お久しぶりです。
そして新年初カキコミー。
諸事情でなかなか、、、もごもご、、、ま、言い訳になりますね。ともかく完結させないといけないものがあったので・・・それだけでも。アセアセっ
ひでろー音楽物語
第14回(最終回)
Faceless Peopleではいろんな所でライブをした。前にも書いたっけ?まず手始めに他大学への乗り込みライブ。文化祭シーズンに乗り込んで行ってお友達に。向こうで演奏させてもらいそしてこっちでも演奏に来てもらう。近い所で星薬科大学。その他昭和女子とか電通大とかいろいろ。企画ライブにも結構参加させてもらった。一番遠い所で立川まで行ったっけ。それら知り合いバンド集めて目黒のライブハウス貸し切ってイベントうったこともある。この時の演奏が一番だったと思う。純粋に音楽を演奏することが楽しくて会場全体との一体感を感じたくて、ただそれだけだった。
バンドでやった曲たちはほとんどコピー。Bon Joviの曲が一番多かったね。その他挙げていくとDef Leppard、Skid Row、Dream Theater、Mr.Big、Harem Scarem、Guns n'Roses、Aerosimith、Queen、Metallica、The Who、U2、Pearl Jam、Journey、Totoなどなどもう数え切れないくらい。日本人特集なんてのもやったりして、44マグナム、アースシェイカー、ラウドネス、ウルフルズ、SPEED(笑)、B'zとかも。このころはただコピーするっていうことよりもいかにしてお客さんを盛り上げるかということが重視されていて、曲をいろいろ繋げたり切ったりしたり、途中に掛け合いなんか入れたりして、そういうアレンジに夢中だったかな。演奏しても観てる人は知らない曲の方が多いからその状況で盛り上げることがこちらとしても見せ所だったわけだ。
一番記憶に残っているのはTOTOというバンドの「Jake To The Bone」という曲。この曲じつはボーカルのないインストで僕はまったく関係のない曲なんです。フュージョンのようなインストで変拍子、複雑な曲展開、ハッキリ言って難しいのです。でも楽器隊はひたすら練習するわけさ。そしていざ本番でバッチリ決まった時の感動と来たらもうヤバかったです。鳥肌ものでした。
オリジナル曲も数曲つくってライブで演奏した。覚えている限りで「自転車」「Never Land」「Yourself」「モリ」などなど。ハードロック志向な我々でしたが作る曲はとってもポップでした。今も音が残っているのは自転車とNEVERLANDかな。
こうして楽しき活動をしたFacelessPeopleも一個上の先輩卒業とともに消滅。その後の一年間は同学年と下の後輩たちとほのぼの過ぎていきました。最終学年の1月までライブしてたなー。ホントいうとその時期って卒業試験のまっただ中でそんなことやっている暇などあるワケなかったんだけどね。
大学卒業とともに一旦音楽活動は停滞しちゃいます。仕事が始まり社会人としての洗礼。責任の重圧をこれでもかというくらい受けてへこたれていました。インターネット時代に入ってバンド活動を復活する話はまた今度。
仕事をはじめてだいぶ経つけど僕の中では結局この大学時代のバンド活動がどこか心の残っていて、その純粋に音楽を楽しむっていうことを今も追い求めているかもしれない。自分のボーカルはまだまだだと思います。この先どのくらいうまくなれるかは分かりません。所詮アマチュアだとか思うけどステージに立って歌う以上やはりそれなりのクオリティは必要だと思っています。でもそれよりもなによりも、ステージに立って音を通じた仲間たちと音を合わせて送り出すことが楽しくて。会場中を巻き込んだ一体感が生まれた時の夢のようなあの一瞬。ただそれだけを求めて。こうして歌う場所があることはホントに幸せです。いつまでもこの夢が続いていきますよう日々精進あるのみです!
そしてまだ僕の音楽物語は続いています。
終
続きを書くとしたら上昇気流に関してだろうね。
創設者は321さんとじーまーさんです。彼女たちの友情(?)と321さんの情熱が無ければいまある上昇気流は起こりえなかったでしょう。今いるメンバーの中では僕が3番目に長い人なのですが、、、語ることはあるかな?オモシロおかしくできるように考えておきます。
でもね、ちょっとまた登場が先になるかも、、、?ではではその時まで321さんの『リーダー☆ドイツでグーテンターク♪』をお楽しみに!
そして新年初カキコミー。
諸事情でなかなか、、、もごもご、、、ま、言い訳になりますね。ともかく完結させないといけないものがあったので・・・それだけでも。アセアセっ
ひでろー音楽物語
第14回(最終回)
Faceless Peopleではいろんな所でライブをした。前にも書いたっけ?まず手始めに他大学への乗り込みライブ。文化祭シーズンに乗り込んで行ってお友達に。向こうで演奏させてもらいそしてこっちでも演奏に来てもらう。近い所で星薬科大学。その他昭和女子とか電通大とかいろいろ。企画ライブにも結構参加させてもらった。一番遠い所で立川まで行ったっけ。それら知り合いバンド集めて目黒のライブハウス貸し切ってイベントうったこともある。この時の演奏が一番だったと思う。純粋に音楽を演奏することが楽しくて会場全体との一体感を感じたくて、ただそれだけだった。
バンドでやった曲たちはほとんどコピー。Bon Joviの曲が一番多かったね。その他挙げていくとDef Leppard、Skid Row、Dream Theater、Mr.Big、Harem Scarem、Guns n'Roses、Aerosimith、Queen、Metallica、The Who、U2、Pearl Jam、Journey、Totoなどなどもう数え切れないくらい。日本人特集なんてのもやったりして、44マグナム、アースシェイカー、ラウドネス、ウルフルズ、SPEED(笑)、B'zとかも。このころはただコピーするっていうことよりもいかにしてお客さんを盛り上げるかということが重視されていて、曲をいろいろ繋げたり切ったりしたり、途中に掛け合いなんか入れたりして、そういうアレンジに夢中だったかな。演奏しても観てる人は知らない曲の方が多いからその状況で盛り上げることがこちらとしても見せ所だったわけだ。
一番記憶に残っているのはTOTOというバンドの「Jake To The Bone」という曲。この曲じつはボーカルのないインストで僕はまったく関係のない曲なんです。フュージョンのようなインストで変拍子、複雑な曲展開、ハッキリ言って難しいのです。でも楽器隊はひたすら練習するわけさ。そしていざ本番でバッチリ決まった時の感動と来たらもうヤバかったです。鳥肌ものでした。
オリジナル曲も数曲つくってライブで演奏した。覚えている限りで「自転車」「Never Land」「Yourself」「モリ」などなど。ハードロック志向な我々でしたが作る曲はとってもポップでした。今も音が残っているのは自転車とNEVERLANDかな。
こうして楽しき活動をしたFacelessPeopleも一個上の先輩卒業とともに消滅。その後の一年間は同学年と下の後輩たちとほのぼの過ぎていきました。最終学年の1月までライブしてたなー。ホントいうとその時期って卒業試験のまっただ中でそんなことやっている暇などあるワケなかったんだけどね。
大学卒業とともに一旦音楽活動は停滞しちゃいます。仕事が始まり社会人としての洗礼。責任の重圧をこれでもかというくらい受けてへこたれていました。インターネット時代に入ってバンド活動を復活する話はまた今度。
仕事をはじめてだいぶ経つけど僕の中では結局この大学時代のバンド活動がどこか心の残っていて、その純粋に音楽を楽しむっていうことを今も追い求めているかもしれない。自分のボーカルはまだまだだと思います。この先どのくらいうまくなれるかは分かりません。所詮アマチュアだとか思うけどステージに立って歌う以上やはりそれなりのクオリティは必要だと思っています。でもそれよりもなによりも、ステージに立って音を通じた仲間たちと音を合わせて送り出すことが楽しくて。会場中を巻き込んだ一体感が生まれた時の夢のようなあの一瞬。ただそれだけを求めて。こうして歌う場所があることはホントに幸せです。いつまでもこの夢が続いていきますよう日々精進あるのみです!
そしてまだ僕の音楽物語は続いています。
終
続きを書くとしたら上昇気流に関してだろうね。
創設者は321さんとじーまーさんです。彼女たちの友情(?)と321さんの情熱が無ければいまある上昇気流は起こりえなかったでしょう。今いるメンバーの中では僕が3番目に長い人なのですが、、、語ることはあるかな?オモシロおかしくできるように考えておきます。
でもね、ちょっとまた登場が先になるかも、、、?ではではその時まで321さんの『リーダー☆ドイツでグーテンターク♪』をお楽しみに!