本当の私

日々感じた事を記録していきます。

運命の分かれ道

2011年11月21日 | 日記
人生とは選択の繰り返しだと思う。

冒険をしてみるのも選択、しないのも選択。細かい事まで考えると、朝から晩まで選択をし続けている。どう選択するかで、大きく人生も変わってくる。

娘がこの秋から中国へ留学した。

留学前、やっぱりアメリカにしときゃよかった。と言っていたにもかかわらず、3ヶ月足らずで中国人の彼も出来、青春を謳歌している。

彼とは、お互いがほとんど一目ぼれ状態。もしかして、運命の人となってしまうのでは?

少し気の進まなかった中国行きが、今や中国に来てよかったの毎日。

何が好転するかわからない。と言うか、好転させていく知恵も必要なのかも。娘はその知恵を持ち合わせているようにも見える。

心配は?しないといったら嘘になるけど、それより彼が出来て娘が幸せでいることが嬉しい。

わたしゃ変なのかな?

私も、選択の毎日を過ごしている。ちょっと休むか?それともがんばるか?などなど。

出来れば後悔のない選択をし続けたいと思っている。

すんだことは仕方がないけど、子どもの頃は後悔のしっぱなし。でした。


無関心でいる事?

2011年11月19日 | 日記
路面電車で、ミッチーのコンサートへ向かう途中のこと。何か騒がしいとは思っていたが、町には沢山雑音がある。何も考えずボーっとしていた。

向かいに座っているおばあさんが、隣に座っている若い女性に話しかけた。火事だね。

話しかけられた、女性はきょとんとしていた。

おばあさんは電車の外でサイレンを鳴らしながら走っている消防車のライトを指しながら、ほら、あれ見なさい。だから火事でしょ。となぜそれがわからないのかと言う様子で、彼女をたしなめた。

やっとおばあさんの言いたい事に気がついた彼女だが、ああ。と答えただけで、何の関心もない火事の話しについての続きの言葉はなかった。

実は私も彼女と同じ気持ちでいたことに気がついた。

街は騒がしい。色々な音が入り混じって、サイレンの音も頻繁に聞くと、いちいち関心を持っていると疲れてくる。

音が聞こえても、耳をふさいで過ごしている事が多いのかもしれない。

福島のことTTPのこと私の周りで起こっているさまざまな事、知らず知らずのうちに無関心になっている事があるのではと思った。

何に関心を持つか、それによって、その人なりも変わってくるのだろう。


ミッチー(michiko)のコンサートはすばらしくよかった。彼女は定期的にコンサートをする事はない。次はいつ彼女の歌声を聴くことができるのだろうか?

買ってきたCDよかったです。広島で一人でがんばってる彼女に心からエール贈りたい。