rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

3月の雪 市井人の命より経済が優先

2022-03-22 23:30:05 | つぶやき&ぼやき
今日は全国的に、冷たい雨から雪の降る凍えそうな一日だった。
先の東北地方を襲った震度6強の地震の影響で火力発電所が停止していること、悪天候により太陽光発電が見込めないことで、電力の供給が寒さによる需要を賄えない恐れがあるとして、緊急節電要請が出されていた。
けれど、人々の協力と工夫の成果か、大規模停電に至らずに済みそうだ。

実際の寒さもさることながら、心が冷たくなる話を聞いた。
いまさら誰も驚きはしないと思うけれど、後継者がない離農の話だ。
家族の労働力だけでなされる規模の農業は、農作物の価格が上がらなく、生計を維持できるほどの収入に結びつかないため、後継者が育たない。
米の価格自由化に伴い価格は下落する一方で、小規模農家は作り損がこの数年続き、減反政策などなくなっても作付面積は激減中だ。
種、肥料、農薬、除草剤、農業機械数種は必要時にレンタルしたとしても、労働賃金を捻出するならば、60キロ当たり最低でも2万円は欲しいところだろう。
物価上昇率も勘案するならば、大雑把に言っても2万5千円でもいいし、土地改良代の割賦金なども払い続けているから、本音はもう少し儲けたいところではないか。
ところがその半分にも満たない価格で買い取られている。
これでは、誰も農業を続けようと、継いで行こうと思えないだろう。
食料の安定生産は、生きるために必要であり、国家の大前提のはずなのだが。

さて、だからといってスーパーなどで売られている米の価格が安いかというとそうでもない。
自分が一人暮らしをしていた時、一番安い米を買って食べてみたら、切なくなるほど美味しいと思えなく、炊き立てですら悲しくなった。
そして近年、世界的な天候不順や天災、今年は戦争の影響で、軒並み食品の価格が上昇し続けている。
また、エネルギーや工業製品も、資材不足で値上げラッシュだ。
慎ましやかな生活をしていても、家計への打撃はかなり強烈なものといえる。

経済は人間の体にたとえるなら血液とよく言われるが、末端にある細胞である個人や家族まで血液が巡っていない。
今日などは、寒さと空腹に耐えているところも多いのではないだろうか。
これは、日本国内においてでもだ。
どこかで血液の流れが狭められたり、遮られていはしまいか。
動脈瘤はいつかは決壊する。
しかしその前に末端が壊死してしまっては、体を成すことはかなわない。
このまま朽ち果てていくのか、それとも血流を行き渡らせて健康体を目指すのか、心臓に近いところばかりではなく、末端に近いところの弁も意識し、栄養を行き渡らせてもらいたいと願う。
せめて与えられた命が、ささやかな幸せを感じられる程度には。

夏の陽気に強風で花粉爆誕!

2022-03-14 22:36:57 | 日記

ミモザ


なんという暑さ!
カーエアコンの冷房を今年初使用の記念すべき日に?
そして、梅に辛夷、ミモザたちが、急な気温上昇にびっくりして、弾かれたように咲き出した。
ついにあのスギ花粉たちも濃度増し増しで飛びだし、加えて午後から北東の強い風が勢いつけてスギの木を揺さぶるからもう勘弁して欲しいところだ。
車のフロントガラスにもスギ花粉がべったりとこびりつき、ウォッシャー液とワイパーでも敵わないしぶとさ。
今日まで抵抗していたけれど、とうとうアレルギーの薬に助けを求めるしかないと観念しだしている。
ああ、鼻はむずむず、目も痒く、時々発作的にくしゃみの連発、流れる鼻水。
耳の奥、皮膚のやわらかく弱いところもなんだか痒い。
加齢で鈍くなったのと、20年以上食べ続けているヨーグルト、2年くらい続けているルイボスティーで、花粉に負けなくなったと思っていたのは思い過ごしとなった一日だ。


辛夷



今月の課題

2022-03-13 22:23:01 | 創作活動
虚空蔵菩薩

やっちまいました、今気がついた、「ぞう」の文字が間違っている。
「像」ではなくて「蔵」が正しい。
やっちまったものは~しかたがない、これはこれで収めてしまおう。
ということで、線が細くて弱弱しくなってしまったのは、近視眼的に描いたため。
ちょっと集中できていなくて、反省する。

今日は、十三参りという、数え年13歳に虚空蔵尊を祭るお寺にお参りして、英知を授ずけてもらうお祭りの日だ。
うなぎに乗って天から舞い降りたという説もあり、確かにこの地では特に男子にいたってはうなぎを禁食とする慣わしがある。
また、この地を流れる小川には、昔大うなぎが棲んでいて、地域の守り神としても崇められていたそうだ。
どちらかというと、大うなぎ伝説があったから、虚空蔵尊を村松より分社してもらったのではないかと想像する。
確かなところは、後で調べてみたい。
それから、虚空蔵菩薩は、丑年、寅年の守り神でもあるそうだ。

描くならば、しっかり調べてから描いたほうが良いとさらに反省を重ねているのであった。

フランソワ・ポンポン展

2022-03-10 22:51:10 | アート


19世紀から20世紀のフランスで活動した彫刻家フランソワ・ポンポンの展覧会へ行ってきた。
彼は、ロダンのアトリエで下彫り職人として研鑽して後、動物を主なモチーフとした彫刻に取り組んだ。
もってりとしたシンプルなフォルムの彫刻は、和みの効果を持っている。
オルセー美術館にいる白熊は、一度見たなら記憶に残る柔らかなインパクトを放つ。
展示してある作品どれも、家に一つは置いてみたいものばかり。
その中でも、モグラとポンポンが大切に飼っていたハトのニコルをモチーフにした作品は、ちょっと異彩を放っている。
もっともモグラをモチーフに選ぶだけでも驚きだというのに、土の中から突然現れたかのようなポーズのモグラ。
どうしてそうなった?と思わず声を出してしまいそうなほど、だらけてつぶれたような形のハト。
ハトならこうあるべきという形の概念を真っ向から打ち砕く、ポンポンの着眼点に新鮮味と、そこまでリラックスしてしまうハトとの絆に和んでしまった。
ポンポンの作り出す形には、やさしさとぬくもりがあり、芸術を身近に置きたくさせる親近感があふれていた。

展覧会を見たあとに、佐倉城址公園を散策した。
たくさんの桜の古木があり、花の時期には見事であろうと思われる。
下草も綺麗に刈られ手入れが行き届いていて、ゆったり歩くにはとても良いところだ。
駐車場の近くには、梅や彼岸桜が咲いていて、花を愛でる人の姿もちらほらあった。
このように、程よく自然観を維持しつつ気持ちよく整備された公園があることは、文化的環境が充実しているのだと思う。
これからもそれを維持し続けて欲しいものだ。


佐倉市立美術館内立体作品








佐倉城址公園




実家から送る荷物、届く荷物

2022-03-06 18:01:12 | 随想たち
隔月くらいに元中くらいの人から催促のメールが届く。
「米がそろそろ無くなる できればジャムも」
そうだよ、確かにスーパーなどで買う米よりも、一枚の田んぼでとれた米の美味しさを身に沁みて感じた経験を持つ私は、米が無いならばともかくも、無碍に突き放せない。
せっせと精米に行って、ビニール袋に小分けにし5袋用意する。
んんん!?ジャムとな?
昨年は、作りすぎて次のシーズンまで持ち越すことが続いた教訓から、ジャム作りを控え目にしていた。
ところが、手作りブルーベリージャム、ラズベリージャムが当たり前となって消費に貢献しなかった2名が、一人暮らしをするようになってからというもの、ジャムをやたらと欲しがるようになったのだ。
やっと我が家のジャムが相当素晴らしいことを気づいたのか!と満足していたら、なんともう、ジャムが底をついてしまった。
仕方がない、大人でもあり親なのだからと自分に言い聞かせ、最後になった350ml瓶のラズベリージャムを米袋の間にそっと据えたのさ。

さて、実家から送られてくる荷物だが、勝手に何かを期待してしまうこと、誰にもあるだろう。
自分も実家の親から、いまだに時々荷物が届く。
荷物を見て「ドキ」、空ける瞬間「ワクワク」、がさがさ取り出す時「ウキウキ」としてしまう。
だから、もうすっかり大人でもある元中くらいの人への荷物にも、そんな気持ちを味わってもらいたくていろいろ入れてしまう。
米とそれだけあれば、とりあえずおなかを満たせるレトルト食品、ふりかけ、インスタントスープは鉄板、お茶の類、甘いのとしょっぱいお菓子も入れてみる。
どこでも買えるものばかりでも、箱から出てくるとちょっと嬉しいようだ。
しかもまだ新卒で、そんなに潤沢な経済状況でもないから、お菓子などがあるとに余裕が生まれるらしい。

人は、生きるために働き、命を存えるために食べる。
いまの日本は、物価上昇率と賃金上昇率に甚だしい差ができている。
電気もガソリン、食品全般にもわたって値上げが断続的に行なわれ、生活レベル下層の自分でも感覚的に月額1万円以上、1年前より生活費負担増となっていると思う。
このままの生活を維持していては、破綻しそうで恐ろしく、さらに財布の紐を締めなくてはならない。
病気になっても、病院にいくことすら二の足をふんでしまう。
ちょっと前、しばらくぶりに歯の治療をした。
案の定、月を跨いでの治療が一回あり終結したが、例の月ごとの初診料発生で、なんとも気分がよろしくない。
医者も経営と生活があるのは仕方がないにしても、患者にも生活がある。
健康を担保に取られている辛さと、医療機関難民地域では、下手に関係を悪化させたくない気持ちも働く。
ちょっと話が脱線してしまったけれど、経済格差二極化と激上がり物価上昇率で、もう楽しく生きる資源が枯渇しそうな悲鳴、つい漏れ出てしまった。
せめて、人を想う情だけは、無くなりたくはない。