1961年生まれ、カナダ・アルバータ州カルガリー出身。170cm、115kg (得意技)パワーボム、リフトアップ・スラム
モンスターの存在は今で例えるならば、アメージング・コングとよく似ている。全く無名の素人から一躍、トップレスラーに駆け上がった点は、現代のシンデレラ・ストーリーだった。本名をロンダ・シンという彼女は、少女時代から地元のスタンピート・レスリングの常連ファンで、ダイナマイト・キッドとは同世代。早くからレスラーを志し、地元のカルガリーではなく、ロスにあったミルドレッド・バークのレスリング・スクールを訪ねたのだ。
当初はジャック・リッパーを名乗ろうとしたが、宣材写真が全女の目に留まり初来日が決定。松永会長は見た目のイメージだけで、“120キロの怪物”なんてキャッチフレーズを付けてしまったのだ。それが、モンスター・リッパーの誕生であった。実際のモンスターは120キロこそなかったが、垢抜けない大柄な女といった感じ。20歳そこそこの女性が、日本にやってきて、いきなり「お前は今日からモンスター・リッパーだ!」となったわけだ。この点もアメージング・コングに酷似する。
モンスターとなったロンダ・シンは、来日第1戦でジャッキー佐藤からフォール勝ち。当時、ビューティー・ペアのジャッキーから勝つことは、それだけで日本でトップの座を約束されたようなもの。後日談でモンスターはこの試合が実際のデビュー戦だったという。それは79年1月のことだった。ボディアタックとヒップ・ドロップしか技はなかったが、モンスターは常連となって、初挑戦でジャッキーを破りWWWA世界王座を奪取。ジャッキーとは何度も王座移動を繰り返し、その後はメキシコを主戦場にしていった。
UWAでは、ラ・モンスタルと名乗りルーダ(ヒール)として活躍。その頃、世界ヘビー級王者だったカネックとは、恋愛関係になりメキシコを中心に日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパと各地を転戦した。その後ジャパン女子に来日したこともあったが、91年に全女カムバック。ブル中野と抗争を展開し、金網デスマッチに発展した。
95年にはWWF入り。バーサ・フェイのリングネームで、太っちょの自称アイドル・キャラに変身。まるで「ハッスル」のErika&マーガレットみたいな役どころだった。その年の「サバイバー・シリーズ」に全女の選手を大量に送り込んだため、私も渡米したが久しぶりに対面。試合後、ビールを浴びるほど飲み酔いながら「アタシは日本でデビューしたから、日本で引退したいんだ…」と再来日を頼まれたが…03年に40歳足らずで急死した。
昨年、メキシコのハム・リーのジムにカネックを訪ねた際、リングがある場所にはモンスターが出場した全女のポスターやモンスターのポートレートが何枚も飾ってあった。カネックの中にはまだ、モンスターいや素顔のロンダ・シンが生きているのかもしれない。