1年前の今日、りおさんがプラちゃんだってことを聞きました。
母は過去のことをあんま覚えてないタイプなんで、告知の日のことあんま覚えてないんですけど、
「めっちゃ寝耳に水」
だったことは確かです。
りおさん予定日よりも1ヶ月近く前に破水してしまって、2090gの小さい赤ちゃんでした。
普通分娩だったし、産婦人科では保育器入ってなかったんですよ。
よく寝る子だなーって思ってたけど、
なおさんもそれはそれはよく寝る赤ちゃんだったんで、
あんま気にしてなかったんですよね。
産婦人科は個人病院だったんで、
母の入院中(5日間)は母子同室で一緒に過ごしたんですけど、
翌朝、先生から、
「赤ちゃん元気は元気ですけど、まだ小さいんで、新生児科のある病院へ転院にさせてね。」
って言われ、
母の車で、今お世話になっている総合病院へ転院となったわけです。
経管栄養のチューブは、確か3週間くらいで取れて、主治医から、
「少しずつ元気にはなってるけど、やっぱりあんま泣かないんで、
一応脳波と染色体の検査をさせて下さいね。」
って言われても、
「あー念のためねー。」
って思うぐらいで、
全然大丈夫って思ってました。
それが1年前の今日の告知で!!!
正に寝耳に水!!!
告知って普通どういう感じか知らないんですけど、
母は個室とかそんなとこじゃなく、
授乳室で、先生に告知を受けました。
しかも旦那はん、それまでは仕事帰りに毎日病院に通って、りおさんに授乳してから帰って来てたんですが、
年末は激務でほぼ病院に寄れていない状態で、
告知は母1人で受けましたです( ̄ー ̄)
帰って仕事中の旦那はんに電話で、プラダーウィリーのことを伝え、
そのあと折り返しがかかってきた旦那はんに、
(↑多分ネットで色々調べたんと思う。)
「大変かもしれんね。
でも、おれらの子じゃけ、大丈夫よ。
おれ今まで大体大丈夫だったし。
なおもおるしさ。大丈夫よ。」
みたいなことを言われ、
その日の夜は、普通に予定していた忘年会に、おっさんは旅立って行きました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/down.gif)
(↑こんな日もやっぱり飲み行くんかい。って思いましたけどね。
ほんとのほほんとしたおっさんで困ります
)
って感じの告知でした。
1年早いですわー!!
それからしばらくおセンチ期だったんで、
当分しんどかったですけど、
もうあの時ほどしんどいことはないんじゃないかなー??って思ってます。
国に指定される程の難病と付き合っていく以上は、この先色々あるんでしょうけどね。
もしかしたら、思った以上に毎日笑顔で過ごせるかもしれないし。
そしたら今悩んでることってほんと無駄な時間だなーってある時ふと思えたので。
何か問題が起こるなら、起こった時にまた考えようと思います。
なるべく問題起きないように、できることは全部するんで、
明日も1年後も10年後も、家族元気に仲良く笑って過ごせていますように!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e0/08ffb4438b56a6c9e58920a276e08c0f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/77/d03122d0fd278ac846f9b285c59338cd.jpg)
母は過去のことをあんま覚えてないタイプなんで、告知の日のことあんま覚えてないんですけど、
「めっちゃ寝耳に水」
だったことは確かです。
りおさん予定日よりも1ヶ月近く前に破水してしまって、2090gの小さい赤ちゃんでした。
普通分娩だったし、産婦人科では保育器入ってなかったんですよ。
よく寝る子だなーって思ってたけど、
なおさんもそれはそれはよく寝る赤ちゃんだったんで、
あんま気にしてなかったんですよね。
産婦人科は個人病院だったんで、
母の入院中(5日間)は母子同室で一緒に過ごしたんですけど、
翌朝、先生から、
「赤ちゃん元気は元気ですけど、まだ小さいんで、新生児科のある病院へ転院にさせてね。」
って言われ、
母の車で、今お世話になっている総合病院へ転院となったわけです。
経管栄養のチューブは、確か3週間くらいで取れて、主治医から、
「少しずつ元気にはなってるけど、やっぱりあんま泣かないんで、
一応脳波と染色体の検査をさせて下さいね。」
って言われても、
「あー念のためねー。」
って思うぐらいで、
全然大丈夫って思ってました。
それが1年前の今日の告知で!!!
正に寝耳に水!!!
告知って普通どういう感じか知らないんですけど、
母は個室とかそんなとこじゃなく、
授乳室で、先生に告知を受けました。
しかも旦那はん、それまでは仕事帰りに毎日病院に通って、りおさんに授乳してから帰って来てたんですが、
年末は激務でほぼ病院に寄れていない状態で、
告知は母1人で受けましたです( ̄ー ̄)
帰って仕事中の旦那はんに電話で、プラダーウィリーのことを伝え、
そのあと折り返しがかかってきた旦那はんに、
(↑多分ネットで色々調べたんと思う。)
「大変かもしれんね。
でも、おれらの子じゃけ、大丈夫よ。
おれ今まで大体大丈夫だったし。
なおもおるしさ。大丈夫よ。」
みたいなことを言われ、
その日の夜は、普通に予定していた忘年会に、おっさんは旅立って行きました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/down.gif)
(↑こんな日もやっぱり飲み行くんかい。って思いましたけどね。
ほんとのほほんとしたおっさんで困ります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
って感じの告知でした。
1年早いですわー!!
それからしばらくおセンチ期だったんで、
当分しんどかったですけど、
もうあの時ほどしんどいことはないんじゃないかなー??って思ってます。
国に指定される程の難病と付き合っていく以上は、この先色々あるんでしょうけどね。
もしかしたら、思った以上に毎日笑顔で過ごせるかもしれないし。
そしたら今悩んでることってほんと無駄な時間だなーってある時ふと思えたので。
何か問題が起こるなら、起こった時にまた考えようと思います。
なるべく問題起きないように、できることは全部するんで、
明日も1年後も10年後も、家族元気に仲良く笑って過ごせていますように!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e0/08ffb4438b56a6c9e58920a276e08c0f.jpg)
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