rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

先住民族プレペチャ族が生き抜く町、メキシコ:パツクアロ

2011-10-22 00:09:49 | 街たち
久々の”世界ふれあい街歩き”、今回は、メキシコの中西部にある標高2000メートルの高地にあるパツクアロが舞台。
480年前、スペインの侵略とともに宣教師として布教活動にやってきたバスコ・デ・キロガ神父を、”街の父”としていまも大切に敬っている街だ。
キロガ神父は、杖で水を掘り当てたという逸話を持つ人物だが、侵略者スペイン人の立場を超えて、先住民族を救済すべく力を尽くした偉人である。
西洋文化に蹂躙されない為に、先住民族プレペチャ族(タラスコ族ともいう)が自立する強みを身につけるよう指導をした。
パツクアロ周辺に点在するプレペチャ族の村々に、一村一品の特産品を持つという方策だ。
たとえば、カプーラ村は、焼き物の村として今に至っている。
ファン・トーレスという陶芸家は、カトリーナという骸骨人形を趣向を凝らして創作しているといった具合に。
ちなみに、このカトリーナは、毎年11月に2日間行われる”死者の日”には欠かせないアイテムだ。
先住民族の死生観を表す骸骨を、キリスト教の宗教行事に一緒に飾るようになったことが、死者の日の由来という。
貧富や民族の別なく全てのものに死は訪れることから、つまるところ人は皆平等という死生観の表象として、骸骨人形はあるらしい。
また、パツクアロ湖に浮かぶ一番大きい島のハニツィオ島は、漁業の島。
ワカサギに似た魚などを獲り、生計を立てている。
この魚に塩を振って、油で揚げ、サルサソースとライムをあわせて、トウモロコシの粉で作ったトルティージャで包んで食べると、美味しいらしい。
キロガ神父の残したものに、当番制の炊き出しという習慣があり、今も続いている。
コルンダというトウモロコシの粉で作り蒸しあげたちまきや、煮魚などの伝統料理を無償で分かち合うもの。
これらが、侵略されたプレペチャ族の誇りを守り、伝統として受け継がれていく下地を作ったのだ。
それから、先住民族と侵略者スペイン人との絆を作り上げる為の、”代理親”というものもある。
先住民族のカップルが結婚をするときの証人役として、日本でいうなれば仲人、血のつながらない第二の親子関係を築くこと。
やや押し付けがましく驕った習慣とも思えるが、このような強い手段に出なければ、異文化異民族が深い関係を結びがたかった、苦肉の策のような気がする。
ほかにも、教会前の広場で開かれる朝市では、大きなショールを巻いたプレペチャ族の女達が物品を持ち寄り物々交換する光景が、今も盛んに行われている。
女が元気なところは、良い街だと一説にあるが、信じるに足るものがありそうだ。
パツクアロの街は、赤褐色と白の漆喰の二色使いの壁と、褐色の屋根瓦、灰色の石垣と石畳が、乾いた空に薄水色の抜けるような青空にまぶしい太陽の下に広がっている。
自動車が道路を占拠している風ではなく、時には馬に悠然と乗る人の姿もあるようだ。
穀物店では、人も馬の鳥も豚も同じところに食糧の穀物粉を置いて並べてある。
人だけではない、動物達も同じ生と死を持っている生き物同胞として、この街では生きているのだろう。
ともすると、この街の様子を見て、文明的生活を送っていない発展途上国と思うかもしれない。
しかし、生物、いわんや知的生物として発展途上なのは、そう感じてしまう我々なのかもしれないと、少し恥ずかしくなってしまった。
奇妙な勘違いを犯してしまったのは、いったいいつからなのだろうか。
目先の発達は、心の目を塞いでしまう危険な罠がばら撒かれているのかもしれないと感じる、彼らの暮らしぶりだった。

フランスのシンガーソングライター、フランシス・キャブレル

2011-10-20 23:19:25 | 音楽たちーいろいろ
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彼の歌声は、じんわりと心に沁みこんで、疲れた心を優しくいたわってくれる。
まるで、いつの間にかやってきて、ふと気が付くと傍に寄り添っている猫のように、強く意識しないうちに自分の心に棲み付いていた。
だから、彼のアルバムは1枚も持っていない。
なにげなくラジオを聴いたりミュージックPV番組を見ていて耳に入り込んでいたのが、時間をおいて蘇り、自分にとって大切な音楽の一つになっていたのだ。
十数年を経て、こうして彼の音楽を聴けるようになったのは、とてもありがたい。
お金に余裕のない青春時代に出会った音楽。
かえって、欲しいものが全て手に入れられないことが、再びそれに出会ったときの感動がいっそう鮮烈で、更に価値を高める、そんなことも幸せなのだと思える。
渇望は、幸福度を高めるスパイスになりえる・・・ということか。

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猫好きだったのね、菱田春草:黒き猫

2011-10-19 22:51:48 | アート
 黒き猫


菱田春草は、横山大観や下村観山とともに岡倉天心の門下生として、明治時代に活動した日本画家。
西洋画の影響を受け輪郭線を排除した「朦朧体」(もうろうたい)を、大観とともに創始し、日本画の世界に新風を吹き込んだ。
37年の短い生涯ゆえに、長命だった大観の陰に隠れた観があるが、春草の早熟で枯れた趣のある絵は、品の良さと清浄な美しさを漂わせている。

その春草の画業で意外に多いものが、猫を描いた絵だ。
調べたうちでは、13点もあるのだ。
猫の持つ、孤独を受け入れ生を楽しむ凛とした佇まいを、さりげなく画面においている。
そこでは、一瞬と永遠を同期させているのだ。
そして、猫は、毛並みよく、まあるい目をしてとても愛らしい。
春草は、モチーフとしてだけ猫を見ていたのではないと確信する。
他によらず、自分の世界を持つ猫を、愛していたのだと。
彼の絵が、なによりも雄弁に物語っている。

自分も猫を飼っているが、春草のように絵を物する事が出来るだろうか。
時折、春草とは比べるべくもないが、我がねこの絵を描いてみる。
雰囲気と愛情だけは、詰めてあると思っている。
いつしか、彼女をきちんとした形に創れたならと、密かな野心を抱いているのだった。




 梅に猫

激しすぎる気象現象

2011-10-18 23:15:44 | 空・雲・星・太陽たち
今年の秋は、ちっとも秋らしくない。
9月、いつまでも夏が居座って蝉の音も賑々しく、「暑さ寒さも彼岸まで」を慰めに過ごしていた。
確かに、その言葉通りに気温は下がったが、急転直下の変動の激しさで、青森や北海道では紅葉前に雪が積もる事態となった。
そして、10月、なんとも真夏日が再来した。
すがすがしく晴れ渡った秋の好日は、ほんの数日しか堪能できない有様だ。
この異常気象は、世界で災害をもたらしている。
インド洋に面したバングラディッシュやパキスタンの大洪水に続き、目下タイと中米のグアテマラやエルサルバドルでも洪水の被害が深刻だ。
日本でも、台風15号の爪あともいまだ深く、復旧に忙しい。
長い地球の歴史の中で、このような自然の変化は些細なことだが、地表にへばりついて生きている人間にとっては、とんでもなく大変なことだ。
産業革命以来、しかも原子力を手にしてこのかた、人間は驕り、実は非力な生き物だということを忘れてしまっているふしがある。
ときどき、ふっと湧いてくる情報に、「隕石衝突で人類滅亡か?」と巷を賑わせたりしているが、映画の「アルマゲドン」のように、隕石を核弾頭で粉砕できるとは思えないし、その放射能を多量につけた破片が地球に降り注ぐことだってありえる。
大きなサイクルの中で、かくも無力な人間は、謙虚になって母なる地球を煩わせてはいけないだろう。
だから、地球とここに生きる同胞達を脅かすことなく、繁栄の道を模索しなければならない。
もしも、頻発する異常気象に、少しでも人間が関与している可能性があるならば、なおのことこれからの行動を改めるように、人間のエゴに振り回されないよう注意深く、幅広い英知を結集してあたっていくのだ。
この場合、国や民族、宗教の垣根を越えることが重要。
何よりも、金神様を妄信しないことが、肝心でもある。
こうしている間にも、膝辺りが冷えてくる。
10月中を過ぎての、標準的な気温なのだと実感し、心なしか安心したのであった。

落ち葉を掃いて、焚き火をする

2011-10-17 23:17:39 | 植物たち
ケヤキの枯葉が、庭にうっすらと舞い落ちている。
竹箒を持ち出し、「ザーッザーッ」と掃き集めていく。
篠竹の藪近くを掃いていると、薮蚊があの不快な音を立て襲い掛かってくる。
いまごろの蚊は、百戦錬磨、見事に毒液を注入していく。
そこで、一刻も早く蚊を追い払う為にも、掃き集めた枯葉に火をつけて、煙を上げる。
ちりちりちり、ぱちぱちぱち、と音を立てて、マッチの火が枯葉に燃え移り、拡がっていく。
ケヤキの葉の焼ける匂いは、あまり印象に残らない。
茶色く硬く渇いた小さな葉が、赤くちりちりと火に舐められ、それからきれいな白っぽくふんわりとした灰になって残る。
周りの燃え残っている枯葉を、そっと竹箒で寄せ集めると、煙と一緒に白い灰が舞い上がっていく。
この土地に住むようになってから、十数年、庭の枯葉を掃き集めては、焚き火をしてきた。
田舎ならではの、長閑な風物詩といえるだろう。
広い庭と、大きな木たちの枯葉には、てこずることもしばしばだが、この作業を愛してきた。
しかし、今年の作業は、なぜか気が重い。
人が、核をおおっぴらに使い始めてこの方、60年以上にわたって、人工的な放射性物質は地球にばら撒かれ続けている。
既に、大なり小なり汚染されてしまっている地球だが、それでも身近に起きてしまったことに狼狽しないではいられない。
高さ10メートルを超えるケヤキの木は、芽吹いてよりずっとこの土地で生きている。
この木がいつ死ぬか分からない。
火事に遭うかも知れないし、雷に打たれるかもしれない。
でも、そうした災厄にあわなければ、人よりも長く生きられる。
ケヤキの木は、その長いだろう生きている時に、周りにいる動植物達がどのように生きていくのかをじっと見守っていくのだ。
いったい、どのようなことが、ケヤキの周りで起こっていくのだろう。
年輪などに刻み込まれるものから、木の記憶が読み取れるとしたなら、世界中の古木を調べてみたい。
1945年以降の年輪に、恐怖の記憶が刻み込まれていたなら、それは生命の悲痛な叫びと警告といえよう。
そして、人間が滅んで後にも、その記憶は毎年のように何万年にもわたって刻み込まれ続けていくかも知れないのだ。