見出し画像は、宮家の方がご来訪された記念でしょうか。
大正時代は、記念を残すようなことだったのですね。
左の写真は、「月を射る」というモニュメント。第2回荒川リーバーアートコンテスト特賞とのことですが、そもそもこのコンテストって???
ちょうど、裏の木がバックに入り、モニュメントから茂っているみたいに撮れました。
次の写真は、草刈の碑。昭和13年から昭和18年の6年間、荒川土手で草刈競技が行われていたそうです。前回記したとおり、平成くらいまではここは、荒川土手とつながっていたわけですから。
今も、草刈王だとか、競技にしているところもあるようですが、この当時は、鎌だったようですね。
今の競技は電動だったりとかナイロンコードだったりとか、農作業の進歩が如実に表れているようです。
「農民魂は先ず草刈から」との書は、かつての農業の様を表しているのかもしれません。
下部に刻まれている由来記にも、その傾向は見られます。
由来記
草刈は日本農民の昔ながらの美風で農民魂の訓練であり発露である。
金肥の流行につれて草刈が衰へ始めたので、有畜農業の普及は却って益々草刈の必要を認めたから、草刈奨励の為め有志相図り幾多の曲折を経て、漸く男女青年団農学校壮年団と四組に分ち、全国に亘って町村大会郡大会都道府県大会と選手を選抜し、最後に全日本草刈選手権大会を昭和十三年八月より此の地に前後六箇年開いた。
鎌を競う選手四万余名、熱戦各二時間に亘り両岸に観衆溢れ旗指物なびいて一世の壮観であった。
大東亜戦のためやむなく中止したが、草刈魂を永達に伝ふるため農業国体其他篤志家の寄付を仰ぎ、茲に草刈の碑を建立した。
蓋し農は国の大本草刈、堆肥は土を作る農業の根本だからである。
昭和三十二年十月
全日本草刈選手権大会理事長 横尾堆肥居士撰
金肥って、いわゆる人糞??それらは、江戸時代から関東近辺では、用いられていたはずですが、全国的にはどうだったんですかね。「流行」という言葉が気になりますが。
戦中のこういう空気感は、不思議な感じがします。