暴言注意報発令中。
警戒願います。
読者の不愉快な感情を誘発することがあります。

自己嫌悪

2005-04-03 | 私事
渋谷の居酒屋で朝3時友人と大喧嘩

友人(欧米人)曰く
「日本の民主主義はマッカーサーが来てからだ」
「は?その場合民主主義の定義は?ギリシャ時代の市民の権利と参加を言うのか?」
「そうではない近代的Modernってことだ」
「ではそのModernの定義を教えてくれればあたしの知ってる知識で補完できるとおもうけど?普通選挙もあったし、議会もあったし、裁判所も法律もあったけど?知ってる?」
「しかし自由じゃなかったんだろ」
「は?職業選択もできたし、女性も働いていたよ。明治の童話には、女学校言ってるお姉さんが英語を習っている話もでてくるし、アンデルセンだって・・・」
「なんでお前は歴史の話になるとそう反論するんだ?」
「これは議論だ。そういう自分こそ、日本の何を知ってそう語るのか。日本に半年いたくらいですべてを知った気になっているのはおかしいから、おかしいところにはつっこんでいるだけだよ」
(歴史の議論・・・というか喧嘩に近い)

お互い議論に疲れた頃ラストオーダーがきてちょっと静かになる

友人が納得して言う

 俺の生まれたところも隣国との国境線がかわったりしてた
 それで歴史に対しいろいろな見方がある
 もしお前が俺の国の国境について、ちょっとした知識だけで俺に語ったとしたら
 俺も受け付けられないかもしれない

そう
それそれ
やっとわかってもらえた?
は~(疲れた

難しいんだってば
伝えること
気づくこと

いいたいことはいっぱいあるし
あたしだって気がつかずにいろいろ誤解を与えてしまう
ほんとに難しい
簡単そうに書いてるけどさ

ほんとはそういうTopicsは無視すればいい
もしそんな会話に入ったらお互いに納得するまで話すのはとても労力がいることだから
それに自分がこうやって言いつづけることだって焼け石に水だと思うこともあり

へらへらして笑って言葉を使えばそれなりの友達はできる

A few good friends

言わないほうが楽なのにねぇ
ばかだ(自己嫌悪)

あぁ勘違い

2005-03-23 | 私事
欧州で働いていたときからホームページを開設しむこうの暮らしをつづっていた
時々日本から来訪する予定の人から質問をうけたりしたので
そんな見ず知らずの人とのメールのやりとりも幾度かあった

そんななかメールが届いた

「わたしは日本の中学生です
日本では子供の権利が侵害されています
わたしたちは自由ではありません
外国では子供の権利が尊重されていて
”子供だから”などとは言われずに自由に生きていると聞きました
(中略…以下同じような内容がぐだぐだ続くので)
どなたかわたしを海外で生活させてくれる人はいないでしょうか
まだ未成年で海外に行ったこともありませんが
日本ではなく海外で生活したいと思っています
お返事ください」

メールアドレスは普通のプロバイダなので自分のもの?らしいが
本文で

名前名乗らずfromフィールドにあるからいらないってこと?アフォでつか?

人にものを聞くときの礼儀は?と思って一瞬カチンときた
が、とりあえず
「人にものを聞くときはちゃんと名乗ったほうがいいよ、
それに海外といっても、少なくとも英語はできるの?」と返事を書いてみた

2日後、ちゃんと名乗って返事メールが来た
学校で習った英語以上のことはも何もできないとのこと
でも海外で暮らしたい高校まで待てない
未成年だから親の同意もなくパスポートがとれないので困ってるとのこと

はぁ?

なんだかかわいそうになってひとつひとつ返事をした
つまり「英語でもなんでも他言語を一つでもしらないといけない」
「日本は制限されていると言うけどこの国では子供たちは・・・(実例をあげる)」
「まず義務教育を終えて高校でご両親に頼んでホームスティとかからはじめたら」
「海外に憧れるのもいいけど現実的にいまは無理では?」

そして、予想通り、そのメールに対する返事は、こなかった はぁ~(ため息)


 ここでもないどこかは
 どこでもない
 しょせんここ

ちょっとむずかしかったでつか~

外国への憧れだけをあおり
自国への愛情を教えず
ゆとりとやらで現実に即した厳しさを教えない日本の教育は
ピンク○ート…もとい

○ースボート

に乗りたいヴァカ者を増やすだけ

落とし穴

2005-02-24 | 私事
小学校の担任のHさん(あえて先生とは呼びません)も満州で生まれた引揚者でした。

彼女は小学生だったあたしにロシア(旧ソ連)の憎しみを受け付けようと努力していました。
また731部隊の本も小学生には難しいとわかりつつも読ませました。
たぶん彼女は日教組だっだのでしょう。彼女は中国を賛美していました。
飲み込みのわるかったあたしはおぼろげな意識でしかその思想を受け取りませんでした。
聞く度になにか不可解な違和感を感じていました。
そして、そんなあたしに彼女のいやがらせがはじまりました。
国語の授業中に当時の中国の国家主席の名前をこたえられなかったあたしは耳をひねりあげられました。他の教科の先生が病欠になったのもあたしのせいだと。
さんざんな目にあいました、が、いま思うと鍛えられました。(笑

卒業した、中学生のある日、NHKでロシアの特集を見ました。
TVのなかのロシア人は劇場で観劇したり、夕食を家族でとったりと、普通の人たちでした。
ほんとに普通の人たちでした。

当たり前のことなのに、彼女の(ある意味)洗脳のせいで、ロシア人も、ご飯をたべたり、笑ったりすることを考えたこともありませんでした。
ロシア人も愛する家族がいて、みんなで住む土地があり、芸術もあるのです。歴史も事実ですが、これも紛いなき事実です。

ずっと感じていた違和感の、教師からいじめをうける原因になった違和感の、根底がわかったとき、ひとつ落とし穴から抜け出た気がしました。

後日談:Hさんはその10年後くらいに、やっと、彼女の落とし穴から抜け出た模様で、あたしの参加しなかった同窓会であたしに悪いことをした、と後悔していたようです。

遅せーよ!ゴルァ!(--メ

・・・というのは冗談で、
憎しみの落とし穴は深く這いあがるのは大変です。
そしてそれは個人の「気づき」に依ります。

いまの自分も気がつかずに落とし穴に落ちてるかもしれません

願い

2005-01-02 | 私事
よくある話
3つまでと数を限って希望をかなえてもらう話
ほんとにそんなことがあるのなら
ひとつでいいからかなえてほしい
うちの母の目を良くしてほしい
彼女の大好きだった読書をまた楽しませてあげたい
だけどそんな都合のよいことはありえない
あたしにとっての家庭は
お世辞にもすばらしい環境とはいえなかったけど
それでも彼女に関してのこれが唯一の願い

作者について

2004-12-08 | 私事
日本人。
義母は大連生まれ、叔母は在日と結婚し、祖母は2号さん。
米軍基地の近くの、愛情の全くない家庭で成長。
高校で家をでて水商売をしながら(じゃぱゆきさんたちに助けられ)大学卒業。
ついでにじゃぱゆきさんたちの影響で英語を習得。
昼の仕事に就職する。
時を同じくしてアジアの放浪をする。
23歳で結婚する。
愛情はかけらもないが金はある親からの援助を元に戸建を買うも、その後離婚。
戸建を元夫に残し家を出る。
転職し海外で3年ほど暮らす。
海外にいる間に大切な友人を亡くし失意の帰国。
帰国後日本まで追いかけてきた外国の男性と同棲中。
そのため義兄はイスラエル人になる予定。
追加:2005年5月さらにショックを受ける。

つまり
…いたってふつーの日本人ですが、何か?