境界例と闘う銀子

6月21・22で過去1年の日記を書いた。最初のページを読んでもらえると嬉しい。

期待するな。

2006-09-14 00:47:40 | Weblog
私の病気は、「境界例人格障害」と診断されているけど、
ホントにうまいこと名前付けやがって、と思う。

最近ひしひしと感じる、「普通」と「異常」の境界。

ちょっとした人の言葉や言動、もしくは何も無くても、
「別人格の私」が現れてくる。

自分が自分じゃなくなる時が1番怖い。


最近夜眠れなくて、夜になると、勝手に涙が出てくる。
そして、その感情を、誰かにぶつけたくてぶつけたくて、
ついつい友達に電話をしてしまう。自分で何で電話しているのか、相手に何を期待しているのか分からないのに。

最近ひしひしと感じた。


いくら相手に訴えても、帰ってくるのは一般論ばかりで、
更に自分がおかしくなって、結局誰にも理解されないんだ
と心に刻み込まれ、死にたいと言う感情に達する。

「普通」と言う定義は人それぞれだけど、やっぱり
私が感じる「普通」の人にいくら訴えたところで、
無理なんだ。きっと私もこんな人生送っていたら、
理解不能だろうと、頭では分かっている。

でも心が、理解者を求めている。

私がいつも1人だと感じてしまうのは、やっぱり
自分の痛みを分かってくれる人が、近くに居ないからだろう。
友達も家族も、姉妹も居るけど、強く「この世に1人だ」
って感じてしまうのは、そのせいだろう。


同じ病気の人と話していると、落ち着く。


やっぱりこの痛みは、自分が体験した人じゃないと
分からない。ある意味、「身体的外傷」を持った人が
羨ましいと思う。周りが優しくしてくれるから。
それは”目に見える苦しみ”だから。

心の痛みは、目に見えない。
自殺を選ぶ人が居るほど、苦しい病気なのに、
軽視されているのが現状。


「死んで悲しませてやりたい」

そんな思いが頭を巡ってしまう。
きっと死んでも、分からないのだろうけど。
弱い奴としてかたづけられるのだろうけど。

結局、人に期待はしちゃいけないと思った。
期待するほうが馬鹿だ。分かって貰おうとしている方が馬鹿なんだ。


もう人に何も求めない。
もう人に期待しない。
もう人に簡単に心を開かない。


今は、塾に居る時が、唯一自分が生きていると
実感できる時だ。