以前読んだ「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル)を、
母親の読書会の7月の課題本だったので、読み直しました。

読み直していて思い浮かんだのが、
映画「ショーシャンクの空に」
脚本も書いたフランク・ダラボン監督は、
「夜と霧」の影響を受けたのではないだろうか。
(原作はスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」です)
なぜならわたしのなかで、映画と小説の内容が重なる部分がいくつもあったのです。

(胸に縫い付けられた番号、どちらも象徴的です)
まず映画の主人公アンディ(元エリート銀行員、妻殺しという無実の罪で服役)が、刑務官に節税の方法を教えるところ。
それを機に、アンディの刑務所での待遇はかなりよくなるのですが、
小説「夜と霧」のフランクルも、精神科医ということでナチス親衛隊員の悩みを聞いてアドバイスしたことで、
親衛隊員から守ってもらえるようになります。
アンディは、待遇がよくなり、図書室の助手へ異動となりすぐに管理人に昇格するのですが、
図書室に送られてきた古本の中に「フィガロの結婚」のレコードを見つけ、
それを刑務所内に大音量で流すのです。
突然流れてきた美しい音楽を、うっとりと聴き入る刑務所の囚人たち。
小説では
収容所の作業中にみる、今まさに沈んでいく夕陽、この世のものとは思えないような赤く燃え上がる西の空。
その光景に被収容者たちは心奪われ立ちすくんだ。
「被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。
この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった」と書かれています。
この箇所を読んだ時に、「ショーシャンクの空に」の↑のシーンが浮かび、ふたつが結びついたのです。
映画のアンディは、勝手にレコードを流したことで懲罰房に2週間入れられます。
出てきた後、地獄だったろう?という仲間に、快適だったと。
「モーツァルトを聴いていた。頭の中で・・・。心でも」
「音楽は決してひとから奪えない」
「心の中には、あるものがある、だれにも奪うことができないあるもの、君の心の中にも」
それはなんだと問われ、アンディは答えます。
「希望だ」
そして、別のシーンでは、印象的なセリフが2回繰り返されます。
"Get busy living or get busy dying"
「必死に生きるか、必死に死ぬかだ」
小説では、
「わたしたちが生きることからなにかを期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」
というこの作品のテーマともいうべき言葉がでてきます。
読書会で、どういう意味なのかを話し合いました。
そのなかで70代のIさんが、
著者は、収容所から解放後この経験を発表する目的を持って冷静に観察し、それを実践した。
未来の著者が、今現在の苦しい現実の著者を待っていたことになる。
つまり「未来のあなたが、あなたを待っている」ということだと思う。
そうおっしゃいました。
過酷すぎる状況のなかで生き抜いたフランクルやアンディ(フィクションですが)とは比べようもないけど、
それでもわたしたちも生きていれば様々な出来事が起きて、様々な選択を迫られるわけです。
希望なんてどこをどう探しても見当たらない状況でも、
それでも希望を失わずに生きていく。
それは自分の未来を信じているということでもある。
「夜と霧」「ショーシャンクの空に」
テーマは同じなのではないかと感じました。

母親の読書会の7月の課題本だったので、読み直しました。

読み直していて思い浮かんだのが、
映画「ショーシャンクの空に」
脚本も書いたフランク・ダラボン監督は、
「夜と霧」の影響を受けたのではないだろうか。
(原作はスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」です)
なぜならわたしのなかで、映画と小説の内容が重なる部分がいくつもあったのです。

(胸に縫い付けられた番号、どちらも象徴的です)
まず映画の主人公アンディ(元エリート銀行員、妻殺しという無実の罪で服役)が、刑務官に節税の方法を教えるところ。
それを機に、アンディの刑務所での待遇はかなりよくなるのですが、
小説「夜と霧」のフランクルも、精神科医ということでナチス親衛隊員の悩みを聞いてアドバイスしたことで、
親衛隊員から守ってもらえるようになります。
アンディは、待遇がよくなり、図書室の助手へ異動となりすぐに管理人に昇格するのですが、
図書室に送られてきた古本の中に「フィガロの結婚」のレコードを見つけ、
それを刑務所内に大音量で流すのです。
突然流れてきた美しい音楽を、うっとりと聴き入る刑務所の囚人たち。
小説では
収容所の作業中にみる、今まさに沈んでいく夕陽、この世のものとは思えないような赤く燃え上がる西の空。
その光景に被収容者たちは心奪われ立ちすくんだ。
「被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。
この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった」と書かれています。
この箇所を読んだ時に、「ショーシャンクの空に」の↑のシーンが浮かび、ふたつが結びついたのです。
映画のアンディは、勝手にレコードを流したことで懲罰房に2週間入れられます。
出てきた後、地獄だったろう?という仲間に、快適だったと。
「モーツァルトを聴いていた。頭の中で・・・。心でも」
「音楽は決してひとから奪えない」
「心の中には、あるものがある、だれにも奪うことができないあるもの、君の心の中にも」
それはなんだと問われ、アンディは答えます。
「希望だ」
そして、別のシーンでは、印象的なセリフが2回繰り返されます。
"Get busy living or get busy dying"
「必死に生きるか、必死に死ぬかだ」
小説では、
「わたしたちが生きることからなにかを期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」
というこの作品のテーマともいうべき言葉がでてきます。
読書会で、どういう意味なのかを話し合いました。
そのなかで70代のIさんが、
著者は、収容所から解放後この経験を発表する目的を持って冷静に観察し、それを実践した。
未来の著者が、今現在の苦しい現実の著者を待っていたことになる。
つまり「未来のあなたが、あなたを待っている」ということだと思う。
そうおっしゃいました。
過酷すぎる状況のなかで生き抜いたフランクルやアンディ(フィクションですが)とは比べようもないけど、
それでもわたしたちも生きていれば様々な出来事が起きて、様々な選択を迫られるわけです。
希望なんてどこをどう探しても見当たらない状況でも、
それでも希望を失わずに生きていく。
それは自分の未来を信じているということでもある。
「夜と霧」「ショーシャンクの空に」
テーマは同じなのではないかと感じました。

コメントありがとうございます。
わたしのほうこそ同じ感想のかたがいらしたなんて感激してます。
素敵とはほど遠い自分語りなblogですが、また気が向いたらのぞいてみてください。
ちなみに中学生が書いた「夜と霧」の読書感想文です。
14才でここまで読み込むとは驚愕でした。
https://mainichi.jp/maisho/articles/20230203/kei/00s/00s/004000c