本当の私

日々感じた事を記録していきます。

あっけなく

2011年09月30日 | 日記
あんなに、どたばた気をもませていた父ですが、逝ってしまいました。
突然で信じられないくらいです。

婦長さんには、もう食事も取れるようになったし、熱も下がったので、病院ですることは特別ないですね。まあ、見守り、と言うところです。どこか施設を探したほうがよいのではないですか?と言われてました。相当病院で迷惑かけているのか?

歩けなくなって、オシメになっていた父が、なんと夜中病院の中を歩くらしい。不思議でならない。見舞いに行ったときに、歩けるの?の問いには、歩けない。との返事。
そんなこんなで、少し元気になってきてるのかな?と思っていた。院長先生も、明日から点滴外しましょうか?と言っていた。その日の夜、腸の動脈に血栓ができ帰らぬ人となってしまいました。

本当にあっけなかったです。医者も予測はできなかったようです。


このところ、父はとてもしんどがっていて、看ているほうも辛く大変でした。

今はきっと、楽になったからだで、慣れない霊界で戸惑っている事だと思います。

ひょっとしたら、すぐ側にいるのかも知れません。


残された母が心配で、妹と交代で母の側に付きっりでいましたが、10日たったこともあり、今日は母一人残して家に帰ってきました。先ほど電話したら元気な様子。

私も久々に今日はゆっくり寝たいと思います。

父の入院劇

2011年09月15日 | 日記
さて、金曜日には今心の準備が出来ていない。遺言書いたりするのに3日欲しい。月曜日に入院すると言った父。

そして、月曜日
病院へ父を連れて行ったが、なんと個室は詰まっていて入院は無理です。という病院側からの答え。男性の大部屋はガラガラだと言うのに。

先月も、入院の経験をした父だが、少しよくなると帰りたい。と入院した翌日から大騒ぎ。月曜日に退院すると本人さんは言っておられますが、ご家族の方はいかがですか?と病院から電話がかかった。
本人が、這ってでも家に帰るというのを、置いておくわけには行かない。火曜日に家に連れて帰ったが、月曜日を火曜日にするのも大変だった。その1日が待てない。と大騒ぎだった。
又、夜は明かりがないと寝れない。気になることがあれば、それが解決するまで、そのことに執着する。例えば夜中でも、入れ歯が何処にあるか気になりだすと、捜さずにはおれない。懐中電灯でおお探しをする訳で、隣のベッドの人の顔を照らしたり。どたばた音を立てたり。まあ問題児もいい所だったようで。
大部屋では絶対無理となってしまいました。

そういう訳で、個室が空いていないと、入院は無理。と言うことでした。明日は何とかしますから、明日入院と言う事で。と院長。

月曜日はしかたなく家に連れて帰り、私は実家に泊まることに。

晴れて火曜日に入院をしましたが、1週間近く熱が続き、ご飯も少しづつしか取れず、薬も嫌がって飲まない状態だったので、ずいぶんと弱ってしまいました。

入院の日の朝ストレッチャーに乗っている父を見て、主治医ではない先生が、とうとう入院ですか?明日退院すると又さわぐんでしょう。と言って通り過ぎていきました。病院では相当有名になっていたようで。恥ずかしい限りです。

入院してからはなぜか食事をちゃんととっている様子で、いいのですが、ちょっとしたことでナースコールをするようで、看護婦さんも参っている様子。
どうやら認知も入ってきてるようで、困った事になりました。私たちが、病室にいるにもかかわらず、手の届かない物を取って貰うだけのために、ナースコールのボタンを押したり。明らかにおかしい行動をとるようになってしまいました。

入院で安心していた気持ちは吹っ飛んで、今度は病院を追い出されるのではとひやひやです。

今日、昼過ぎに病院から電話。ほんと、ドキってしました。
時計を持ってきて欲しいと言ってます。という電話。
それを今買って持っていこうとしていたところなのだけど、待てないんですね。

看護婦さん、本当にご苦労様。ありがとうございます。

明日、父のことで婦長さんに相談に行ってみます。


ひと山越えたと思ったけど

2011年09月11日 | 日記
やっと入院すると心に決めた父だが、熱が下がらず、血圧も今日はめちゃくちゃ低かった。まあ、そんな状態で、自分の身体がしんどいので入院と言う事も考えたのかもしれないが。

しかし、今日はまだ日曜日が始まったばかり。

知り合いの保健婦さんに相談すると、息が荒いかと聞かれ、そうでもないと答えると、明日まで待って病院に連れて行くほうがいいのでは。と言う答え。よたよたながら歩いて食卓まで行けるし、食事も何とか少しは出来るので、明日の朝まで我慢ですね。

でも、やっぱり落ち着きません。

山はいくつも越えないといけないのですね。

はい。分かりました。

ひと山越えれたかな?

2011年09月10日 | 日記
父と母の介護に携わってどれくらいになるかな?
最初は母の認知症の心配で、いろんな医者に連れて行ったりしていた。そうするうちに父の医者通いも私が連れて行くこととなり、定期的に行く医者に加えて、脳外科、歯医者、耳鼻科への通院もあり、医者通いだけでも忙しくなった。

そのうち、父の具合がだんだん悪くなり、母が父の介護をするようになった。出来るだけ母の負担を軽減するため、毎日のように実家へ通ったが、父がだんだん手がかかるようになり、母が中心に介護をするのも限界となる。私が泊まりで面倒見る事もあり、私はほとんど実家へ行っていた。

しかし、私が実家へ行って手伝っていても、母の負担が軽減するわけではないと言うことが分かり、どうしていいかわからなくなってしまった。父が呼べば、私より母が先に反応する。それを押えて私が母の代わりをするという格好だからだ。どうやっても、父と一緒に居る限り、母の気が休まることはなかった。介護保険もぴったりのサービスが見つからず、八方ふさがりの状態で、母の休養のためには、父と母を離すしか方法がないのだが、なかなかそれが実現できなかった。そこへ、母の姉(89歳で現役バリバリ)の助け舟。母が姉の家に泊まりに行ったり、姉と旅行したり、少し家を空けて遊びにいけることとなり助かった。その間、私が父の世話をしていればいいのだから。

ところが、今度は私が参ってしまって、もう父の世話が出来なくなってしまい、このままでは、共倒れになると思い、父に他人の力を借りようかと思う。どんな方法があるのか考えているんだけど?というと、その通りだと、大きくうなずき、入院する。と言った。以前から、院長に入院を勧められていたのだが、頑として拒んできた父だった。
2日続いて熱も出ていた事だし、病院に連れて行くと、入院しましょうという院長に、今日は嫌だと言い張る父。世話を出来る人がいない状態で、家に帰ったらどうしようかと悩んでいた所。父が3日後に入院する。と言った。仕事をしている妹が、それまでの間、父を看ると言ってくれた。涙がぼろぼろでた。

トンネルから抜け出た感じで、昨日は久しぶりに安心して寝る事が出来た。今まで手に付かなかった、家事も出来て、少し晴れやかになった感じ。まだ、介護が終わったわけではないが、とりあえず、ひと山越える事が出来そうだ。
神様ありがとう。

スカイプに感謝

2011年09月07日 | 日記
中国へ留学に行った娘とどうやって連絡取れるんだろうと、心配していたが、最近ではもっぱらスカイプを使っている。

Gメールはなかなかアクセスが難しいらしく、出来たりできなかったりだそうだが、スカイプはすんなり行くらしい。

いわゆるテレビ電話なので、オンラインにしておけば、国を隔てて遠くに娘がいる気がしない。

お金の行き違いで、所持金10元で2日ほどひもじい思いをさせたが、後は楽しくやっている様子。

スカイプに感謝である。