rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

北アフリカ、チュニジア・スース

2010-12-18 22:29:57 | 街たち
お馴染みの「世界ふれあい街歩き」、今回はチュニジア・スース。
地中海に面した、リゾート地。
城壁に囲まれた旧市街の家は、白い壁に青の扉と窓が美しい。
石畳の細い道が、建物の間を縫うように走っている。
商店が連なる界隈に、アラブ世界の生活が濃密に溢れている。
食肉文化を象徴するように、牛の頭がぶら下がり、香辛料の店には、袋でありとあらゆるスパイスと穀類が売られていた。

街で出会った光景に、羊を連れ歩く子供たちの姿が会った。
自宅で飼育している羊だという。
イスラムの祭り「犠牲祭」で、この羊を屠るという。
もちろん、自分たちが育てた羊を殺すのを子供たちは悲しむ。
しかし、それが他の命をいただいて自らの命を永らえるということを、肝に銘じる機会として、野蛮な行為ではないと思う。
きっと子供たちは、食べ物に感謝して大切に食べることを学ぶに違いない。

北アフリカの陽射しは、強く照りつけ、生を鮮やかに浮き上がらせていた。

青い空、黄色い光、スカルラッティのギター音楽

2010-12-18 15:15:41 | 音楽たちークラシック
風が、浮かんでいた白い雲をどこか遠くへ追いやってしまった。
斜めから射す黄色い陽射しは、樹の影をくっきりと映し出し、コントラストの絵を描く。

こんな冬の午後は、ギターの音色が似合うだろう。
あれ、以前も午後はギター音楽・・・とかいたような・・・

今回は、ドメニコ・スカルラッティのソナタ集。
スカルラッティは、スペイン人なので、そのお国柄が良く表れた作品だ。
ギターソロの演奏で、一音一音弦が爪弾かれたち現れるその音間に、たくさんの色彩が煌いている。
黄色く照らし出されるものと影の織り成すアラベスク、スカルラッティの音楽が、互いに補い合って、スペインの地へ一瞬に運ばれる感覚を覚える。

絵画に例えるなら、スルバランの静物画にイメージが重なる。
乾いた澄んだ空気が、辺りに満ちて動かない・・・そのような雰囲気。

チェンバロの曲と、また違った良さがある。
好きなもののひとつだ。

食べる…生きる力

2010-12-17 16:27:27 | 食べ物たち


今日の昼食、ブラックオリーブとケイパーを加えたボロネーズソース・パスタ。
唐辛子で辛さをプラスしているから、パンチが効いていて、とても美味しい。

ボロネーズソースは、家人が若き頃、イタリア人の友人に教わったレシピで作った。
ポイントは、トマトペーストと酸味をまろやかにするための少しの砂糖。

ボロネーズソース【材料】
・牛・豚合挽き肉        400g
・タマネギ            中3個みじん切り
・ニンジン            小1本をみじん切り
・ニンニク             1欠けをみじん切り
・トマト水煮缶          2缶
・トマトペースト         大さじ4
・ローリエ            1枚
・赤ワイン            50cc
・固形コンソメ          1個
・塩・コショウ・オリーブオイル・砂糖・オレガノ・バジル    

ボロネーズソース【作り方】
>オリーブオイルでニンニクをいためる
>香りが出たら、タマネギを入れしばらく炒め、ニンジンを加えて炒める
>挽肉を入れて加熱、塩・コショウで下味をつける
>赤ワインを注ぎ、アルコール分を飛ばすように加熱してから、トマトの水煮缶とトマトペーストを加え、水煮缶半分くらいの水も加え、ローリエを入れて煮る 
>材料の表面におおう水分がなくなるくらいに煮詰め、ローリエを忘れず取り出す
>固形コンソメと塩・コショウ、それから好みに砂糖で酸味を調整、(トマトケチャップを変わりに入れても良い)
>オレガノ・バジルで風味付け

唐辛子をオリーブオイルで辛さを引き出し、このソースを入れ、ケイパーの塩漬けとブラックオリーブを適量加えてパンチを効かせても美味しい。
見た目にもポイントができる。

美味しく、楽しく食べることは、生きているものにとって大切なこと。
喜び食べるのは、生きる力になる。

今日の悲しい出来事に、「自分の人生を終わらせたい」と、無差別に人を刺傷する事件がおきた。
幸いにも、被害者の方は軽症だとのこと、心の傷は深いと察するが、命に別状がなかったのは、なによりだ。
加害者は、弁解の余地がないくらい身勝手な行動をとった。
自分の人生を終わらせたければ、人を巻き込まなくても良いはずだ。
しかし、そうできなかったところに、かえって人の悲しさが見え隠れする。
そこには、自分の人生を終わりにしたいが、すっぱりと思い切れない未練がにじみ出でいるようだ。
加害者のSOSが、発信されているように感じられてならない。
詳しい動機は、まだ伝えられていない。
ただ、自分の非をすぐさま認めている様子から、加害者の声にならない叫びが聞こえて気はしまいか?
自分の存在意義が見出せずに、孤独に押しつぶされ、破滅の行動に向かうしか思いつかなっかた悲しさ。
かといって、その行動は、償おうとしても、償いきれるものではない。

このような事件が度々起こる今の状況に、心が痛む。
小さいことだが、毎日食べる食事、これが喜びを持って食べられることが大切ではないか?
機械的に咀嚼し、飲み込む、味気ない食事を取っていたら、心が収縮して、生きる気力が失われていってしまうだろう。
人と食事の楽しさを分かち合うもよし、料理をして食べ物を愛しみ感謝するもよし、味覚を通してやってくる幸せを感じられると、本能に根ざした生の実感を得られると思う。

この幸せを最初に見出す場が、家庭。
家族の心のこもった手料理や、一緒に食卓を囲む幸せを体験する機会を、是非とも持たなくてはいけない。
それがあれば、人は自暴自棄になって、自分や他人を軽んじる行動を取らせないためのひとつの堤防になると、自分は思うのである。
   

高密度体トーキョー

2010-12-16 16:03:08 | 街たち
久しぶりに、東京を訪れた。

通勤圏が近づくにつれ、車窓にうつる風景に建物の割合が増えていく。
長閑な田園風景から、一戸建て住宅の間隔が狭くなり、高層集合住宅が点在し始める。
ついで、高層集合住宅の規模が大きくなる。
それらの間を埋めるように中小規模集合住宅や、一戸建て住宅がジグソーパズルのように入り込んでいる。
建物の密度もすごいが、そこに人々が暮らしていると思うと、あまりの高密度にくらくら目が回ってしまう。

街を歩く。

ありとあらゆる店舗が立ち並ぶ。
いろいろな国の言葉が、流れてきては消えてゆく。
電光パネルには、音と映像がめまぐるしく映し出される。

さまざまな人、ものが、大量かつ断続的に押し寄せてくる。
まるで津波のように・・・
「あっ!」思わず声が漏れ出る。
油断していると、飲み込まれどこかに流されそうだ。
無防備に、全て受け入れていたら、自分が粉々に砕けてしまいそうだ。
盾を持ち、鎧に身を固め、絶え間なく溢れ来るものから、身を守らなくてはいけない。

強力な引力で光さえも飲み込んでしまうブラックホール。
トーキョーは、地球に点在するブラックホールのひとつだ。
そんなトーキョーに吸い込まれたら、いったいどんな世界が待ち受けているのだろうか?
自分船の舵を取りきれるか、笹舟のように流されるがままか、遭えなく海の藻屑となってしまうかどうかは、自信がない。

魅力と魔力を併せ持つトーキョー。
トーキョー以前に強い引力を持つ街は存在した。
後発のトーキョーは、前者の撤を踏まない老獪さを持つ。
手練手管で、その求心力を、これから先も手放すことはないだろう。

森茉莉と犬養美智子、須賀敦子ーコスモポリタンとは

2010-12-14 09:05:34 | 本たち
森茉莉、犬養美智子、須賀敦子、彼女たちの共通点は青春をヨーロッパで過ごしたこと。
熱烈に、ヨーロッパを愛していること。

ヨーロッパかぶれが無きにしも非ずだが、青春に受けた感銘は一生その人の心に刻み込まれるもので、その時期、何に影響を受け夢中になったかの違いなので、誰しも思い当たるところがあるだろう。

彼女たちはもちろん日本も愛している。
日本の文化を誇りに思っている。
ヨーロッパが好きなら、それ以上に日本が好きなのだ。

本来の良さを認識するには、他を知り、客観的に見られる視点がいるだろう。
鳥のように、地のどこにも属さず、自由に空を舞い俯瞰するのだ。
コスモポリタン・・・
世界が狭くなりつつ今、しかし、それがかえって世界を遠くに追い遣っていく。

範囲が広くなり、多種多様な人種・民族、習慣、言葉、宗教、価値観・・・それらを偏見無しに受け入れることは難しい。
身近な狭いところでも、ちょっとした違いが心の軋轢を生むのに。

他を知っても、認めることはなかなか容易ではない。
「分かり合える」という幻想に踊らされているせいかもしれない。
「分かり合えない」からこそ、それぞれを客観視して、見えない膜に包まれているそれぞれの孤独を思いやるのが大切なのだと考える。

森茉莉は、自由奔放なゆえに孤独を分かっていた。
犬養美智子は、歴史に翻弄された境遇ゆえ、「分かり合えない」孤独を知っていた。
須賀敦子は、愛する人の死によって、人の見えない膜の孤独を知った。

生まれるときも一人、死ぬときも一人。
孤独だからこそ、思いやる心が大切ではなかろうか?