それでオリンピック選手の場合であるが、これは自分がもらった額よりもはるかに多くの公費をいただいて日本の代表(公人)として赴いているのである。過去自分がいただいた微々たる公費にもあれだけの義務と制約がかかってきているのであるから、当然オリンピック選手にはそれよりもはるかに大きな有形無形の義務と責任がかかってくるはずである。それを負けた選手が「自分が楽しめました」などと笑顔でコメントするのは自分としてもどうも釈然としないのである。国民の期待を背負ってその重圧に負けないように優しい声をかけてあげることは重要である。そしてもし結果が伴わなくても応援する側の国民としてはいたわりの声をかけてあげることは大事である。しかしそれと選手のもっている責任云々とは別問題なのである。オリンピックは国境を越えた人類の交流の場である。それは正しい。その理念は大事である。しかし理念とは別に、現実的には一国の代表として公費を遣い赴くのであるのだから、果たすべき個人的ならぬ公人的責任というものは付きまとうものなのである。<o:p></o:p>