さて、ようやく諸々片付いたので思い出す限りで「アメリカ旅行」のレポを書いていこうと思います。
最初に言っておきますが、めっちゃ個人的なモノの見方満載ですからね!
すでに所々記憶も曖昧になってきております故・・・
まず、何故アメリカ行きを決行することになったのかを、ちょこっとだけ。。。
去年の8月に偶然見たYouTubeで「Celtic Thunder」に出会ったことから始まりました。
程なく発売していたCDとDVDを購入し、彼らのサイトというサイトをくまなく探し出し、自分でもそれらに登録してどっぷりはまってしまいました。
秋には全米ツアーをしているということがわかりました。
あるサイト(Facebook)でヒューストンの女性と知り合いました。(彼女はすでに去年1度コンサート経験済みでした)
彼女とのメールのやり取りで彼らのコンサートをぜひ「生!」で見てみたい!!と思うようになりました。
彼らのコンサートでは「事前に会って話せて写真が撮れてサインをしてもらえる」M&Mというシステムがあることを知りました。
普通のチケットよりは高額になりますが二度と見ることが無いだろうと思うコンサートですから!とそのチケットを彼女が手配してくれ、運良く手に入れることができるようになりました
それが今年の3月だったかな。
そこから私の計画がスタートしました。
それを大阪のギャラリーのオーナーに話したところ(彼女もすでにどっぷり!でしたので)・・・ノリノリ!!
一気に現実味を帯びて来ました。
今年のツアーは去年よりも大幅に回数も訪問先も増え、かなり長期にわたってのツアーになることがわかってました。
私たちはヒューストンをメインに旅行の計画を立てて行きました。
彼らのツアースケジュールとにらめっこしながら・・・
しかし、せっかく行くのだから、もう一カ所くらいは見たいね!ということになりました。
そこでネックになったのが彼らの行程です。
大所帯でツアーをしている彼らは巨大なトラック2台と大型のトレーラーバスが3台で移動しています。
そして私たちにはその移動の距離感がわかりません。
地図を眺めていてもイマイチわからないくらいに広いのです。(とにかくアメリカ本土だけでも4つの時差がある国ですからね)
まあ、自分たちの休める(旅行できる日数)にも限度がありますので。
そこでヒューストン(テキサス州)のコンサートの1回前のフェニックス(アリゾナ州)のチケットを取ることにしました。
ネットでなんとか購入した席はまずまずの位置!
これで2回のコンサートを見れる、ことになった私たちは本格的に旅行の計画を立てることになりました。
しかし、飛行機のチケットはなかなか間際にならないとしらべることも出来ず、キモチだけが焦りながらもサイトチェックはかかさず、情報だけを仕入れていくという日々でした。
本格的に動き出したのは夏に入ってからでした。
まるっきしの個人旅行ですからなにもかも自分でやらなければなりません。
そして一緒に行く2人は大阪と愛媛に別れています。
メールと電話でのやりとりをしながら8月、私の作品展(大阪)の時に一気に詰めていきました。
飛行機の予約から購入、ホテル探し(できるだけシアターに近いところ!)をして予約。
観光のことなんて何にも考えてませんでした。
なにしろ只一つの目的が「Celtic Thunder のコンサートを見る!」ことでしたから
だから、友人たちからは色々と言われました。
「アメリカ旅行ということやけどなんでフェニックスとヒューストンなの?」
ごもっとも!私もヒューストンの彼女と知り合わなかったらヒューストンのこともましてやフェニックスのことも知らないままだったと思いますからね
でも、そうこうしているうちに飛行機のEチケットが手元にくると胸がワサワサして実感が沸いてきました。
本格的に旅行の準備が始まりました。
間近になってヒューストンの彼女から自分の家に泊まって!とのメールが!!
ヒューストン在住の間はずっと一緒なんだからホテルをキャンセルして来て!と言われました。
そこまでしていいのかしら・・・
っと思ったのですが、そうさせてもらうことにしました。
会ったこともない2人です。
一応写真は交換してました。
大きなネックである「英語」いえ「英会話」に関しては全くの未知数です。
それなのに私に不安は全くありませんでした。
何故なんやろうね、今でも不思議です。
昔なら「文通相手」に初めて会う!という感じでしょうか
もう、ワクワク感だけでした。
お土産やプレゼントを考えたりしているあの時から私の旅はすでに始まっていたのだと思います。
そして、11月8日に私はひとまず大阪入りしました。
最初に言っておきますが、めっちゃ個人的なモノの見方満載ですからね!
すでに所々記憶も曖昧になってきております故・・・
まず、何故アメリカ行きを決行することになったのかを、ちょこっとだけ。。。
去年の8月に偶然見たYouTubeで「Celtic Thunder」に出会ったことから始まりました。
程なく発売していたCDとDVDを購入し、彼らのサイトというサイトをくまなく探し出し、自分でもそれらに登録してどっぷりはまってしまいました。
秋には全米ツアーをしているということがわかりました。
あるサイト(Facebook)でヒューストンの女性と知り合いました。(彼女はすでに去年1度コンサート経験済みでした)
彼女とのメールのやり取りで彼らのコンサートをぜひ「生!」で見てみたい!!と思うようになりました。
彼らのコンサートでは「事前に会って話せて写真が撮れてサインをしてもらえる」M&Mというシステムがあることを知りました。
普通のチケットよりは高額になりますが二度と見ることが無いだろうと思うコンサートですから!とそのチケットを彼女が手配してくれ、運良く手に入れることができるようになりました
それが今年の3月だったかな。
そこから私の計画がスタートしました。
それを大阪のギャラリーのオーナーに話したところ(彼女もすでにどっぷり!でしたので)・・・ノリノリ!!
一気に現実味を帯びて来ました。
今年のツアーは去年よりも大幅に回数も訪問先も増え、かなり長期にわたってのツアーになることがわかってました。
私たちはヒューストンをメインに旅行の計画を立てて行きました。
彼らのツアースケジュールとにらめっこしながら・・・
しかし、せっかく行くのだから、もう一カ所くらいは見たいね!ということになりました。
そこでネックになったのが彼らの行程です。
大所帯でツアーをしている彼らは巨大なトラック2台と大型のトレーラーバスが3台で移動しています。
そして私たちにはその移動の距離感がわかりません。
地図を眺めていてもイマイチわからないくらいに広いのです。(とにかくアメリカ本土だけでも4つの時差がある国ですからね)
まあ、自分たちの休める(旅行できる日数)にも限度がありますので。
そこでヒューストン(テキサス州)のコンサートの1回前のフェニックス(アリゾナ州)のチケットを取ることにしました。
ネットでなんとか購入した席はまずまずの位置!
これで2回のコンサートを見れる、ことになった私たちは本格的に旅行の計画を立てることになりました。
しかし、飛行機のチケットはなかなか間際にならないとしらべることも出来ず、キモチだけが焦りながらもサイトチェックはかかさず、情報だけを仕入れていくという日々でした。
本格的に動き出したのは夏に入ってからでした。
まるっきしの個人旅行ですからなにもかも自分でやらなければなりません。
そして一緒に行く2人は大阪と愛媛に別れています。
メールと電話でのやりとりをしながら8月、私の作品展(大阪)の時に一気に詰めていきました。
飛行機の予約から購入、ホテル探し(できるだけシアターに近いところ!)をして予約。
観光のことなんて何にも考えてませんでした。
なにしろ只一つの目的が「Celtic Thunder のコンサートを見る!」ことでしたから
だから、友人たちからは色々と言われました。
「アメリカ旅行ということやけどなんでフェニックスとヒューストンなの?」
ごもっとも!私もヒューストンの彼女と知り合わなかったらヒューストンのこともましてやフェニックスのことも知らないままだったと思いますからね
でも、そうこうしているうちに飛行機のEチケットが手元にくると胸がワサワサして実感が沸いてきました。
本格的に旅行の準備が始まりました。
間近になってヒューストンの彼女から自分の家に泊まって!とのメールが!!
ヒューストン在住の間はずっと一緒なんだからホテルをキャンセルして来て!と言われました。
そこまでしていいのかしら・・・
っと思ったのですが、そうさせてもらうことにしました。
会ったこともない2人です。
一応写真は交換してました。
大きなネックである「英語」いえ「英会話」に関しては全くの未知数です。
それなのに私に不安は全くありませんでした。
何故なんやろうね、今でも不思議です。
昔なら「文通相手」に初めて会う!という感じでしょうか
もう、ワクワク感だけでした。
お土産やプレゼントを考えたりしているあの時から私の旅はすでに始まっていたのだと思います。
そして、11月8日に私はひとまず大阪入りしました。
私も懐かしみながら読みました。
一期一会とは言うけれど、
そこから始まるか始まらないかは自分次第だという気がします。
本編に行く前にもうワンクッションありそうだな(笑)
チャンスは何時なり自分の周りを漂っているんだもんね。
それを掴むか掴まないか・・・
それだけのような気がします。
今年の私はかなり掴む力が強かったのかもね。
眞紀子さんもそんな感じかな