久々の”世界ふれあい街歩き”、今回は、メキシコの中西部にある標高2000メートルの高地にあるパツクアロが舞台。
480年前、スペインの侵略とともに宣教師として布教活動にやってきたバスコ・デ・キロガ神父を、”街の父”としていまも大切に敬っている街だ。
キロガ神父は、杖で水を掘り当てたという逸話を持つ人物だが、侵略者スペイン人の立場を超えて、先住民族を救済すべく力を尽くした偉人である。
西洋文化に蹂躙されない為に、先住民族プレペチャ族(タラスコ族ともいう)が自立する強みを身につけるよう指導をした。
パツクアロ周辺に点在するプレペチャ族の村々に、一村一品の特産品を持つという方策だ。
たとえば、カプーラ村は、焼き物の村として今に至っている。
ファン・トーレスという陶芸家は、カトリーナという骸骨人形を趣向を凝らして創作しているといった具合に。
ちなみに、このカトリーナは、毎年11月に2日間行われる”死者の日”には欠かせないアイテムだ。
先住民族の死生観を表す骸骨を、キリスト教の宗教行事に一緒に飾るようになったことが、死者の日の由来という。
貧富や民族の別なく全てのものに死は訪れることから、つまるところ人は皆平等という死生観の表象として、骸骨人形はあるらしい。
また、パツクアロ湖に浮かぶ一番大きい島のハニツィオ島は、漁業の島。
ワカサギに似た魚などを獲り、生計を立てている。
この魚に塩を振って、油で揚げ、サルサソースとライムをあわせて、トウモロコシの粉で作ったトルティージャで包んで食べると、美味しいらしい。
キロガ神父の残したものに、当番制の炊き出しという習慣があり、今も続いている。
コルンダというトウモロコシの粉で作り蒸しあげたちまきや、煮魚などの伝統料理を無償で分かち合うもの。
これらが、侵略されたプレペチャ族の誇りを守り、伝統として受け継がれていく下地を作ったのだ。
それから、先住民族と侵略者スペイン人との絆を作り上げる為の、”代理親”というものもある。
先住民族のカップルが結婚をするときの証人役として、日本でいうなれば仲人、血のつながらない第二の親子関係を築くこと。
やや押し付けがましく驕った習慣とも思えるが、このような強い手段に出なければ、異文化異民族が深い関係を結びがたかった、苦肉の策のような気がする。
ほかにも、教会前の広場で開かれる朝市では、大きなショールを巻いたプレペチャ族の女達が物品を持ち寄り物々交換する光景が、今も盛んに行われている。
女が元気なところは、良い街だと一説にあるが、信じるに足るものがありそうだ。
パツクアロの街は、赤褐色と白の漆喰の二色使いの壁と、褐色の屋根瓦、灰色の石垣と石畳が、乾いた空に薄水色の抜けるような青空にまぶしい太陽の下に広がっている。
自動車が道路を占拠している風ではなく、時には馬に悠然と乗る人の姿もあるようだ。
穀物店では、人も馬の鳥も豚も同じところに食糧の穀物粉を置いて並べてある。
人だけではない、動物達も同じ生と死を持っている生き物同胞として、この街では生きているのだろう。
ともすると、この街の様子を見て、文明的生活を送っていない発展途上国と思うかもしれない。
しかし、生物、いわんや知的生物として発展途上なのは、そう感じてしまう我々なのかもしれないと、少し恥ずかしくなってしまった。
奇妙な勘違いを犯してしまったのは、いったいいつからなのだろうか。
目先の発達は、心の目を塞いでしまう危険な罠がばら撒かれているのかもしれないと感じる、彼らの暮らしぶりだった。
480年前、スペインの侵略とともに宣教師として布教活動にやってきたバスコ・デ・キロガ神父を、”街の父”としていまも大切に敬っている街だ。
キロガ神父は、杖で水を掘り当てたという逸話を持つ人物だが、侵略者スペイン人の立場を超えて、先住民族を救済すべく力を尽くした偉人である。
西洋文化に蹂躙されない為に、先住民族プレペチャ族(タラスコ族ともいう)が自立する強みを身につけるよう指導をした。
パツクアロ周辺に点在するプレペチャ族の村々に、一村一品の特産品を持つという方策だ。
たとえば、カプーラ村は、焼き物の村として今に至っている。
ファン・トーレスという陶芸家は、カトリーナという骸骨人形を趣向を凝らして創作しているといった具合に。
ちなみに、このカトリーナは、毎年11月に2日間行われる”死者の日”には欠かせないアイテムだ。
先住民族の死生観を表す骸骨を、キリスト教の宗教行事に一緒に飾るようになったことが、死者の日の由来という。
貧富や民族の別なく全てのものに死は訪れることから、つまるところ人は皆平等という死生観の表象として、骸骨人形はあるらしい。
また、パツクアロ湖に浮かぶ一番大きい島のハニツィオ島は、漁業の島。
ワカサギに似た魚などを獲り、生計を立てている。
この魚に塩を振って、油で揚げ、サルサソースとライムをあわせて、トウモロコシの粉で作ったトルティージャで包んで食べると、美味しいらしい。
キロガ神父の残したものに、当番制の炊き出しという習慣があり、今も続いている。
コルンダというトウモロコシの粉で作り蒸しあげたちまきや、煮魚などの伝統料理を無償で分かち合うもの。
これらが、侵略されたプレペチャ族の誇りを守り、伝統として受け継がれていく下地を作ったのだ。
それから、先住民族と侵略者スペイン人との絆を作り上げる為の、”代理親”というものもある。
先住民族のカップルが結婚をするときの証人役として、日本でいうなれば仲人、血のつながらない第二の親子関係を築くこと。
やや押し付けがましく驕った習慣とも思えるが、このような強い手段に出なければ、異文化異民族が深い関係を結びがたかった、苦肉の策のような気がする。
ほかにも、教会前の広場で開かれる朝市では、大きなショールを巻いたプレペチャ族の女達が物品を持ち寄り物々交換する光景が、今も盛んに行われている。
女が元気なところは、良い街だと一説にあるが、信じるに足るものがありそうだ。
パツクアロの街は、赤褐色と白の漆喰の二色使いの壁と、褐色の屋根瓦、灰色の石垣と石畳が、乾いた空に薄水色の抜けるような青空にまぶしい太陽の下に広がっている。
自動車が道路を占拠している風ではなく、時には馬に悠然と乗る人の姿もあるようだ。
穀物店では、人も馬の鳥も豚も同じところに食糧の穀物粉を置いて並べてある。
人だけではない、動物達も同じ生と死を持っている生き物同胞として、この街では生きているのだろう。
ともすると、この街の様子を見て、文明的生活を送っていない発展途上国と思うかもしれない。
しかし、生物、いわんや知的生物として発展途上なのは、そう感じてしまう我々なのかもしれないと、少し恥ずかしくなってしまった。
奇妙な勘違いを犯してしまったのは、いったいいつからなのだろうか。
目先の発達は、心の目を塞いでしまう危険な罠がばら撒かれているのかもしれないと感じる、彼らの暮らしぶりだった。