rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

日本サクラソウ、ハナニラ

2012-04-19 21:57:29 | 植物たち

日本サクラソウ



庭の片隅に咲く、日本サクラソウとハナニラ。
どちらも楚々とした可愛らしい花。
春の庭は、忙しい。
懸命に咲く花たちを、忘れずに愛でないといけないから。


ハナニラ

ヒノキ花粉、デビュー

2012-04-19 09:14:58 | つぶやき&ぼやき
今年のスギ花粉は、期間が短く飛散量も少ないように思った。
3週間前あたりには、試みにマスクをはずして外に出て様子を見、調子よいので布団まで干していた。
ところが、1週間前ほどから、くしゃみが頻発。
風邪?
いや、くしゃみの質が違う、激しすぎる。
鼻腔の奥から口蓋の上が猛烈にムズムズする。
エッ?花粉症?
となると、スギじゃなくて、ヒノキってこと?
今まで幸運にも、スギ花粉だけのアレルギーだったけれど、今年からヒノキ花粉も加わったのだろう。
まさにヒノキ花粉の最大放出期。
マスクはまだまだ手放せない。
ゴーグルしないだけ、少しましかな。

それにしても、アレルギーは困りものだ。
特別な治療をしないとアレルギーをなくすことはできないのかな?
簡単に、アレルギー物質は増えてもね。
化学物質と無縁には生きていけない時代に、なす術があるとは思えない。
特にここ100年のうちに、人は地球を徹底的に汚染し続けているもの。
激変した環境に対応型のニュータイプの人類の登場、近いかもしれないなって、SF的なことを考えてしまうよ。

ふんむぅぅぅ・・・耳の奥もむず痒い・・・

トルーマン・カポーティ”夜の樹”、底なし沼の孤独と隣り合う悪夢

2012-04-18 10:30:02 | 本たち
三月初旬にこの短編集をめくり始めてから、一ヶ月以上経って最後のページにたどり着いた。
毎日手に取ったわけではない。
なぜなら、そこに淡々と連なる言葉が、晩秋の雨のように寂しく体の芯まで凍えさせるからだ。
思い直して読み始め、数ページも進まないうちに本を閉じる。
それでも、確実に、心にどろりと冷たいスライム状のものが、沈殿するのだ。

カポーティは、孤独が癒しがたく、特に人の群れ集う都会において、ついには人を飲み込んでしまう危険なものと描き出す。
孤独に囚われないように必死で抵抗、なお絡め摂られてしまう人の姿は、果てしなく続く悪夢のように絶望的だ。
人にとって、認知できる許容量は、個人差はあっても限りがあるだろう。
大都会の、異常に人の密度の高いところでは、電車で隣あう人、歩道を通行する人たち、全てを思いやることはできない。
かえって、全てを気にしていてはオーバーヒートしてしまうから、ただのモノとして処理し、自分の均衡を保つ自己防衛作用が働く。
なにかの折に、ふと自分が小さく、社会において存在を忘れられているのではと、疑念を抱く。
そこから、絶対孤独の蟻地獄に嵌ってしまい、自己崩壊へいく危険が、誰にもあるのだ。

都会ではない、田舎もカポーティの大事な舞台になっている。
都会物よりは、幾分暖かみのある雰囲気を持っているが、人の身勝手さ愚かさ不可解さを描き、やはり晴れ晴れとした気持ちにはなれない。
カポーティは、とことん人間不信なのだろうと、思わずにはいられない。
希望のかけらも、持っていなかったに違いないと、断言したくなる。
自分さえも、嫌い信じているようには見えないから。
人間なんて、ろくなもんじゃねぇ・・・とばかりに。

あいたたたた、どうやらカポーティの”夜の樹”で炙り出された、自分の本性が痛かったのか。
このムンクの絵は、カポーティの世界を視覚化していると思うのだ。
冷たく暗い森に、二人抱き合い歩み寄るが、実は一人なのかもしれない。
慄きが、沈んだ空気を振るわせる。


森のほうへ Ⅱ

凶暴な知能、狡い知性

2012-04-17 17:04:22 | つぶやき&ぼやき
ときどき、なんともやりきれないニュースが飛び込んでくる。
いや、ときどきなんてもんじゃない、しょっちゅうだな。

有史以来、きっと有史前から、人は同胞の人に対して情け容赦ない暴力を揮ってきた。
直接身体に影響をを及ぼす場合、たとえば奴隷などの人身売買がある。
知能のある人間は、言語を使用し、仕事などを効率よくこなせるから、労働資源として非常に有用だ。
また、医学が発達し、人体が特別の価値を持つようになってからは、闇で非情な取引に使われていたりもする。

間接的に人に影響を及ぼすものも、数知れず。
一見自由のように見える、消費行動が、実はさほど選択の余地を与えられていない場合がある。
食品や医薬品、バイオ産業、人を取り巻くあらゆる分野にわたって、効率と利益を優先に、とんでもないまがい物が横行する。
人は、見た目の良さで簡単に騙されたり、権威を盾にした口上に簡単に丸め込まれたりするのだ。
他には、人の弱さや欲につけ込んだ、ギャンブルや麻薬などの中毒性のあるもので、人を搾取する場合もある。
それだけではない、大っぴらに自由資本主義の名の下に搾取が行われている。

人は、もともと平等ではない。
個々の能力、生れ落ちた環境、どれ一つとっても、平等になる要素は無いのだ。
しかし、知能を持ち、知性を身につけられるはずの人間は、なかなか理性をもつことはできないらしい。
何百年経ち、何千年経っても、この面で人は進化できないだろう。
不完全な人、憐れみをもって同胞を、地球に生きるものたちを、思いやる心を忘れないよう、呼びかけをしていくしかないのだ。
絶えず、不完全であることと、凶暴な知能と狡い知性の持ち主であることを。

窓からの眺め

2012-04-16 12:25:19 | 植物たち
肌寒い日が、桜の花を長持ちさせている。
こうしてキーボードを打っている視線を上げると、窓から桜がよく見える。
淡いピンクのソメイヨシノ、薄紅色の枝垂桜、ピンクのボリュームある花を重いほど咲かせている椿、ピンクのグラデーションに彩られた庭。
開けた窓から流れ込むひんやりとした空気と、鳥たちの賑やかな歌声が、春爛漫を感じさせてくれる。
鶯、雲雀、目白、いったい幾種類の鳥たちが囀っているのだろう。
いつも大きな声を上げている、カラスとキジが、今日は控えめだ。

花は、特に木に咲く花は、圧倒的な感動をもたらす。
見上げるほどに大きい木の、枝をゆったりと広げ立つ姿は、神々しくさえある。
そのような木に花が咲くと、胸の辺りがきゅんと締め付けられるようなせつなさ、呆けるように見惚れる忘我の状態が、一気に押し寄せてくるのだ。

命あるもの全てにいえることだが、長く生きるということは、それだけで素晴しいことなのだ。
樹齢何百年となる樹木が、どこの地域においても神格化されるには、単純な感動からきているに違いない。

今、窓から見える桜は、樹齢20年に満たない。
しかし、同時期に植えられた数本の桜の中で、見事な花を咲かせるまで成長したのは、これ1本だけ。
虫が付いたり病気が入ったりしていないわけではないが、ここまでなったのは凄いとといえるだろう。
来年も、そのあとも、美しい花を咲かせて欲しいと願う。