rock_et_nothing

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柔らかな光の中で、フェルメール:手紙を読む青衣の女

2012-02-02 11:33:05 | アート

手紙を読む青衣の女

渋谷Bunkamura”フェルメールからのラブレター展”を訪れた。
青く高い空が、空気の冷たさに磨きをかけていた日だった。
平日の午前中ともあって、展覧会場は、まだ人で溢れかえってはいない。
鑑賞者達は、皆整然と順番よく絵の前に並び、絵に見入っていた。
フェルメールと同時代のオランダの画家達による絵が、展示されている。
当時流行の様式なのだろう、室内画が多い。
庶民の、中産階級の、日常的な光景が、モチーフだ。
時には、申し合わせたかのように、若い女性のコスチュームが、各作家に共通していたり、構図も似通ったものもある。
今とは違い、著作権などないに等しく、工房制をひいていると人気の絵柄を複数生産していた場合もあるくらいだから、そのようなことも珍しくはない。
並んだ作品を見ていると、名画といわれるものとそうでないものの差が、自ずと見えてくる。
しかし、350年も時を経てきた作品には、それだけで時の重みの風格が備わっていることも事実。

会場を進んだ中ほどに、フェルメールの部屋が設けられたいた。
”手紙を書く女” ”手紙を読む青衣の女” ”手紙を書く女と召使” が、順番に展示されている。
フェルメールに駄作はないにしても、これら三点のうちで”手紙を読む青衣の女”は、よい。
簡素な室内の柔らかな光が満ちてくるほうを向いて、手紙を読む女。
壁の乳白色、壁に掛かる地図と女の髪の色が溶け合う淡黄褐色、明るい空色を映す女の衣の青、椅子の背もたれの深い青、地図の錘となる棒とテーブルに掛かるクロスの夜の青そして絡む褐色の布。
つまり、白と青と褐色の3色で構成されたシンプルな世界。
その色の響き合いと調和が、この絵を成り立たせている。
絵は、ここで完結している。
続くのは、普遍の美という、ただそれ一点のみ。

行きつ戻りつ、展示された絵を眺めた。
どの作品も、至高の美を目指してもがいている。
我こそは、今度こそは、と。
その頭上にぽんと輝く、キラ星のようなフェルメールがいる。
その光に浴することができることも、また幸せ。
もっとも、フェルメールさえも恋焦がれる更なる高みのキラ星も、この世にあるのだろう。
それは、いったいなんなのか。
被造物は、到底創造主たり得ないさだめなのだとしたら・・・