ただいま。
なんとなく、なんとなーく仕事に慣れてきたような気がするようなしないような最近。
昨日の朝、私の大好きな患者さんが亡くなった。
その人は私が入院をはじめてとった人で、本当にジェントルマンな人だった。
アナムネ(入院時、今の病気とか既往歴とか生活週間とか、その患者さんの全体をさらっと情報収集する)のとき、自分の病気についての認識、ていう項目がある。
それについて彼は、「もう長くないんやって先生言うてたわ。苦しい治療で一年生きるより、好きなように半年生きたいと思ってます」と答えた。
その言葉通り、積極的な治療はせず緩和的な医療を選択していった彼は、最後まで酸素吸入もせず、心電図モニターをつけることもなく、自然な死を迎えた。
まぁ私は昨日準夜だったから、夕方病棟にいって彼の死を知ったんだけど。
一ヶ月前、何もできないで毎日先輩に怒られていた私を、彼はよくほめてくれた。
部屋が明るくなるようや、とか、その笑顔だけで元気になれる、とか。
私が担当だとうれしい、と言ってくれる患者さんだった。
彼の言葉たちに何度助けられたんだろう。
足がむくんで歩くのが本当にゆっくりになってからもご飯は必ずナースステーション前までとりにきて、本当にがんばる人だった。
でも何日か前から、ごはんもほとんど食べられなくなって、部屋から出てくる姿がみられなくなっていた。
三日前、日勤で久しぶりに彼の部屋の担当になっておどろいた。
やせてやせて、それでも私を見ると弱弱しく笑ってくれた。
疼痛緩和のためにモルヒネも使われていて、時々何度も同じことを聞いたりもしたりして、レベルが下がっていることがわかった。
お昼前にりんごジュースを持っていくと、トイレの壁によりかかって、家族にささえれてやっと立てている彼がいた。
車椅子をもってこようとするけど、「いい」と言う。
ベッドを寄せようとするけど「いいんや、いけるから」と言う。
どう見ても、いけない。歩けない。
ちょうど部屋にきた先輩と、彼を支えてベッドを寄せてなんとかベッドに戻れた。
彼にとってトイレ歩行は本当に大きな意味のあるものだったんだと思う。
それまでも、夜一人でトイレに歩くときはナースコールして、といったけど一度もしなかった。
それはナースへの遠慮もあったと思うし、できないことが増えてきた彼にとってできることの一つだったから一人でしたかったんだとも思う。
そんな人に、膀胱にカテーテルを留置してトイレにいかなくていいようにするのはどうか、そんなことを提案するのが辛かった。
もっと辛いのは彼自身だ。そんなことはわかってるんだけど、彼の気持ちとか、家族の気持ちとか、以前の彼とか、残り少ない時間が目に見えている状況とか、もういろんなことがどーっと押し寄せてきて、勤務中なのに、もう自分の感情が抑えきれなくて彼の部屋を出た瞬間どうしようもなく泣いた。
それが三日前で、今日はもう病棟に彼がいない、というかこの世界に彼がいない。
私はそれを、寂しいと思っていいですか?
よく「いつ訪れるかわからない死だから、今を精一杯いきる」という言葉をきくけど、私はそんなこと、毎日思って生きるような気力は今のところない。
でも彼の死からひとつ考えたことがある。
私は自分の大切な人を毎日心から愛することに決めた。
奥さんを本当に大事にしていた彼は、奥さんの身体を思って、死の前日も夜間病室に付き添うことをさせなかった。
いろんなことを思い出しながら書いてると、いつのまにか朝が訪れてたみたい。
人がひとりいなくなっても、朝はいつもとかわらないね。
あたりまえか。そろそろ寝よう。
たくさんの感謝とともに、ご冥福をお祈りします。
なんとなく、なんとなーく仕事に慣れてきたような気がするようなしないような最近。
昨日の朝、私の大好きな患者さんが亡くなった。
その人は私が入院をはじめてとった人で、本当にジェントルマンな人だった。
アナムネ(入院時、今の病気とか既往歴とか生活週間とか、その患者さんの全体をさらっと情報収集する)のとき、自分の病気についての認識、ていう項目がある。
それについて彼は、「もう長くないんやって先生言うてたわ。苦しい治療で一年生きるより、好きなように半年生きたいと思ってます」と答えた。
その言葉通り、積極的な治療はせず緩和的な医療を選択していった彼は、最後まで酸素吸入もせず、心電図モニターをつけることもなく、自然な死を迎えた。
まぁ私は昨日準夜だったから、夕方病棟にいって彼の死を知ったんだけど。
一ヶ月前、何もできないで毎日先輩に怒られていた私を、彼はよくほめてくれた。
部屋が明るくなるようや、とか、その笑顔だけで元気になれる、とか。
私が担当だとうれしい、と言ってくれる患者さんだった。
彼の言葉たちに何度助けられたんだろう。
足がむくんで歩くのが本当にゆっくりになってからもご飯は必ずナースステーション前までとりにきて、本当にがんばる人だった。
でも何日か前から、ごはんもほとんど食べられなくなって、部屋から出てくる姿がみられなくなっていた。
三日前、日勤で久しぶりに彼の部屋の担当になっておどろいた。
やせてやせて、それでも私を見ると弱弱しく笑ってくれた。
疼痛緩和のためにモルヒネも使われていて、時々何度も同じことを聞いたりもしたりして、レベルが下がっていることがわかった。
お昼前にりんごジュースを持っていくと、トイレの壁によりかかって、家族にささえれてやっと立てている彼がいた。
車椅子をもってこようとするけど、「いい」と言う。
ベッドを寄せようとするけど「いいんや、いけるから」と言う。
どう見ても、いけない。歩けない。
ちょうど部屋にきた先輩と、彼を支えてベッドを寄せてなんとかベッドに戻れた。
彼にとってトイレ歩行は本当に大きな意味のあるものだったんだと思う。
それまでも、夜一人でトイレに歩くときはナースコールして、といったけど一度もしなかった。
それはナースへの遠慮もあったと思うし、できないことが増えてきた彼にとってできることの一つだったから一人でしたかったんだとも思う。
そんな人に、膀胱にカテーテルを留置してトイレにいかなくていいようにするのはどうか、そんなことを提案するのが辛かった。
もっと辛いのは彼自身だ。そんなことはわかってるんだけど、彼の気持ちとか、家族の気持ちとか、以前の彼とか、残り少ない時間が目に見えている状況とか、もういろんなことがどーっと押し寄せてきて、勤務中なのに、もう自分の感情が抑えきれなくて彼の部屋を出た瞬間どうしようもなく泣いた。
それが三日前で、今日はもう病棟に彼がいない、というかこの世界に彼がいない。
私はそれを、寂しいと思っていいですか?
よく「いつ訪れるかわからない死だから、今を精一杯いきる」という言葉をきくけど、私はそんなこと、毎日思って生きるような気力は今のところない。
でも彼の死からひとつ考えたことがある。
私は自分の大切な人を毎日心から愛することに決めた。
奥さんを本当に大事にしていた彼は、奥さんの身体を思って、死の前日も夜間病室に付き添うことをさせなかった。
いろんなことを思い出しながら書いてると、いつのまにか朝が訪れてたみたい。
人がひとりいなくなっても、朝はいつもとかわらないね。
あたりまえか。そろそろ寝よう。
たくさんの感謝とともに、ご冥福をお祈りします。