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700万人の憲法改正署名集めた日本会議 

2016-05-29 18:47:36 | 書房

--- 『日本会議の研究 (扶桑社新書)』 (菅野完・著)が異例のベストセラーになっている。日本会議に関しての“率直な見方”を記したこの本は、インターネットでは批判の嵐に晒され、大炎上を 巻き起こして いる。そうなるとバックに巨大な支持層を抱えているようにも思える。実際、日本会議の関連団体は、憲法改正に向けての署名集めで、すでに700万人分を集 めたと発表している。---

>>>700万人の憲法改正署名集めた日本会議 

                       出典:週刊ポスト2016年5月27日号

 『日本会議の研究 (扶桑社新書)』(菅野完・著/)が異例のベストセラーになっている。「日本会議」は1997年に設立された団体で,憲法改正などを掲げ,安倍政権と密接に関わるとされている。

 この日本会議とはどのような団体なのか。前身となる団体を含め、日本会議の事務方のメンバーと数十年前から交流のある村上正邦・元自民党参議院議員会長は、組織の内実をこう語る。

「古くから日本会議にかかわっているメンバーたちが原点としているのは宗教法人生長の家(※注)を設立した谷口雅春先生の教えです。谷口先生は現行 憲法を占領基本法だと批判していて、憲法改正というならばまず明治憲法の復効を宣言し、その後に改正すべきだと主張していた。諸悪の根源は現憲法ですよ。

【※注/谷口雅春氏が1940年に創設した宗教団体。1964年から憲法改正など保守的な政治活動を展開してきたが1980年代は政治活動は停止】

 私のように谷口先生を尊敬している人間は今も少なくない。でも、今の日本会議は谷口先生の思想を押しやって、憲法改正だけを主張している。うわべだけ法を改正すればいいと主張している、本質が抜けた集団になってしまった。谷口先生の憲法論はどこへいってしまったのか」

 外から分かる現象だけを追っていると、政権に絶大な影響力を持つ組織のように見えるが、内実を知る人に聞くと「日本会議は決して“怪物”ではない」という声が聞こえてくる。村上氏はこう続けた。

「マスコミはあたかも日本会議が安倍内閣を取り仕切っているような言い方をしているが私は不思議だ。政府とともに自主憲法制定・改正を一緒にやっていこうといっているに過ぎない」

 菅野氏も同様の見方をしている。

「日本会議というのは得体の知れない巨大組織というイメージで取材を始めましたが、資料を読み込んでいくと、むしろ70年代安保の頃から愚直に講演会や勉強会、署名活動など、保守系団体としての地道な運動を続けてきた人たちだということがわかってきた」

 保守系団体、ネット右翼などに詳しい著述家の古谷経衡氏も、「政権全体への影響力でいえば、選挙のたびに600万~700万票を集める創価学会の方が大きいでしょう。安倍政権にメンバーが多いのは、全国に支部がある保守組織だからではないでしょうか」と評した。

  そういった日本会議に関しての“率直な見方”を記した『日本会議の研究 (扶桑社新書)』は、インターネットでは批判の嵐に晒され、大炎上を巻き起こして いる。そうなるとバックに巨大な支持層を抱えているようにも思える。実際、日本会議の関連団体は、憲法改正に向けての署名集めで、すでに700万人分を集 めたと発表している。

 

村山正邦氏

 村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年8月21日 - )は、日本の政治家である。元参議院議員(4期)。福岡県田川郡添田町出身。在職中は参議院自民党において多大な影響力を持ち、「参院のドン」と呼ばれていた。

2000年10月、KSDの不正経理疑惑発生(KSD事件)。翌2001年1月、村上の側近だった自民党参議院議員小山孝雄(村上の元政策担当公設秘書、生長の家出身)が逮捕され、村上の周囲にも疑惑が広がる中、自民党参議院議員会長を辞任。同年2月、KSD事件で賄賂を受け取ったと報道される。2月28日に証人喚問された際、訴追の恐れを理由にいくつかの質問に対して証言拒否をした。世間の混乱を招いたとして、自民党を離党し、議員辞職した。3月1日に受託収賄の容疑で逮捕された。

2003年5月20日、東京地裁で懲役2年2ヶ月、追徴金約7288万円の実刑判決を受ける。2005年12月19日、東京高裁でも一審判決と同じく懲役2年2ヶ月、追徴金約7280万円の実刑判決を受ける。2008年3月27日、上告が棄却され、実刑が確定。その後、異議申し立ても4月14日に却下され、5月15日、東京高等検察庁により東京拘置所に収監された。6月10日に栃木県にある「喜連川社会復帰促進センター」に移され、2009年10月28日に仮釈放され、2010年5月5日に刑期満了となった。
                                                      --出典:ウィキペディア

 

 『日本会議の研究』 菅野 完著より

 ■日本会議を作った男が語る「戦後50年決議」の真相 --出典 p62~p63

 日本会議の歴史を追いかけるには、どうしても避けて通れない男がいる。
 亀井静香をして「2000mの地下から這い上がった男」と感嘆せしめ、野中広務をして「あんた、天下を獲るつもりじゃないだろうね」と驚催せしめた男。
 参院議員でありながら、渡辺美智雄なきあとの旧中曽根派を継承し、派閥のドンとして歴代の総理総裁選びに絶大な影響力を行使し続けた男。
「生長の家」をはじめとする宗教票をバックにし、参院に君臨し続け「参院のドン」「参院の法王」、「村上天皇」と呼ばれた男。
そう,村山正邦だ。
 村上正邦こそが、日本会議を作り、その前身である「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」 のリーダーとして、彼らの国民運動の先頭に立ち、この連載のメインテーマの一つである「日本青年協議会」を「大人の世界」に紹介した人物だ。
 彼に話を聞かずして日本会議の歴史は語れない。日本会議の歴史だけではない。村上正邦の証言なしで、今の安倍政権の背後に蠢く「一群の人々」を語ることはできないだろう。
 2015年8月某日、その村上正邦本人を、永田町の事務所に訪ねた。
 広いオフィスの一角に、清潔な応接セットが置かれている。村上氏はそのソファーに座り、出迎えてくれた。
「じゃ、まず、ご挨拶ね」
 名刺交換の間にもこちらの表情を確実に観察する眼光は、あくまでも鋭い。だが、いささかも嫌な気持ちはしない。むしろ愛嬢を感じるほどだ。
 事務所の正面には神棚。その下には、谷口雅春真筆の「天皇国日本」の大きな額。神棚の左右には小ぶりの額が飾られている。きっと村上氏の参院選初出馬に際し、谷口雅春がしたためたという手紙だろう。
「よくわかったな。あれは雅春先生から頂戴した手紙だ。僕はこれからも、谷口雅春先生が目指された憲法改正と優生保護法改正を、すこしでも成し遂げようと、活動していくつもりだ」
                                        
 そう語るときの目は、まるで少年のようだ。声の張りも83歳とは思えない矍鑠(かくしゃく)たるもの。「老いてますます盛ん」という言葉は、この人のためにこ そ、ある。
 この人物だ。
 この人物こそが、1995年の「戦後50年決議」策定の舞台裏で、決議文作成の交渉の中心にいた人物だ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(・以下略)
                                  

 


日本会議の研究 (扶桑社新書)


「右傾化」の淵源はどこなのか?
「日本会議」とは何なのか?

市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、
そして極めて民主的な、市民運動の王道を歩んできた「一群の人々」がいた。

彼らは地道な運動を通し、「日本会議」をフロント団体として政権に影響を与えるまでに至った。
そして今、彼らの運動が結実し、日本の民主主義は殺されんとしている。――

安倍政権を支える「日本会議」の真の姿とは? 中核にはどのような思想があるのか?
膨大な資料と関係者への取材により明らかになる「日本の保守圧力団体」の真の姿。
 扶桑社刊  800円


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