またまた天野さんと一緒に。
つい先日、天野さんとフランス歌曲とフランス文学について話が盛り上がった。
天野さんはインテリなので、おそらく知ってるだろうとは思ったけれど、話のツーカーぶりに同志の域を感じてしまった。
中学生くらいの時にエマニュエル夫人とか、続エマニュエル夫人とか、チャタレイ夫人とか観たり読んだりしますよね?って話をして、天野さん曰く当然のように「まぁね、でもチャタレイ夫人はすごくよかったよ〜」。
コレ!
やっぱり芸術家ってこうですよ!
なんかいいんだって、凄いらしい、で観たり聴いたり読んだり〜の自由な日々を思い出す。
中学生くらいの頃、ゲーテだ、ハイネだ、シェークスピアだ〜と、とりあえず凄いらしい人の本やら詩を読み漁っていた。
おそらく三分の一も理解できてないと思うけど、とりあえず難解な文章を読みきった満足感だったのかなぁ。
詩集はホントに好きで、いろんなものを読んで妄想を楽しんでいた。
そのうち家の前にレンタルビデオ屋さんができて、父とともに棚の片っ端から順に全部観る!という目標をたてて、毎日二本の映画を観ていたこともあった。
おかげで昔のB級ホラー映画はほとんど網羅していたりする。
そんな流れで、ラクロの「危険な関係」を映画化したフランス映画も観たことがあった。
フランス貴族社会の退廃した世界が描かれている映画なのだが、当時、真面目に観たというのに全く内容を理解できなかったのがショックで忘れられずにいた。
高校生くらいの頃、今度はハリウッド版で、あのキアヌリーブスが出ていると聞き、再びリベンジに燃えて鑑賞したが、これまた撃沈でさっぱり何をどう受けとればよいかわからずに終わってしまった。
その2に続く
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