ハルジオン
都忘れ
ここ二日間、強風が吹き荒れ続けた。
昨日は、乾燥して暖かい西南の風と照りつける陽射しで気温は夏日となり、まだ作付けをしていない畑の表土を猛烈に巻き上げて、夕方まで吹いていた。
特に風の通り道で、しかもなんの遮るものもないところに植えつけた洋ナシやブルーベリーの木が、哀れなほど風に押されていた。
日が暮れてようやく気温が下がってきても、風が収まる気配はない。
朝になり、北東からの冷たい風は雨を伴い、北側の窓に叩きつけていた。
気温はぐんぐんと下がり、前の日の夏から一気に10度以上寒くなり、ぐずぐずと仕舞い遅れていたコタツが復権した。
どうにもこの天気は激しすぎる。
ここに載せた写真は、嵐の前の5月5日に撮ったもの。
人が勝手に雑草とラベリングしたハルジオンは、薄ピンクの可憐な花をたくましく咲かせている。
都忘れは、年々その勢力を拡大して、存在感をアピールする。
家人が木の自然な曲がりや枝の分岐をうまく利用して作ったブラックベリー用の添え木の活躍が、大いに期待される。
ジャーマンアイリスもゴージャスな姿とその芳香で、今年も我が家を愉しませてくれようとしている。
しかし、その後の嵐で、それらはすっかり変わり果てた姿になっているかもしれない。
どうやら予報では、明日も天気は落ち着かないようだ。
石川県では大きな地震に見舞われて、そのあとの荒天がさらに人々の困難を増している。
自然の猛威の前では、人はなんと無力で儚いものか。
だからこそ助け合い、あれこれと困難に備えるのだ。
そのためには、利己的功利的な考えから離れて、公共性公益性を優先させて社会を運営してもらいたい。
昨今を見るに、市民<国という流れで利己的功利的な思惑が強く働いているように感じられる。
いったいどこへ向かっているのだろう。
人として命を授かって生きているけれど、生まれてよかったと、生きていて幸せだと思える人の世界を、地球という生命連合のなかで慎ましやかに築いていく努力を怠っているように思えるのである。
ブラックベリーとナチュラル志向の添え木
ジャーマンアイリス
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