you are my sunshine

40代で始めて今や60代。
光陰矢の如し。年明けたらあっという間に年の暮れ。

文化の脱走兵 奈倉有里著

2024-07-24 | 
書店の平積みでみつけた、奈倉有里さんの最新作。

お名前は高橋源一郎の飛ぶ教室(NHKラジオ)のゲストにいらしたことで知る。
その時に紹介された(多分)エッセイ「夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く」を購入して読んだら、とてもよくて。

肩書きはロシア文学研究者・翻訳者。
以前本屋大賞をとった「同志少女よ、敵を撃て』の著者逢坂冬馬さんのお姉さんでもある。

手にとり、パラパラとページをめくっていたら、最後のほうで柏崎という文字を見つけた。
ロシアに柏崎?
すぐさまレジへ。
支払いを済ませそのまま近くの椅子に腰掛け、柏崎の章を読みはじめた。

ふいに泣きそうになる。
柏崎、出かけたが、住んだことはない。
わたしがいたのは新潟市内。
なのに一瞬にして、新潟で過ごした日々の記憶が鍋から一気にお湯が吹きこぼれるようにぶわぁーっと溢れ出てきた。

自転車を飛ばせばすぐ海。
台所の窓から見た夕焼けが怖いくらいのオレンジ。
料理の火を止めて、急いで娘と海へ向かう。
水平線に沈む太陽は息を飲むほど美しい。
月もまた手が届くかと思えるほど。
夏の夕暮れ、波の音は優しかった。

冬になれば一面が銀世界、どこまでも。
深夜、シーンとした世界に、除雪車の音だけが遠くから聞こえる。

夏は海水浴、冬はスキー、朝採りのとうもろこしや枝豆。

記憶のどれもがくっきりと鮮明なのに驚く。

書かれている柏崎のページの内容とは関係ないのに。
どういうこと?
いよいよ号泣しそうになり、自分でもわけがわからず、慌てて本を閉じ、立ち上がった。

急いで家に帰り、最初から読む。



「悲しみのゆくえ」
わたしが常々思っていたこと、それでいいんだと書いてもらった気がした。

「道を訊かれる」
奈倉さんはひとによく道を訊かれるらしい。
わたしもそう。
好きな作家津村記久子さんもそうらしい。
ご自身がエッセイに書かれていた。
おふたりと被る点などひとつもないはずなのに「道を訊かれる」という共通点があったことがとても嬉しい。ただし奈倉さんは外国でもその国のひとから道を訊かれるというからレベルが違いすぎなんだけどね。

なぜ奈倉さんが柏崎に住もうと思ったのか。
その理由を知り、なぜにそこまでと。
なぜにそこまで自分事とするのか。
そんなひとの書く文章だからひかれるのだろうか。
偽善的な自分が恥ずかしくなる。


~大丈夫。
人はこれまでもそうして強い悲しみを抱えながら、それゆえに少しでも個々の人々の権利を守ろうとしてきたし、その軌跡はたくさんの本に描かれている。ただ人間はあきれるほどに忘れっぽく、目新しいことを言っていると思い込んでいる人物に限って過去の過ちを繰り返すというだけのことだ。けれどもそうして戦争がおこなわれるというのなら、文学は何度でも考え直し、示してみせよう。それは憎しみの連鎖を止めるための、人類の大切な共有財産だ。戦争の本質的な悪を、身勝手な権力の構造を、そこから生まれる社会の不安や管理社会の息苦しさを、無念な市民の思いを、恐れずに語り続けよう。~
(「悲しみのゆくえ」より抜粋)

今の政治家は、本など読んでいないのだろうなと思うひとが増えたと、どなたかが新聞に書いていた。

目が疲れるしそもそも視力が落ちた。
内容が頭にはいってこないことも増えたけど、それでも本を読むことはわたしの楽しみ。
これからもずっと楽しみであり続けることを願う。
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