カップ麺きつねうどんは揚げの上にうどんをのせて食べるのが好きです、ひろみです。
昨日はブダペストからスロヴァキアの首都ブラチスラヴァに寄って、ウィーンへと移動した。
つまり1日に3カ国。
1日に2回の国境越え。
で、今日ウィーン観光。
王宮内観光だけで2時間半もかかった。
さすがに腰も限界ですよ。
日本語オーディオガイドで説明を聞きながら歩きっぱなし。
オーストリア皇女エリザベート博物館と王室を見学。
疲れたんだけど、すっごくよかった。
オーストリア皇帝フランツヨーゼフと婚約していたのはエリザベートの姉だったのに、
妹のエリザベートを見た皇帝は彼女じゃなきゃやだ!と言い出し
15歳だったエリザベートと結婚することになる。
お姉さん、かわいそう・・・。
エリザベートは自由に育った。
宮廷独特の作法、言葉遣いなど、勉強していなかった。
結婚が決まって急にしつけを強いられる。
ちょうどその頃、皇帝はクリミア戦争で忙しく、
新婚2人が一緒に過ごせる時間はなかった。
エリザベートの結婚2週間後の詩↓
「牢獄の独房で目覚める私は足かせの重さに打ちひしがれる
言葉に尽くせぬ熱い願いはひたすらに自由・・・失われてしまった自由よ!」
彼女は幼少期過ごしたバイエルンが恋しかった。
努力はしたが、ウィーン皇妃としてなかなか認めてもらえなかった。
そのストレス、反抗から逃避行へと走る。
当時どんな理由があれ、皇妃が旅行へ出かけるなど許されなかった。
彼女の旅はウィーンの彼女の椅子が温まることないないくらい繰り返されたという。
彼女の詩に、
「旅は道のりに意味がある。目的地から再び出発できなければ、例えそこが天国だとしても私にとっては地獄となる。」
「私はかもめ、陸に休まるところはない。心休まるのは海だけ。」
「私のふるさとは妖精の国。・・・」
全部は記憶できなかったけど、自由を強く求めていたんだなあ、と感じた。
どんどん精神がやられていき、
人間を嫌うあまり、自分にしか興味を向けられなくなっていく。
もともと誰もが認める美貌の持ち主だったエリザベート。
そこ執着するようになる。
過度の運動、ダイエットをして、
172センチ体重45~47キロ、ウエスト50センチを生涯保った。
ちょっと痩せすぎですよね・・・
今までにいくつかの宮殿やお城を見てきたが、
皇族の部屋にジムセットがあったのは初めて見た。
彼女には4人の子供がいた。
長男が恋人と心中自殺をしてからは、息子への自分の態度を後悔する。
息子の自殺を機にますます精神が悪化していく。
死に憧れさえしていく。
誰とも会わなくなり、ただひたすら旅を続けた。
どこへ旅しても落ち着く場所はなかった。
ついに61歳の時、スイスを旅していた彼女は暗殺された。
これで彼女は苦しみから解放された。
彼女自身が望んでいたことなのかもしれない。
ほとんど旅をしていた皇妃。
夫に対しては興味がなくなっていたが
フランツヨーゼフ皇帝は生涯彼女を愛し続けたと言う。
皇帝は皇帝としてではなく、自ら議長を務めたり多くの仕事を抱えた。
朝の3時半から深夜まで働き続けたと言う。
午前中に100人の国民が皇帝と謁見した。
皇帝はどんな身分、相談内容であれ謁見を受けた。
そして贅沢を嫌っていた。
驚いたのはベットだ。
鉄パイプにマットがあるだけのものだった。
これまた今まで見た宮殿にはありえない・・・。
暗殺されたエリザベート皇妃と皇帝が眠る教会へ行った。
皇族の慣わしにより、心臓と内臓はそれぞれまた別の教会にある。
今日は教会の見学ばかりでもう何がなんだか整理しきれない。
途中、本場のザッハトルテを食べに5つ星ホテルのカフェザッハーへ行った。
フランスの有名カフェとは違って普段着でも入りやすかった。
ドイツのケーキよりは甘さ控えめだったけれど、
やっぱり日本人にとっては甘かった。
腰が痛いのでサポーターをきつくしめていたが、
今日は激しい下痢の波に襲われ、
立ってられないほどにまでなったので
仕方なく王宮の前で(大勢の中で)腰巻きサポーターを取った。
バリバリッとマジックテープをはがす音が目立っていたと思う。
そしてサポーターを手に持ったまま王宮の中のトイレに駆け込み、なんとか間に合った。
今日観光した王宮は皇族が冬に過ごしていた場所。
明日は夏の宮殿に行く。
こちらはもっともっと大きく、
所要時間3時間となっているので、腰巻きサポーターをしっかり巻いて気合で見学して来ようと思う。
うん、気合で腰痛乗り切るしかねえ!!
というわけで、
あなたが落ち着く場所はどこ?
昨日はブダペストからスロヴァキアの首都ブラチスラヴァに寄って、ウィーンへと移動した。
つまり1日に3カ国。
1日に2回の国境越え。
で、今日ウィーン観光。
王宮内観光だけで2時間半もかかった。
さすがに腰も限界ですよ。
日本語オーディオガイドで説明を聞きながら歩きっぱなし。
オーストリア皇女エリザベート博物館と王室を見学。
疲れたんだけど、すっごくよかった。
オーストリア皇帝フランツヨーゼフと婚約していたのはエリザベートの姉だったのに、
妹のエリザベートを見た皇帝は彼女じゃなきゃやだ!と言い出し
15歳だったエリザベートと結婚することになる。
お姉さん、かわいそう・・・。
エリザベートは自由に育った。
宮廷独特の作法、言葉遣いなど、勉強していなかった。
結婚が決まって急にしつけを強いられる。
ちょうどその頃、皇帝はクリミア戦争で忙しく、
新婚2人が一緒に過ごせる時間はなかった。
エリザベートの結婚2週間後の詩↓
「牢獄の独房で目覚める私は足かせの重さに打ちひしがれる
言葉に尽くせぬ熱い願いはひたすらに自由・・・失われてしまった自由よ!」
彼女は幼少期過ごしたバイエルンが恋しかった。
努力はしたが、ウィーン皇妃としてなかなか認めてもらえなかった。
そのストレス、反抗から逃避行へと走る。
当時どんな理由があれ、皇妃が旅行へ出かけるなど許されなかった。
彼女の旅はウィーンの彼女の椅子が温まることないないくらい繰り返されたという。
彼女の詩に、
「旅は道のりに意味がある。目的地から再び出発できなければ、例えそこが天国だとしても私にとっては地獄となる。」
「私はかもめ、陸に休まるところはない。心休まるのは海だけ。」
「私のふるさとは妖精の国。・・・」
全部は記憶できなかったけど、自由を強く求めていたんだなあ、と感じた。
どんどん精神がやられていき、
人間を嫌うあまり、自分にしか興味を向けられなくなっていく。
もともと誰もが認める美貌の持ち主だったエリザベート。
そこ執着するようになる。
過度の運動、ダイエットをして、
172センチ体重45~47キロ、ウエスト50センチを生涯保った。
ちょっと痩せすぎですよね・・・
今までにいくつかの宮殿やお城を見てきたが、
皇族の部屋にジムセットがあったのは初めて見た。
彼女には4人の子供がいた。
長男が恋人と心中自殺をしてからは、息子への自分の態度を後悔する。
息子の自殺を機にますます精神が悪化していく。
死に憧れさえしていく。
誰とも会わなくなり、ただひたすら旅を続けた。
どこへ旅しても落ち着く場所はなかった。
ついに61歳の時、スイスを旅していた彼女は暗殺された。
これで彼女は苦しみから解放された。
彼女自身が望んでいたことなのかもしれない。
ほとんど旅をしていた皇妃。
夫に対しては興味がなくなっていたが
フランツヨーゼフ皇帝は生涯彼女を愛し続けたと言う。
皇帝は皇帝としてではなく、自ら議長を務めたり多くの仕事を抱えた。
朝の3時半から深夜まで働き続けたと言う。
午前中に100人の国民が皇帝と謁見した。
皇帝はどんな身分、相談内容であれ謁見を受けた。
そして贅沢を嫌っていた。
驚いたのはベットだ。
鉄パイプにマットがあるだけのものだった。
これまた今まで見た宮殿にはありえない・・・。
暗殺されたエリザベート皇妃と皇帝が眠る教会へ行った。
皇族の慣わしにより、心臓と内臓はそれぞれまた別の教会にある。
今日は教会の見学ばかりでもう何がなんだか整理しきれない。
途中、本場のザッハトルテを食べに5つ星ホテルのカフェザッハーへ行った。
フランスの有名カフェとは違って普段着でも入りやすかった。
ドイツのケーキよりは甘さ控えめだったけれど、
やっぱり日本人にとっては甘かった。
腰が痛いのでサポーターをきつくしめていたが、
今日は激しい下痢の波に襲われ、
立ってられないほどにまでなったので
仕方なく王宮の前で(大勢の中で)腰巻きサポーターを取った。
バリバリッとマジックテープをはがす音が目立っていたと思う。
そしてサポーターを手に持ったまま王宮の中のトイレに駆け込み、なんとか間に合った。
今日観光した王宮は皇族が冬に過ごしていた場所。
明日は夏の宮殿に行く。
こちらはもっともっと大きく、
所要時間3時間となっているので、腰巻きサポーターをしっかり巻いて気合で見学して来ようと思う。
うん、気合で腰痛乗り切るしかねえ!!
というわけで、
あなたが落ち着く場所はどこ?