私の病気は、「境界例人格障害」と診断されているけど、
ホントにうまいこと名前付けやがって、と思う。
最近ひしひしと感じる、「普通」と「異常」の境界。
ちょっとした人の言葉や言動、もしくは何も無くても、
「別人格の私」が現れてくる。
自分が自分じゃなくなる時が1番怖い。
最近夜眠れなくて、夜になると、勝手に涙が出てくる。
そして、その感情を、誰かにぶつけたくてぶつけたくて、
ついつい友達に電話をしてしまう。自分で何で電話しているのか、相手に何を期待しているのか分からないのに。
最近ひしひしと感じた。
いくら相手に訴えても、帰ってくるのは一般論ばかりで、
更に自分がおかしくなって、結局誰にも理解されないんだ
と心に刻み込まれ、死にたいと言う感情に達する。
「普通」と言う定義は人それぞれだけど、やっぱり
私が感じる「普通」の人にいくら訴えたところで、
無理なんだ。きっと私もこんな人生送っていたら、
理解不能だろうと、頭では分かっている。
でも心が、理解者を求めている。
私がいつも1人だと感じてしまうのは、やっぱり
自分の痛みを分かってくれる人が、近くに居ないからだろう。
友達も家族も、姉妹も居るけど、強く「この世に1人だ」
って感じてしまうのは、そのせいだろう。
同じ病気の人と話していると、落ち着く。
やっぱりこの痛みは、自分が体験した人じゃないと
分からない。ある意味、「身体的外傷」を持った人が
羨ましいと思う。周りが優しくしてくれるから。
それは”目に見える苦しみ”だから。
心の痛みは、目に見えない。
自殺を選ぶ人が居るほど、苦しい病気なのに、
軽視されているのが現状。
「死んで悲しませてやりたい」
そんな思いが頭を巡ってしまう。
きっと死んでも、分からないのだろうけど。
弱い奴としてかたづけられるのだろうけど。
結局、人に期待はしちゃいけないと思った。
期待するほうが馬鹿だ。分かって貰おうとしている方が馬鹿なんだ。
もう人に何も求めない。
もう人に期待しない。
もう人に簡単に心を開かない。
今は、塾に居る時が、唯一自分が生きていると
実感できる時だ。
ホントにうまいこと名前付けやがって、と思う。
最近ひしひしと感じる、「普通」と「異常」の境界。
ちょっとした人の言葉や言動、もしくは何も無くても、
「別人格の私」が現れてくる。
自分が自分じゃなくなる時が1番怖い。
最近夜眠れなくて、夜になると、勝手に涙が出てくる。
そして、その感情を、誰かにぶつけたくてぶつけたくて、
ついつい友達に電話をしてしまう。自分で何で電話しているのか、相手に何を期待しているのか分からないのに。
最近ひしひしと感じた。
いくら相手に訴えても、帰ってくるのは一般論ばかりで、
更に自分がおかしくなって、結局誰にも理解されないんだ
と心に刻み込まれ、死にたいと言う感情に達する。
「普通」と言う定義は人それぞれだけど、やっぱり
私が感じる「普通」の人にいくら訴えたところで、
無理なんだ。きっと私もこんな人生送っていたら、
理解不能だろうと、頭では分かっている。
でも心が、理解者を求めている。
私がいつも1人だと感じてしまうのは、やっぱり
自分の痛みを分かってくれる人が、近くに居ないからだろう。
友達も家族も、姉妹も居るけど、強く「この世に1人だ」
って感じてしまうのは、そのせいだろう。
同じ病気の人と話していると、落ち着く。
やっぱりこの痛みは、自分が体験した人じゃないと
分からない。ある意味、「身体的外傷」を持った人が
羨ましいと思う。周りが優しくしてくれるから。
それは”目に見える苦しみ”だから。
心の痛みは、目に見えない。
自殺を選ぶ人が居るほど、苦しい病気なのに、
軽視されているのが現状。
「死んで悲しませてやりたい」
そんな思いが頭を巡ってしまう。
きっと死んでも、分からないのだろうけど。
弱い奴としてかたづけられるのだろうけど。
結局、人に期待はしちゃいけないと思った。
期待するほうが馬鹿だ。分かって貰おうとしている方が馬鹿なんだ。
もう人に何も求めない。
もう人に期待しない。
もう人に簡単に心を開かない。
今は、塾に居る時が、唯一自分が生きていると
実感できる時だ。