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本当の私

日々感じた事を記録していきます。

わかっているのに。

2017年09月01日 | 認知症
母が認知症であること。
そしてそれが、少しずつ進行していること。
記憶する事が、困難になり、今のことも覚えられなくなってきていること。

わかっているつもり?

レストランで食事を始めたら、お腹のあたりをごそごそして、袋に入った歯ブラシを取り出した。
そして、
自分でお腹に挟んであった歯ブラシを取り出したにもかかわらず、
なんでこんなもんがあるの?
と何度も聞く。
そして、お腹から歯ブラシを出したことも、
もう、覚えていない。

歯ブラシはどこから来たのだろう。
レストランのトイレを覗きに行った。
お客様用に、歯ブラシが何本かな立ててあるのを発見。

トイレから歯ブラシを、お腹に挟んで出てきた。
こう考えるのが自然。

母が、テーブルの上に置かれた歯ブラシを見るたび、
なんでこれがある?
と質問する。

その度に、あなたがトイレから持って帰ったんじゃないの?
と答えるが、
母は、その答えに納得がいかない。
わたしが?はあ?

なんども説明をするが、納得してもらえない。

そのうちに、母は、自分が歯ブラシのことを私に質問したことを忘れる。

そして、歯ブラシが目に入るたびに
なんでこれがこんなところにある?

何度説明しても、同じことの繰り返し。
堂々巡りで、終わらない。

私も疲れてきて、ちょっとキレ気味に。


あー。
また、やっちゃったー。




母に本の読み聞かせ

2017年08月20日 | 認知症
認知症になって、少しずついろんなことができなくなってきている母。
そんな中でも、何かに興味持てれば、何かできることをとずっと探してきた。
絵を描いていた母は、色鉛筆での塗り絵を喜んでしていた。
が最近では、塗り絵のことは忘れてしまっているみたいだ。
そう言えば、体験記やちょっとしたエピソードなどの文章に喜ぶ事に気がついた。
自分では読まないが、読んでくれとせがむことがある。
短い文章だと、それで終わり?と残念がる。
何ヶ月か前、村上春樹のノルエーの森を読むと喜んでいたのを思い出した。
ノルエーの森は場面がっちょくちょく変わるし、時間が前後する。
記憶できない母にとって、展開についていけない所が多々あり、読むのをやめてしまった。
二、三日たって続きを読むとき、どの前の出来事を覚えていないので、ちょっと難しいと思ったからだ。

絵本を少し試してみた。
ただ、子供向けに書かれているものがほとんどなので、読み応えのあるものを探すのが難しい。
内容が少し簡単すぎるものが多い。

少年H いいかも。
今日、母に読んでみた。喜んだ。いくらでも読んで欲しい。というようす。
明日も、続きを読んであげようかな。



認知症の母と楽しむ ノルエーの森

2016年09月06日 | 認知症
村上春樹のノルエーの森
部屋を掃除していたら、他の古書と一緒に見つかった。

整理してしまおうかと本を重ねていたら、
それ捨てるの?
私が読むから置いておいてと母。

今のことを忘れる母が読むわけがない。
と思ったが、読み聞かせをしてみた。

なんと、情景を頭に浮かべながら巧みな彼の文章を集中して聞き入っているのだ。
これには、びっくりだった。

医者の待合室で薬屋で
楽しく時を過ごすことができた。

食べた瞬間、食べたものを、食べたことを忘れる母だが、
ノルエーの森を楽しめる。

もちろん瞬間瞬間を楽しんでいるだけなので、
前の章を覚えているわけではないと思うけど。

今日も続き読んでみようかな?




母と美術館へ

2016年05月12日 | 認知症
去年に引き続き、

私の書いた仏画が入選。

東京都美術館で展示された後、

広島県立美術館で展示してもらえる。

 
こんな嬉しいことはない。


母が私の絵を見たいといった。美術館に行きたいといった。

美術館に展示されている私の絵を見たい。ほかの人の絵も見たい。


ちょっと疲れ気味の私だったが、急きょ母を連れて美術館へ行くことにした。

縮景園の隣にある美術館のレストランからの眺めもいい。

そこでお茶するのもいいよね。

あわてて準備をして2時ころに家をでた。


広島市内までは30キロちょっとなので、

3時ちょっと前に美術館に到着。


ゆっくり絵の鑑賞した後、

縮景園の景色を見ながらのケーキセット。

贅沢な時間を過ごした。


帰ろうといって、車に乗り駐車料金を払い道路に出ようとしたとき

母が言った。

何処かによって、お茶でも飲む?


えー


今ケーキセット食べたばかりだよ。


そんなもん食べたっけ????


食べたよ。


そっか。それでお腹いっぱいなんだ。


そんなこと言いながら、家路についた。




母の認知症を受け入れられない私

2016年03月13日 | 認知症
何とか認知症を遅らせるためなら、少しでもよくなるなら、ずっとそればかり考えて、いいと思うものは色々取り入れてきた。

けれど、どれも決定打はない。徐々に母が壊れていく。
それを受け入れることが出来ないのかもしれない。

何度も同じ話をする母に、さっきもその話したばかり、何回目?などといってしまう。

私の一生懸命はちょっと方向が違うのかもしれない。

本当に難しい。