソードがあります。何やらオカルトっぽい話ではありますが、これにはちゃんと調査が入っていて、安全対策のため2008年に再補修工事が行われその際に、原因が判明したそうです。
実は、1991年に一度首が落ちた事があったそうで、その時の補修工事に設けた支柱部に水が溜まりそれが凍ってそれを毎年繰り返すうちに少しづつ頭部が上昇したという事です。
「万治(万事)がうまく行きますように」
春宮・秋宮とここでもしっかりとお願いして、帰路に着いた次第です。
(訪問:2020-08-99)
【マップ】
(参考)ちなみに諏訪大社の四社を巡り全ての御朱印を拝受した事を申し出ると記念品をプレゼントしてくれます。(絵柄はこんな柄です。)
この日は、雨降りで寒くトイレに行った前が「おんばしら館」でしたから見学することが出来ました。
一事が万事(万治)、このように巧く巡ることができると好いですね。
いつも閲覧と、コメントありがとうございます。
そうですね。私どもも幾度と旅先で偶然が重なり見られなかった遺跡を見ることが叶ったりした事があります。
大抵は、たまたま旅先で知り合った方からの情報だったり紹介だったりで、運よく巡り合えたりすることが多いです。
これからも万事うまく事が運んでくれる事を祈りここ八ヶ岳南麓より情報発信して参ります。