風の回廊

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柳田法務大臣辞任に見る本質とは何か?―禁断の刑事訴訟法第47条にふれた男

2010年12月03日 | 日記
【11月22日のmixi日記から】


北朝鮮の砲撃事件で、明日からメディアの報道に載らなくなるかもしれない柳田法務大臣の辞任ですが、そのことに安堵している人たちがいることを忘れてはならないと思う。

野党とメディアが、現役の法務大臣として国会を軽視する発言だとする、地元広島での柳田の(以下敬称略)国政報告会の発言はこの部分です。

(11月18日YOMIURI ONLINEから 引用)
「9月17日(の内閣改造の際)新幹線の中に電話があって、『おい、やれ』と。何をやるんですかといったら、法相といって、『えーっ』ていったんですが、何で俺がと。皆さんも、『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので多くのみなさんから激励と心配をいただいた」

 「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」
(引用終わり)

僕は当初この発言内容を見て、「ジョークでしょ。それに事実だから、何も糾弾するようなことじゃない」と思っていました。たしかに「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから」という部分に主眼を置くと法務大臣という責任ある役職を軽視しているし、「これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これでだいぶ切り抜けてまいりましたけど」という部分もふざけている。国会を軽視しているとも言えるわけで、メディアも野党も柳田のこの部分の無責任さを批判している。
そしてこの二つの柳田の”情緒”に前後している、柳田がもっとも意味を込めて言いたかったと思われる“二つ”に注目してほしい。

◇『個別の事案についてはお答えを差し控えます』
◇『法と証拠に基づいて、適切にやっております』

この二つの言葉は、柳田だけではなく、歴代の法務大臣が国会や記者会見で、事件について質疑される度に答弁してきた、いわば、法務大臣お決まりの答弁ですね。

では、何を論拠に柳田をはじめ、歴代の法務大臣の答弁としてきたかは二つ目の言葉の“法”にあります。

その法は刑事訴訟法第47条です。

(訴訟書類の公開禁止)
第47条
訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない


この条文により、質疑されても個別的事案に法務大臣とはいえ、答えることを制限されています。

柳田は言っています。
◇「実際の問題なんですよ。しゃべれない」
◇「ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」
ここに現役法務大臣の苦悩と自嘲を読みとることができないだろうか?そして現役法務大臣の責任感のようなものが漂っていないでしょうか?

『個別の事案についてはお答えを差し控えます』
『法と証拠に基づいて、適切にやっております』

この二つは互いにリンクし、これには大前提があります。
『適切にやっております』という言葉に示されているんですね。何を示しているかと言えば、

“公訴権を独占している検察が、すべて正義に基づき正しく処理している”ということ。

この大前提に刑事訴訟法47条は明文化されていると言ってもいいし、それを“法”が、検察に求めています。だから答弁は必要なく、個別事案について情報開示の義務は存在しません。

しかし、実態はどうでしょう?
“検察がすべて正義に基づき適切に処理しているのか?”という疑問が残るのは、私たちだけではなく、現役の法務大臣ならもっと強く実感しているでしょう。
例えば、柳田が法務大臣在職中明らかになった大阪地検特捜部による証拠改ざん事件。
その他、検察特捜が捜査、起訴した冤罪の可能性が高い事件が、過去から現在まで目白押しです。一般の刑事事件でも疑いのあるものは少なくありません。
こうした検察の暴走、検察への信頼の崩壊から、柳田は検察の在り方を検討する第三者機関の設置を強く各方面から、多くの国民から要望され、法務大臣の諮問機関である『検察の在り方検討会議』を設置します。

この時の検討会議のメンバー選定の経緯として、委員になったフリージャーナリストの江川紹子はこんな発言をしています。

「官僚から大臣にメンバーの推薦者リストが渡された時、柳田さんは読んだ後、ゴミ箱に捨て、私と郷原信郎さんを入れるよう担当官僚に指示した」

江川紹子、郷原信郎は、特に郷原信郎は、一連の小沢問題の検察の在り方にふれ、極めて理論的に実態を詳細を明らかにしながら徹底的に批判してきたヤメ検(元検事)で、法務官僚、特に検察からもっとも敬遠され、同時に怖れられている人です。江川紹子も然り。

このような事実から、柳田が
“検察がすべて正義に基づき適切に処理しているのか?”という疑問を持っていたことは容易に推測できるし、検察の改革に前向きだったことは明らかです。
そんな柳田の想いが
◇「実際の問題なんですよ。しゃべれない」
◇「ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」
という自嘲とも苦悩とも推察できるこの部分によく表れているのではないでしょうか。

そして柳田は野党とメディアと多くの国民に辞任を迫られる中、辞任発表の前日に記者会見を行います。しかし、正式な記者会見は法務官僚の阻止にあったと思われ、“ぶら下がり記者会見”となる。
おそらく、刑訴法47条をめぐり、法務官僚との間でそうとう激しいやり取りがあったと推察されます。というのは、そのぶら下がり記者会見で柳田は、「辞任しない」ことと「法務省刑事局長に対し刑訴法47条の在り方を検討するよう指示した」と語ります。
刑訴法47条は、たしかに公判前の証拠を守る上で有益な法律でしょう。一方、法務行政のトップである法務大臣が、法務行政の一機関の検察を監視できても、正義に基づいて適切に処理しているかどうか、公開できない大きな壁でもあるわけです。

自民党の歴代の法務大臣と検察は、刑訴法47条を拠り所に、程良い距離を保ちつつ、相互権力の保持に努めてきたことは、検察の膨大な権力と、過去の疑わしい不祥事が明らかにされなかったこと――特に三井環事件に見る当時の政府と検察の癒着――を考えれば明らかで、良心的に考えても自民党の歴代法務大臣と自民党にとっては、検察に踏み込めない、踏み込まない事実の汚点としての記憶があります。
また、官僚と一体となった“官報複合体”と言われる、マスメディアにとっても、刑訴法47条は、程良い距離を保つのにひじょうに都合の良い法律なわけです。
この法律によって、個別的事案に突っ込んだ取材をしなくていいからです。突っ込んだ取材で検察の在り方が問題になれば、それを記事にしなくてはならない。
しかし、開示義務のない聖域にあえて踏み込む必要がない。検察と対峙する必要がない。

つまり、刑訴法47条は、既存権力にとってまことに都合の良い法律であり、ここにふれることは、ひじょうに危険であり、まさに禁断の法律(条文)だったわけです。

昨日、柳田は法務大臣の職を辞し、記者会見を行いました。
Youtubeに掲載されたノーカット版では、刑訴法47条にふれていますが、僕が見た限りのニュース映像では、その部分はカットされ、論議している新聞記事も見当たりません。
もっとも柳田がふれたいと思っていたことが、国民に伝わらないことに柳田はさぞ無念の想いを噛みしめているでしょう。



柳田法務大臣辞任会見ノーカット1/4(10/11/22)


柳田の広島での発言が軽率だったことは間違いありません。もっと他に言いようがあったはず。問題提起のしようがあったはずです。そして重要な問題として心しているのであれば、もっと違ったかたちで表現し、補正予算の審議に関わりなく、事を運ぶことができたはずです。そして辞めるべきではなかったし、辞めさせるべきではなかったと思うのです。
柳田の弱さは、ここにありましたが、菅の周辺にそれだけの力強さをもった議員も見当たらないところが、この内閣の弱点でもあります。

問題の提訴の方法として、自ら作った『検察の在り方検討会』で論議させてもよかったのではないでしょうか。(遅かりしですが、記者会見で自ら言っています)刑訴法47条は、検察の問題にふれることにもなるわけですから。

そして危惧するのは、後ろ盾を失った『検察の在り方検討会』の行方です。
せっかく、郷原、江川という検察がもっとも怖れる人が、委員としているわけですから。
僕はあまり深読みすることや陰謀論的なことを考えたくないのですが、利害の一致ということを考えれば、柳田がいなくなり『検察の在り方検討会』が、事実上機能しなくなり安堵するのは誰か?ということまで考えなくてはならない問題の多い、そして政治的に重要な辞任劇ではなかったかと思います。

後任兼務の仙谷官房長官への期待度ですか?
尖閣事件で、強引に検察を使ったことから考えれば、答えは明らかでしょう。

メディアは、事実にふれても本質にふれません。
尖閣事件も、ビデオ流出事件も、そして柳田辞任劇についても同様です。
メディアの報道により、本質が明るみにされない危険。読者が同じ流れに陥っていく危険を感じるばかりの今日この頃です。



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歴代の法相答弁の制約に法務官僚が使ってきたのがこの条文。その解釈問題には絶対に触れられたくないはず。この点について法相として検討を指示し、検察の在り方検討会議でも検討するよう座長に依頼したのは重要な事実だ。この問題が報じられれば、後任法務大臣への影響は大きい。

郷原信郎のツイートから引用