烏鷺鳩(うろく)

切手・鉱物・文学。好きな事楽しい事についてのブログ

イギリス 恐竜切手 1991年:Owen’s Dinosauria 1841

2018-05-03 | 切手


上段左から、イグアノドン、ステゴサウルス、ティラノサウルス。下段左から、プロトケラトプス、トリケラトプス。
それぞれの骨格にカラフルな彩色が施されている。X線写真の様な雰囲気もある。まるで実際に目の前にいる恐竜を、X線カメラごしに見ているかのような気分にもなる。
図案の左下には、実際の大きさと人間の大きさを比較する図が示されていて興味深い。
なにより、恐竜の骨格デザインがカラフルで美しい。おしゃれだ。


こちらは「スタンプショウ2018」にて捕獲した恐竜切手のうちの1シリーズである。念願の「オーウェン ダイノサウリア 1841」である。こういうのがあると、コレクションもちょっと大人っぽく見えるに違いない。箔が付くというか、なんというか、権威主義は嫌いなのだけれど、ちょっとまあ、有名どころも押さえておいて損はないよね、的な。


この切手は、リチャード・オーウェンという19世紀イギリスの古生物学者であり解剖学者が、「恐竜類:Dinosauria」という言葉を初めて提唱してから、150年目にあたる年に記念して発行された。

世界で最初に命名された恐竜は1842年にウィリアム・バックランドが命名したメガロサウルスで、続いて1825年にギデオン・マンテルが命名したイグアノドンである。これらと、1833年に命名されたヒラエオサウルス(よろい竜類)を合わせて、1842年に、のちに大英自然史博物館の初代館長となるリチャード・オーウェンが、「恐竜」という分類群を提唱したのが恐竜という名称の始まりである。(『現代思想・2017年8月臨時増刊号』p.52)


そう、「恐竜」という言葉が史上初めて登場したのが1842年である。恐竜学の歴史に関して書かれた本や、その記述にも出てくる記念すべき年は「1842年」である。
おやおや、150周年記念の切手ならば、1992年に発行するのが筋だろう、そう思われた方々も少なくはあるまい。この私も、「なぜ1991年に発行されたのか?」「1841年というのはどういうこと?」というもやっとした疑問を抱き続けていた一人である。
数え方の問題? 数え年なんて概念イギリスにあるの? それとも前もって前年に発行してみたとか?
色んな疑問がもやもやっとわいてくる。


そんなもやっとした問題を抱えつつ、久しぶりにヒサ クニヒコさんの『新・恐竜論 地球の忘れものを理解する本』を読もうと、ぱらぱらページをめくっていた。「ヒサ クニヒコ」さんの本は、幼い頃何度も何度も読み返した。ぼろぼろになって汚くなっても現在手元に残しているくらい、大切な本だったのだ。
当時最新の研究に裏打ちされた恐竜のイラストは、「本物もきっとこんな風だったに違いない」と思わせてくれるほど、生き生きとしたものだった。「ヒサ クニヒコ」という名前は幼き頃の私にとって恐竜情報の最前線を意味していたのである。
2000年代初頭までの研究をまとめたこの『新・恐竜論』に十数年前に出会った時には、懐かしさを感じると共に、恐竜に対するあこがれやわくわくする気持ちが一気によみがえったものである。ヒサさんのイラストはやっぱりヒサさんらしくて。子どもの頃の恐竜に関する知識が刷新され、新たに興味が増すきっかけになった。だから今でも「ヒサ クニヒコ さん」と呼んで親しんでいるのである。


すると、なんという奇跡。
ヒサさん、さすがである。このイギリスの恐竜切手に関する私の疑念を払拭してくれる記述がこの本からみつかったではないか!!
(ていうか、私、読んだのに忘れてたのか・・・。おいおい、である。)



次々みつかる大型の絶滅した爬虫類化石に対して、はじめて「恐竜」というカテゴリーに集約、分類がなされたのが1842年のことである。ロンドンにあるイギリス自然史博物館の初代館長でもあるリチャード・オーエン(1804~1892)によるものだ。彼は古生物学者であり解剖学者でもあった。原生の爬虫類やさまざまな化石動物と比べて、イグアノドンやメガロサウルス、さらに当時発見されていたいくつかの絶滅爬虫類化石は、あきらかにトカゲとは違った大きな特徴を持っていると考えたのだ。

そして1841年の夏にプリマスでおこなわれた英国科学振興会の学会の席で、この絶滅した巨大な爬虫類グループに対して恐ろしいトカゲ、ダイノサウリアという分類を提唱したのである。そのことを記念して、1991年には恐竜命名150周年の記念切手がイギリスで発行されたほどだ。

ところが最近の書物では恐竜の命名は1842年と記載されているものも多い。1841年でも、1842年でも、たった一年違いで本当はどうでもいいのだが、物のはじまりというのには、どうもけじめをつけたがるようなのだ。イギリスではもちろん1841年の学会発表説をとるのだが、実は恐竜という名が印刷物で出てくるのは、1842年に発刊されたプリマスでの学会の報告書の中なのである。41年に口頭で発表したのを42年に印刷したのだから「恐竜」の誕生は1841年というわけだ。

ところがどうでもいいことを研究する輩もいるもので、当時の文献や報道を細かく調べ、実は41年の学会当時は、まだオーエンは恐竜という概念をまとめきれておらず、翌42年になってはじめて恐竜という言葉をつくり印刷物の中に入れたのだということをつきとめたのである。こういうのも恐竜研究というのかどうかわからないが、ゆえに恐竜の本の中では、1841年と書かれたものも1842年と書かれたものも併存することになったのだ。(『新・恐竜論』p.15)


というわけで、もやっとした疑問、すなわち、なぜ「1841年」から150周年に切手を発行したのかが無事解決したのである。
切手はある意味、国の威光を前面に押し出したり、国のアピールに使われるものでもある。イギリスの威信をかけて発行された切手は、イギリスの結構高いプライドによってより早い年代に合わせられていたのである。


それにしても、この辺の事情までお調べになっているヒサさんも、ある意味すごいなと思う。
そして自分の記憶って、結構いい加減というか。他の話題に関する記述は覚えていたのに、切手の部分というか歴史の部分がすっぽり抜け落ちていたことが、びっくりである。
かつて、恐竜はのろまで馬鹿な生き物だった、と言われていた。とんでもない誤解である。そりゃ人間のエゴである。記憶力の弱さでいったら、私の方が大分弱い可能性があるのだ。他の動物を人間の基準で馬鹿にしちゃいけないのである。



【参考文献】
・『現代思想 2017年8月臨時増刊号 恐竜 古生物研究最前線』(青土社 2017年8月10日)
・『新・恐竜論 地球の忘れものを理解する本』 ヒサ クニヒコ著 (PHP研究所 2004年3月10日)