我が家のキロク。

4人家族の地味~な毎日を綴ります。

告知の日のこと。

2015-12-27 13:41:10 | 2015年12月
1年前の今日、りおさんがプラちゃんだってことを聞きました。


母は過去のことをあんま覚えてないタイプなんで、告知の日のことあんま覚えてないんですけど、
「めっちゃ寝耳に水」
だったことは確かです。


りおさん予定日よりも1ヶ月近く前に破水してしまって、2090gの小さい赤ちゃんでした。


普通分娩だったし、産婦人科では保育器入ってなかったんですよ。
よく寝る子だなーって思ってたけど、
なおさんもそれはそれはよく寝る赤ちゃんだったんで、
あんま気にしてなかったんですよね。


産婦人科は個人病院だったんで、
母の入院中(5日間)は母子同室で一緒に過ごしたんですけど、
翌朝、先生から、

「赤ちゃん元気は元気ですけど、まだ小さいんで、新生児科のある病院へ転院にさせてね。」

って言われ、
母の車で、今お世話になっている総合病院へ転院となったわけです。


経管栄養のチューブは、確か3週間くらいで取れて、主治医から、

「少しずつ元気にはなってるけど、やっぱりあんま泣かないんで、
一応脳波と染色体の検査をさせて下さいね。」

って言われても、


「あー念のためねー。」


って思うぐらいで、
全然大丈夫って思ってました。



それが1年前の今日の告知で!!!
正に寝耳に水!!!



告知って普通どういう感じか知らないんですけど、
母は個室とかそんなとこじゃなく、
授乳室で、先生に告知を受けました。


しかも旦那はん、それまでは仕事帰りに毎日病院に通って、りおさんに授乳してから帰って来てたんですが、
年末は激務でほぼ病院に寄れていない状態で、


告知は母1人で受けましたです( ̄ー ̄)


帰って仕事中の旦那はんに電話で、プラダーウィリーのことを伝え、
そのあと折り返しがかかってきた旦那はんに、
(↑多分ネットで色々調べたんと思う。)


「大変かもしれんね。
でも、おれらの子じゃけ、大丈夫よ。
おれ今まで大体大丈夫だったし。
なおもおるしさ。大丈夫よ。」


みたいなことを言われ、
その日の夜は、普通に予定していた忘年会に、おっさんは旅立って行きました
(↑こんな日もやっぱり飲み行くんかい。って思いましたけどね。
ほんとのほほんとしたおっさんで困ります


って感じの告知でした。


1年早いですわー!!
それからしばらくおセンチ期だったんで、
当分しんどかったですけど、
もうあの時ほどしんどいことはないんじゃないかなー??って思ってます。


国に指定される程の難病と付き合っていく以上は、この先色々あるんでしょうけどね。
もしかしたら、思った以上に毎日笑顔で過ごせるかもしれないし。
そしたら今悩んでることってほんと無駄な時間だなーってある時ふと思えたので。


何か問題が起こるなら、起こった時にまた考えようと思います。
なるべく問題起きないように、できることは全部するんで、
明日も1年後も10年後も、家族元気に仲良く笑って過ごせていますように!!