りっきぃの小咄 (Ricky's Bear)  

思いつくままにタラタラと好きなこと書いてます。Ricky's Bear として作家活動やってます。

アメリカ旅行(1)

2010-11-21 11:13:03 | Celtic Thunder
11月9日
まだ暗い朝5時20分、大阪の友人宅から伊丹空港へタクシーで出発。

高速もガラガラであっ中間に到着。

しかし!6時前でまだクローズでした・・・

オープン後すぐにJALの国際線のほうへ。

私たちのチケットは全てAA(アメリカン航空)でしたが伊丹~成田の国内移動はJALが提携。

ここでチェックインをして今日の最終地までのチケットを引き換えます。

スーツケースもフェニックスまでスルーでOKとのことでラッキー!っと思っていたのに、乗り継ぎのダラスでピックアップしてまた、預けてくださいと言われる。

ダラスではあまり時間がないのに入国審査もあるし・・・時間は大丈夫か?

ダラス空港はめっちゃ広いらしいしな~国際線から国内線への乗り継ぎだしな~

まあ、乗り継ぎも同じ航空会社だし大丈夫だろう!っと思うことにした。

私の最後の海外旅行からすでに12年くらいたってるし、自分でなにもかも、というのはまるっきり初めてなんでちょっとナーバスになるのも無理無いよね~

成田では搭乗ゲートのカウンターに向かう途中でいきなり私たちの名前が放送される。

えっ?何?何?

とにかくカウンターに行くと日本人スタッフで、伊丹でもらったチケットを引き換えます、ということだった。

そうそう!コレコレ!

日本語のないアルファベットだらけ(?)の横長のチケット。

お~いよいよですな~っと実感が沸く。

ここではアジア系の顔が目立つ。

でも日本人ではない感じ。

耳を澄ませていると中国語でもなく韓国語でもないなじみのない響き・・・

ベトナム系の人がけっこう多かった。

そして長旅での一抹の不安材料が・・・

赤ちゃんがけっこういたのであります。

それもそう、乳飲み子というくらいの赤ちゃんたちが・・・


AA176便 成田発11/9 13:00 → ダラス着11/9 9:20

そうです、途中、日付変更線を超えるので約11時間の飛行で同じ日に到着です。

約15時間の時差があるのでダラス到着は夜中です。

機内は日本発でJALとの関係で設備などにも日本語があり分かりやすく、機内放送もたどたどしいが日本語もありました。

座席はちょうど真ん中あたりか後ろにはだれもいなかったので気兼ねなくシートも倒せて良かったです。

しかし、通路側の私のシートに機内サービスのワゴンが通る度にガンガン当たる。

身体には直接当たってないので痛いことはゼンゼンないのですがやたらと、というか必ず当たる、というか当てるのである。

その度に「Sorry!」となるのだけど。かさなるとCAも私の肩をポンポンっと叩きながら笑って行く。

かなり雑なんだけどフレンドリーなのである。

ただ1人だけCAで愛想もくそもない人がいましたね。

その他はほんとにイイ感じでした。

そして、みんなむっちゃでかい!&かなりのおばちゃん軍団でした。

時間も徐々にわからなくなってきたけど、出されたモノはお腹に収め、ブツ切れ状態の睡眠を取る。

目の前のモニターでビデオや映画もあったけどあまりに近くて目がしんどくてほとんど見なかった。

そして、心配したとおり赤ちゃんたちの合唱が!

だっこして機内を行ったり来たりするママもいれば、泣くだけ泣かせてる人もいたりして、お国柄なんかな~っとふと思いました。


それもその内に気にならなくなり、私けっこう眠れてたようです(友人談)

日本時間の真夜中、現時時間の9時20分過ぎにダラスに到着。

入国審査ではお決まりの質問の他に10指の指紋採取と顔の撮影もありました。

一旦ピックアップした荷物を再度預け、国内線のゲートへ。

しかし、機内放送ではわからなかったのでカウンターで聞く。

「C12」って言った気がする・・・

書いてもらおうかと思ったが混んできたので、C12を信じて(?)で歩を進める。

てっきりそこはC12だと思ったところはスカイライン(skyline)というモノレールのようなプラットフォーム!

私たちの着いたゲートは「D」日本からの飛行機はこの「D」に到着するらしい。

そしてこれからの乗り継ぎは国内線で「C」までそのスカイラインに乗って行くという。

標識をみるとまあまあ、近い感じ。

2分間隔で運行しているようですぐにやってきた。

1個めで降りて、C12を目指す。

このあたりですでに搭乗時間は過ぎていて、出発時間まであと20分くらいになっていた。

C12が遠かったらやばいよね~っと言いながら探していると、階段をおりたすぐヨコがC12で「フェニックス行き」の文字が!

ラッキー~~~

待たずにそのまま搭乗。

さっきまでの大きな飛行機からいきなり2列3列の小さな国内線になる。

ダラス11:35発 フェニックス13:05着

ここでも1時間の時差が発生するのだけどすでにもうわからなくなってました。

しかし、わたしの使っている携帯はすぐにその地の時間に設定し直す賢いやつでしてそれでチェックして時計を合わせました。

2時間くらいかな、本日の最終地フェニックスに到着。

機上から見たフェニックスはほんとにだだっ広い荒野って感じでした。

ず~っと続く道路がほんとに定規で線を引いたように見えました。

とくに空港の周りはけっこう閑散としてました。

イエローキャブ(タクシー)でホテルへ。

20分くらいかな、けっこう近かったです。

そしてこれから3日間を過ごすホテルは・・・

外観はちょっと大きめの日本のアパート(2階建て)のような感じ。

フロントに1歩入るとスパイシーな香りが!!

オーナーはインド系の人でした。

そこでチェックインして2階へ。

外階段を2階へスーツケースを自分で運びました。

ホテルというよりはモーテルといった感じかな。建物の真ん中は駐車場になっていて、たぶんほとんどの人は車で利用しているんだと思いました。

そして、そこの半分以上はなにやらリニューアル中の様子。

私たちの部屋はそれが完成した後のようでした。

チープ感満載ですが清潔でした。

私たちの選んだ理由がシアターに歩いて行ける距離で安いこと!だったので。

ほんとに安かったんですよ~

3日間2人分で$163でしたから。

1人当たり、1日約2000円くらいでしょうか。

冷蔵庫も電子レンジも付いてて朝食サービス(激まず!だったけど)付きでしたので。



荷物を解いて少し休んだあと、肝心のシアターまで行ってきました。

そのシアターまでがほんとに近くてびっくりしたくらいです。

ちょっと周りが淋しいところかな~っと思ったのですがほとんどに人が車なんで歩いてる人がいないところだったんですよね~

地図では3ブロックだったのですがモーテルの前まで出てみるとシアターが見えてました。

っで、思わず、



いよいよ明日です。



それからダウンタウンを歩いて散策。

ストリートとアベニューがきっちりと交差していてめっちゃ分かりやすい街でした。

観光案内を見付け、そこで地図をもらい、また散策。

しかし、ダウンタウンは官庁街といった感じでのんびりとあんまし人も歩いていずとても静かでした。

日本人(アジア系)が珍しいのか、道行く人が「Hi!」と声をかけていきます。

こちらも笑顔で「Hi!」

しかし、その日はレストランなどもわかりにくく、コンビニのようなものも見付けられず・・・

お馴染みのスタバでテイクアウトして、帰り道のYMCA(スポーツジム?)のフロントでペットボトルのお水とジュースとバナナを買ってモーテルへ。

軽く食事をしてシャワーして早めに寝ました。












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アメリカ旅行・序章(?)

2010-11-21 06:46:58 | Celtic Thunder
さて、ようやく諸々片付いたので思い出す限りで「アメリカ旅行」のレポを書いていこうと思います。

最初に言っておきますが、めっちゃ個人的なモノの見方満載ですからね!

すでに所々記憶も曖昧になってきております故・・・

まず、何故アメリカ行きを決行することになったのかを、ちょこっとだけ。。。

去年の8月に偶然見たYouTubeで「Celtic Thunder」に出会ったことから始まりました。

程なく発売していたCDとDVDを購入し、彼らのサイトというサイトをくまなく探し出し、自分でもそれらに登録してどっぷりはまってしまいました。

秋には全米ツアーをしているということがわかりました。

あるサイト(Facebook)でヒューストンの女性と知り合いました。(彼女はすでに去年1度コンサート経験済みでした)

彼女とのメールのやり取りで彼らのコンサートをぜひ「生!」で見てみたい!!と思うようになりました。

彼らのコンサートでは「事前に会って話せて写真が撮れてサインをしてもらえる」M&Mというシステムがあることを知りました。

普通のチケットよりは高額になりますが二度と見ることが無いだろうと思うコンサートですから!とそのチケットを彼女が手配してくれ、運良く手に入れることができるようになりました

それが今年の3月だったかな。

そこから私の計画がスタートしました。

それを大阪のギャラリーのオーナーに話したところ(彼女もすでにどっぷり!でしたので)・・・ノリノリ!!

一気に現実味を帯びて来ました。

今年のツアーは去年よりも大幅に回数も訪問先も増え、かなり長期にわたってのツアーになることがわかってました。

私たちはヒューストンをメインに旅行の計画を立てて行きました。

彼らのツアースケジュールとにらめっこしながら・・・

しかし、せっかく行くのだから、もう一カ所くらいは見たいね!ということになりました。

そこでネックになったのが彼らの行程です。

大所帯でツアーをしている彼らは巨大なトラック2台と大型のトレーラーバスが3台で移動しています。

そして私たちにはその移動の距離感がわかりません。

地図を眺めていてもイマイチわからないくらいに広いのです。(とにかくアメリカ本土だけでも4つの時差がある国ですからね)

まあ、自分たちの休める(旅行できる日数)にも限度がありますので。

そこでヒューストン(テキサス州)のコンサートの1回前のフェニックス(アリゾナ州)のチケットを取ることにしました。

ネットでなんとか購入した席はまずまずの位置!

これで2回のコンサートを見れる、ことになった私たちは本格的に旅行の計画を立てることになりました。

しかし、飛行機のチケットはなかなか間際にならないとしらべることも出来ず、キモチだけが焦りながらもサイトチェックはかかさず、情報だけを仕入れていくという日々でした。

本格的に動き出したのは夏に入ってからでした。

まるっきしの個人旅行ですからなにもかも自分でやらなければなりません。

そして一緒に行く2人は大阪と愛媛に別れています。

メールと電話でのやりとりをしながら8月、私の作品展(大阪)の時に一気に詰めていきました。

飛行機の予約から購入、ホテル探し(できるだけシアターに近いところ!)をして予約。

観光のことなんて何にも考えてませんでした。

なにしろ只一つの目的が「Celtic Thunder のコンサートを見る!」ことでしたから

だから、友人たちからは色々と言われました。

「アメリカ旅行ということやけどなんでフェニックスとヒューストンなの?」

ごもっとも!私もヒューストンの彼女と知り合わなかったらヒューストンのこともましてやフェニックスのことも知らないままだったと思いますからね

でも、そうこうしているうちに飛行機のEチケットが手元にくると胸がワサワサして実感が沸いてきました。

本格的に旅行の準備が始まりました。

間近になってヒューストンの彼女から自分の家に泊まって!とのメールが!!

ヒューストン在住の間はずっと一緒なんだからホテルをキャンセルして来て!と言われました。

そこまでしていいのかしら・・・

っと思ったのですが、そうさせてもらうことにしました。

会ったこともない2人です。

一応写真は交換してました。

大きなネックである「英語」いえ「英会話」に関しては全くの未知数です。

それなのに私に不安は全くありませんでした。

何故なんやろうね、今でも不思議です。

昔なら「文通相手」に初めて会う!という感じでしょうか

もう、ワクワク感だけでした。

お土産やプレゼントを考えたりしているあの時から私の旅はすでに始まっていたのだと思います。



そして、11月8日に私はひとまず大阪入りしました。





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