5人と1匹~お気楽家族~プラスα

らぶらどーる寝とり~ば~のれおんとその他大勢のにんげんのくらし。

傷心旅行

2006年09月25日 | にんげん

ダーリンの個人的情報保護の観点から

あまり詳しくはお伝えできませんが

とある国家試験にチャレンジしていたんです。

寝る間も惜しんで、休日も頑張って勉強してきました。

1次試験は 資格を取らせる専門学校から

合格の判定を出されて

2次試験に向けて 気合入れて頑張っていました。

1次試験の合格発表を待っていては2次試験に間に合わないからです。

・・・・・・・・。

ところが、

な・な・なんと

1次試験の合格発表にダーリンの 番号はありませんでした。

世の中を騒がせてるあの事件のせいらしいのですが

前代未聞!過去最低の合格率にされたようです。

 

と、言うわけで

傷心旅行にでも行くか~~~

 

ダーリンが、岩手で旅行関係のお仕事をしているお姉さんに

旅館の手配をお願いして

 

ほんとに 行くことになってしまいました

二人っきりで 泊まりの旅行なんて

それこそ新婚旅行以来です

場所は花巻 私は初めてなので楽しみ~でした。

子供たちの大会応援やら 用事じゃない 純粋に旅行です。

お宿は山懐に抱かれた静かな温泉旅館 幸迎館 です。

ちょうど所要で秋田からの帰り道のお姉さんご夫妻と

ご一緒することになりました。

以前は集まれば 双方男の子ばかりで賑やかなものでしたが

今となっては、チビSを除いてみんな成人してるんですよね~。

そういえば こうしてお姉さんご夫妻と 一緒にお泊りも初めてのことですね(^_^)

とうとう、子抜きの大人だけで旅行する時期がきたんですね~。

嬉しくもあり、寂しくもあり・・・・・。

ちょっと恥ずかしいですが2ショットです

 お夕飯のお膳です。

これに 天婦羅と子羊のお肉料理と芋のこ汁もついてました。

ぎゅうしゃぶ

食べきれないほどの ご馳走でした。

 

 

数日前まで どん底の状態だったので

一時は旅行なんて行けない!絶対無理!!っと思っていましたが

こうしてダーリンと一緒に旅行に来れて

お姉さんご夫妻にも色々お気遣い頂いて 

ほんとうに みんなに感謝しています。

 

真っ青な秋空の下 入った露天風呂、

おいしいご馳走、

楽しいスナックでの2次会・・・・等々

ダーリンの心の傷も癒えたことでしょう。

忘れるところでしたが、傷心旅行ですから 今回は(^_^.)

 

次の日もいいお天気になりました。

山の木もほんのり色づき始めてて

紅葉の時期は最高に綺麗だろうなあ、と想いつつ

旅館をあとにしました。

途中、りんごの直売所に寄ってれおんにお土産を買ったりしながら帰りました。

黄金色に色づいた こんな景色が延々と続く岩手って

やっぱり広いなあ~~~\(^o^)/気持ちいい~~。

 

ダーリンだけじゃなく 私の心もほぐしてくれた今回の旅行でした。

 

 

 


チャンピオンシップ大会

2006年09月23日 | 水泳

チビSの通ってるスイミングスクールの地方大会です。

3県から計4つのスクールが集まって 春と秋の2回行われます。

ここで 『標準タイム』を切るとスクールの全国大会に出場できるのです。

今回はチビSは50Br,100Br、200Brと全て平泳ぎでのエントリーでした。

どの種目にエントリーするかは コーチが決めてきます。

本人の意向もあり ブレスト(平泳ぎ)1本でのエントリーに

親として ずっと我が子を見てきてて 今大会も なんの収穫にもならない

ただ、出るってだけの大会・・・・と 

なんの期待もしないで 行きました。

もちろん、予想通り たいした結果はなにひとつない レースでした。

レースで泳ぐ度にベストタイムを出す子もいます。

目標は全国大会のみって子もいます。

 

けど、チビSのように いくらまじめに練習しても ちっとも成果のない子もいるのです。

何事もそうですが、 才能やセンスに勝るものはありません。

それでも

チビSは練習に通うのです。

あおむしはいつか必ずきれいなアゲハ蝶になると 信じてでもいるかのごとく。

才能があるのか、ないのかと言えば 無いほうの部類に入るでしょう。

好きか嫌いかというのであれば 大好きなのでしょう。

 

観ているのがどんなに辛くせつなくても

本人が 頑張って続ける限り 私たちは親として 彼のそんな姿をただ

見守っていくしかないのです。

 

 今回は 特別にS兄がスクールの選手として 出場しました。

個人種目3種目とリレー2種目です。

S兄の泳ぐ姿をみられるのは 久しぶりで、私たちは チビSはともあれ

S兄のレースを楽しみに 1日過ごすことにしました。

せめて、それくらいの楽しみでもないと 苦痛だけの観戦、応援で終わってしまいますから。

スイマーとして この先もやっていくのなら 

ほんとうに厳しい棘の道が チビSを待ち構えているのです。

 

そんな息子に付き合う 覚悟・・・・まだ ちょっと自信ありません。

 

 

 

 


・・・冷あせ(@_@;)

2006年09月22日 | うつ

これは 後日談になります。

17日の夜にチビSとの関係改善でぐっと良好な精神状態へと変化していった私ですが、

実は 土曜日から 薬を飲んでいませんでした。

それまでは 毎日きちんと決められた用量、用法を守って薬を服用していました。

薬さえちゃんと飲んでいれば きっと良くなるんだ!とそう思っていたからです。

私が処方されているのは

 ●レキソタン錠2mg             1日3回  各1錠

 ●アモキサンカプセル10mg     1日3回  各2カプセル

量的には少ないほう、らしいです。

薬効としては 不安や緊張を取り除く、心と体の調子を良くする

         気持ちを楽にして意欲を高める、 とあります。

でも、 正直なところ ここに書いてある薬効を実感できてはいませんでした。

それどころか、日内変動、週内変動も結構あって 気力体力を1日維持することはできず

苦しい思いをする事も多く テンションの低い状態の私でした。

 

そして、11日の事件、13日のクリニック受診での先生の対応、『認知療法』、

その他もろもろの日々の出来事で、

( 薬に頼ってるから いつまでも 良くならないんだ!! )

という、なかば 投げやりな気持ちもあって 薬を全部 捨ててしまったのです。

薬なんか飲まなくたって 考え方を変えれば 症状は良くなるんでしょ!みたいな

誰かに対してか、自分に対してかの当てつけだったと思います。

 

18日の祝日は 午前中は買い物にでかけて、

午後は久しぶりに家族全員揃って リビングで『名探偵コナン』の1番新しい劇場版のDVD鑑賞。なんで、こんな事がこんなに幸せな気持ちになるんだろうって

不思議なくらい 心安らぐ休日でした。

ただ、なぜか 胸がざわざわとして 落ち着かない感じはありました。

 

19日(火)は激動の連休明けで みんなそれぞれ 学校や会社に出掛けていきました。

私は9:30から歯科クリニックの予約(知覚過敏の治療で)

30分ほどで戻ってきてからが・・・・母と二人きり・・・・。

まずい、と思った時にはもう 母のとめどないおしゃべりの魔の手からは

逃れることはできなくなってしまうのです。

 

母と 接することが 苦手な私。母のおしゃべりは特に苦手。

本当は  本当の私は 自分の母親が大の苦手だなんて、酷い娘です。

 

どうしようもなくなった時、 母が観たがっていた『南極物語』のDVDを借りてきていたのを思い出して おもむろにTVをつけて 上映開始。

これで おしゃべりは 止まるだろうと、計算高い 娘です。

しばらく一緒に観ていましたが 犬が置き去りにされるストーリーなんて

絶対!!泣いちゃうので 途中でこっそり退席して、2階にあがって休むことにしました。

 

疲れたなあ・・・・・。

とりあえず、お昼寝でもしないと・・・とベッドに横になった時から

急激に体調がおかしくなり出しました。

激しい動悸、手足もかすかに痙攣して、全身の毛穴が開いて 冷や汗がでて

胸苦しいというか 息ができない感じで 過呼吸になりそうでした。

とても 横になんかなっていられず 起きてはみたものの

目眩がして 全身で脈を打ってるみたいな感覚、ちゃんと立って歩くこともできず

 

これは、まずい まずい 絶対まずい、救急車ものだ・・・・・

( どうしよう! )

なんとか扇風機の前まで行って スイッチを押して 風にあたって

ゆっくり大きく呼吸、しばらくして 少し落ち着いてきました。

PCの前まで行って 扇風機の風に当たりながら

薬の名前を検索にかけて 確かめました。

確か、どこかで、 勝手に服用を中止しない・・とかなんとか 読んだ記憶があったからです。

 

薬を捨てて 飲まなくなって丸3日、 それまで3ヶ月間飲み続けてきたこの体から

薬の成分がすっかり抜けたころでした。

 

急激に服用をやめたことからくる反動だったのか

それまで 実感できなかった 薬効の力を これ以上ない形で 思い知る事になりました。

素手で心臓をぎゅっと掴まれているような緊張感や 言い知れぬ不安感、激しい動悸に襲われて、 初めて 薬の作用を実感しました。

 

色んな案を考えましたが 結局 自分で車を運転して 午後1番に診察を受けて 薬を出してもらうしかない と、 必死で運転して仙台の街の真ん中まで行きました。

ほんとうに あんな震える手で よくも 行けたものだと 思います。

クリニックに辿り着いて 診察開始までの30分の長かったこと・・・・・・。

 

でも、

先生、ごめんなさい。 片付け物をしていて 薬の袋を紛失してしまった、なんて

苦しい嘘をつきました。

さすがに 捨てた、と 正直には言えませんでした。

きっと、そんなのは嘘だろうと バレバレの言い訳でしたから

先生はわかって いたでしょうけど。

 

ヤク中患者のヤク切れ?状態を味わって 十分 反省したので お許し下さい。

処方箋を急いで薬局に出して 駐車場で速攻 薬を飲みました。

「家に着くころには 落ち着いているでしょう」

はい、先生。 

 

お蔭様で あれから 再びまじめに服用しています。

こんな低いテンションな私でも 薬のお陰~と 現状を受け入れ付き合っていく心構えもできました。

まだ当分 この薬とこんな自分と 付き合っていかなくてはならないでしょう。

なにより 家族も こんな私に付き合ってくれているんですから。

 

感謝。

 


9月17日

2006年09月20日 | うつ
この日は チビSの14歳の誕生日であり
そして、県新人大会の日でもありました。

前日の土曜日からは 妹一家も泊りがけで遊びに来ていました。


しばらく このブログではあまり自分の うつ の状態について書くことはありませんでしたが
17日は最悪な状態になってしまっていました。

その大きな原因はチビSとの関係にありました。
1週間前にちょっとしたことから 私とチビSは断絶状態になって 
なんの打開のすべもないまま この朝を迎えました。

11日の朝のことでした。
7時をすぎても起きてこないので、彼の隣に横になってくすぐって起こしてやろう・・・なんて考えていたところを
彼に蹴り落とされて ベッドと机の僅かの隙間に挟まったまま動けなくなってしまいました。
ちょっとでも動くと 肩と肋骨に激しい痛みがあって 「助けて」と声さえ出せずにいましたが、
チビSは 私がふざけてるとでも思ったのか そのまま 私をほったらかして1階へ降りて行ってしまいました。

1階に私の姿がないのを おかしいと思って捜しにきたダーリンに救出されましたが、
どうしてこんな事になったんだ と問われてチビSは「知らない・・・」と答えました。
そして事情を知った父親に「謝れ!!」と怒られても 
自分は悪くないのになんで謝らなきゃならないんだ という態度でした。
小さい声で いやいやながらに「ごめんなさい・・」

今、彼が反抗期にあるのは重々理解はしているつもりでしたが、
この事件は 私には相当なダメージになってしまいました。

怒りの感情は悲しみ、失望感にすりかわり 2日で3㌔も体重がおちました。
 落とそうと思ってるときは1㌔落とすのも苦労するのに。

13日 あまりに気分の落ち込みがひどく わらにもすがる想いでクリニックに行きました。
事の経緯を話すと 先生は
「そんなんじゃあ、絶対治りませんよ、薬でごまかすことはできても、良くはなりませんから」
と『認知療法』という冊子を出してきて
最後までがんばって読んで下さいね、とおっしゃいました。

飲めば ぱーーーーっと気分が明るくなる薬でも出してもらえたら・・・・と
思い詰めて行ったわりには 拍子抜けするような 対応でした。

この日はダーリンが初めて一緒に診察室に入ってくれたのですが、
ふたりして (薬に頼ってては 駄目ってことか?)という印象を持ってしまいました。


スイミングの送迎も 兄たちが代わってしたり 私の母もいるので
チビSにとって 私はいてもいなくても なんら困ることはなく1週間は過ぎました。

この間の私は 現実逃避からか ほとんどベッドの中で過ごしていました。
『認知療法』を読んでは眠る・・・という感じで
1日のうち 起きていられるのは3時間くらいでした。

なんとか『認知療法』を読み終えて わかったのは
自分は 勝手な不適切な思考を持った人間だ、と言うことでした。

冊子の中には
『ストレスを生み出す11の「不適切な基本的考え方」』ということが書いてありました。
1、人間道具論
2、あるべき姿中毒
3、完全主義
4、過度の自己犠牲
5、過去の奴隷
6、あやつり人形型思考
7、過度の一般化
8、白昼夢思考
9、選別めがね
10、八方美人中毒
11、真理めいた願望
これらの項目の1つ1つの詳しい説明があり
程度の差こそあれ 8項目くらいは当てはまる、いや思い当たる内容でした。

もちろん、これらは うつ でなくとも 誰にでもあり得る『考え方』だと思います。
ただ わざわざこうして冊子にまとめて患者に渡すという事は
不適切な考え方をもっていても元気にがんがん暮らせる人間と、
私のように自分自身気づかないうちにストレスにがんじがらめに
なってしまってる人間がいるってことを自覚しなさい、という事なのでしょう。


長くなってしまいましたが
17日の朝、14歳の誕生日に最悪の気分を味わう羽目になったこと
自分の存在そのものを消し去ってしまいたい衝動
楽しみにしていた県新人大会の応援すらできない自分

色々な感情をどうすることもできずに
ただベッドのなかでのたうち 苦悶の時間を過ごしていました。

結局、身勝手な母親の愛情を拒絶されたことを認めたくない
醜い自分を思い知った・・・だけのことでした。

それでも
夜になって パパが何もないのは可愛そうだとケーキを買ってきて
これまでにない質素で静かなBirthdayを祝いました。

晩御飯のあと お風呂からあがってきたチビSが
ふっ・・と私の後ろに立って ぽかぽかの手で肩を揉みはじめました。

あの事件の日から はじめての接触でした。

もう「ごめんなさい」の言葉なんて 必要ではありませんでした。
たったそれだけで 全てのわだかまりは すーーーっと消えて
私のなかの 固い悲しみの塊が 淡雪のように 解けて
お互いの存在の暖かさを 実感しました。
大袈裟に言えば 命の暖かさを実感しました。

この長い1週間、私は 自分の不適切な基本的な考え方の癖と向かい合って
当たり前過ぎて 気づかなかった自分自身と格闘していました。

『認知療法』の入り口には立った・・・けど
なにしろ40数年慣れ親しんできた思考ですから
改めるという作業は そう簡単ではなさそうです。

自分史・・というものがあったならば
2006年9月17日は 太字で 書かれる チビS14歳の誕生日。




花を食うオトコ

2006年09月15日 | わんこ

台風一過の青空が広がり暑いです。

でも雨ふりじめじめよりずーーーっと気持ちいいのはれおんも同じようです。

 

剪定で刈り取ったラベンダーの花がとってもいいにおいです。

ほら、れおん いいにおいでしょ

????ぱく・・・って

なんで食べるの?

ラベンダーの花をむしゃむしゃと食べるオトコ。

夢中になってラベンダーをむさぼっています。一体何が彼をそうさせるのでしょう。

そして、満足気にこの笑顔。

口臭予防のつもりだったとか????

とても爽やかそうなれおんさんでした。

もちろん、お口はとってもラベンダーな香りがしています。

そんなアロマな香りのれおんクンとなら いっぱい ちゅっちゅしちゃいますよ~。


定禅寺ジャズフェス

2006年09月10日 | いろいろ

今年で16回目になるという定禅寺通りジャズフェスティバル。

何日もまえから TVや新聞の情報で

母T子が「行ってみたい、行ってみたい」

     「あたしはジャズ すきなんだよね~」

じゃあ、行ってくればいいじゃん、と心の中で思う私。

でも、私は知っている。この人ひとりでなんかでかけたりできないのだ。

つまり!私に『連れて行け』とあんに言ってるにすぎないという事。

もしも私が「行ってくればいいんじゃない?」

なんて言ったものなら

「やれ行き方がわからない。」だの「 道に迷うから」だのと聞きたくもない御託を並べ立てられるのが関の山。

ここはひとつ!親孝行ということで お昼過ぎに仙台に出掛けることに。

母T子はむか~~し仙台に少しばかり住んでいたことがある。

だけど、生来の方向音痴なのか 自分が今 どこをどっちに向かって歩いているのか・・・まるでちんぷんかんぷんな人。人はそれでも強く生きて行けるのだと、思ったりするけど。この能力は私の妹にしっかりと引き継がれている。

仙台駅から市営地下鉄に乗り継いで2駅目で降りると メイン会場だ。

何年か前に1度、ダーリンと散策してて偶然このジャズフェスに遭遇したことがあった。

小さな路地のお店の前の駐車スペースが とあるグループの会場になっていた。

観客は十数人、こじんまりとした空間に流れるジャズの生演奏♪

別にジャズが好きってわけではなくとも 思わず足を止めて 聴き入ってしまった。

そんな思い出のあるジャズフェス。

このケヤキ並木の下をそぞろ歩くのはとても気持ちがいいもの。

でも9月も10日だというのに 今日は32度もあって おまけに 数年前とは比較にならないほど ものすごい人出になっていて、どこもかしこも 演奏会場の前はヒトダカリ・・・。

 

このへんで ようやく腰掛けられる場所をみつけて、しばしこのお姉さんのスローバラードを堪能した。

 

せっかく来たんだからと 取りあえずこの定禅寺通りは端から端まで 会場チェックしながら歩いてみた。

そろそろ 足の悪い母T子も限界かな・・・・ということで

仙台駅方向に向かって 昼間の国分町から一番丁へと行くことにする。

これまた 七夕まつりの時にも負けないくらいの人の多さにびっくり。

さすがに私も足取りが重くなってっきていた。

ただただわたしの歩くほうについてきてるだけの母に

「ねえ、いまどっちに向かって歩いてるかわかる?」

「??わかんない」

ああ(ーー;)

ここが県民会館だよ~、ここが市民会館でね~。ここから西公園。

三越ね!藤崎デパートだよ・・・等と説明しながら歩いてきたけど、

きっと 次に来た時も何もわからないで歩くんだろうなあ・・・ちょっと悲しい。

なんとか仙台駅に辿り着いたときには もう二人ともくたくたで 腹ペコで。

夕方の4時なんて中途半端な時間だったけれど

地下のレストラン街でおいしいもんでも食べて行こうか!

って、こんな時だけは意気投合している母子。

私は牛たんのお膳もの、母T子はオマールえびとほたてのなんたら・・・・(忘れてしまった)それに 殻牡蠣の香草焼きを二人前ね、なんて太っ腹な お母上さま。

わたしは遠慮がちに生ビールの小を1つ。

こうなるとなんだか ジャズフェスってのはただの口実で 美味しい物を食べに出掛けてきたような気にさえなってくるから 不思議だ。

 

「あと15分で駅につくからお迎えお願いね~」

と、家にいるお兄ちゃんに電話して 気分よく帰りの電車に乗った。

今夜の夕飯は午前中に作ってでかけたので もう何もすることはないのが嬉しい。

あ・・・っとちょっとニュアンスが違ったわ。作ったのではなく「作らせた」が正しいんだった。3兄弟にいつもの『キッチン体験学習』でカレーを作らせておいたんだった。

たまには こんな親孝行な休日もいいよね。

親孝行のチェーン現象。


川遊び

2006年09月05日 | わんこ

今日も気温は30度を超えて 9月とは思えぬ東北の暑さです。

S兄が大学の部活の同級生や後輩を連れて海に遊びに行くのだ、というので

海よりずっとおもしろくていいとこあるよ!と 先日行ったあの河原を教えてあげることになりました。

もちろん、れおんも同行ですよ。

どうがんばっても うちから1時間はかかってしまうのでちょっと遠いのですが 仕方ありません。

河原まで道の説明をしながら 到着。

今日はだ~~~れも来ていません、貸切ですやった~

先日ノーリード体験をして ちょっと自信がついたので、もちろん今日も即 リードをはずしてれおんにGOです。

初めは河原や浅瀬でばかり走って遊んでいるので 深いところで泳がせて見ることに。

この河原 浅瀬が多くて安全なのですが淵になってるところは いきなり深そうです。

いったいどのくらい深いんだろう。今日はだれも水着をもってないので知る術もなし。

れおんにはまたまたペットボトルでレトリーブしてもらいましょう。

あ・あれーーーもしかして溺れてるんじゃない?

こらーーーーしっかり泳げ

そうそう、だんだんいい感じになってきました。

おおォ君だってちゃんとレトリーブして泳げるんじゃない

ここ、クヴェちゃんやりゅうクン、ガジーちゃん達みたいに泳いでるわ

立派にレトリバーとしての雄姿を見ることができて ホッとしました。

この へっぴり腰。

『泳ぐ』ってことにはまだ慣れが必要のようですね。

スイマー3兄弟のうちのラブラドールがこんなんじゃ 恥ずかしいでしょ?


海~2006~

2006年09月03日 | わんこ

9月に入ってからの連日の残暑。

部活がお休みになって 幾分 暇をもてあまし気味のS兄が

「海!海に行こうよ!」

と、突然言い出しました。

そう言えば 今年はまだれおんを海に連れていってませんね~。

例の台風12号の影響がきてるらしいけど

さすがに9月だし そんなに人もいないだろう・・・・と

じゃあちょっくら 行ってみますかァ?と軽い気持ちで出掛ける事に。

 

うちから30分ですから 近いと言えば近いのかな?

しかし行ってびっくり。駐車場には車がどっさり、人もいっぱい。

ここは、ボードやサーフィンをする人たちが多いんだけど、

結構、海水浴しちゃってるひともかなりいました。

ほんとは もう遊泳禁止の時期なんですけどね。

それに 思ったより 海はかなり時化て波も高かったんです。

ずっと沖のほうにも白波が立って うねりが高くちょっと怖いくらいでした。

でも空は真っ青!!

れおんも 何度か遊びにきてるので 波を怖がる様子もなく

張り切ってペットボトルをレトリーブに海に飛び込んで行きました。

時々、波間に見失ってうろうろ、全然違う方向にざぶんざぶんと突っ込んでいく姿を

通りすがりの人に笑われてしまったり・・・・。

 

なんちゃってレトリバー返上ですね。

 


体育祭~2006~

2006年09月02日 | にんげん

 

すすきの穂も風にそよぐ9月2日(土)

空は青く澄み渡りまさに絶好の体育祭日和です・・・・・。

9時開会のはずなのに、なんで7時半集合なの?

都市対抗野球の応援からやっと帰ったのは在来線の終電にのって0時半。

正直 疲れました。

チビSのスイミングの送迎はお兄ちゃんSに分担してもらい

夕飯はスイミングの帰りに食べてきてね!って頼み

ついでに お弁当だから お米もといで 釜にしかけておいてねってお願いして。

ちゃんと朝にはご飯が炊けていました、ありがとうね~。

しかし、7時半集合に間に合うように お弁当を作って持たせるのは厳しいよ

時間がないのよ!時間が! まだ半分眠ってる頭と体で なんとかとんかつメイン弁当完成!

しかしのんびりしている暇はない。洗濯をして 日焼けどめにしっかり化粧もして出掛ける準備を急ぎます。今年はちゃんと入場行進から見たいから。

ぎりぎりなんとか間に合いました~。

・・・って ところで今年は何組?聞いてなかった。

どうやら赤組のようですね、それにしてもなんとも覇気のない行進です。

去年までは 赤と白の2チームにしか分れられなかったのが

今年から なんと 青も加わって3チームになったんですね~

この学校も序じょに人数が増えてるんだなあ、ちょっと燃えそうです。

これは『利府祭人』という踊り。去年1年生の時は振り付けもまともに覚えてなかったチビSがちゃんと 踊っていました。

 

どうやら 赤、青、白とそれぞれの組でオリジナルの振り付けをしてるようです。

今年で6年目、S兄が第1期卒業生のこの学校、確かに少しずつ成長してる そんな気がしました。

 

8月28日の始業式の日から丸5日間だけで 演目、種目の練習から、

カラー別応援の中身を決める、練習、準備 すべてを たった5日でここまで完成させるには 3年生のリーダーシップとみんなの協力する心が ひとつにならないと出来なかったことでしょう。

赤軍の応援は、 アイデアも リーダーたちも そしてみんなも 一丸となって

本当に素晴らしいものでした。

来年はいよいよチビSたちが3年生、こんな風に頼りがいのある立派な3年生になれるのかな?

去年はまるで みんなの呼吸が合わなくて全然駄目だった4人5脚競争。

それが 今年はまるで見違えるような見事な走りを見せてもらいました。

前の組のひもが解けて結び直ししてる間に追い越されたのに

諦めることなく しっかりと肩を組んで がんがん走って行きましたね。

どれほど練習して自信を持って臨んだのかが伝わってくる走りでしたよ。

確かに しっかりと 君たちは逞しく成長したんだと そう教えられました。

 

いい体育祭だったね。

炎天下のもと まっくろに日焼けした顔で最後まで がんばりました。

おつかれさん。


都市対抗野球

2006年09月01日 | Weblog

ダーリンに誘われて 東京ドームに都市対抗野球の応援に行ってきました。

2年前にも応援に来たんでした。あの時は そのまま東京、横浜で懐かしいデートもしましたね。今年は応援のみで(なにしろナイターでしたから・・・)速攻帰りましたけど。

それにしてもB'zのLIVEじゃなくて東京ドームにくる事になるなんて

・・・・ちょっと 悔しい

相手はさいたま市代表です。近いのに こちらより応援の人数は少ないって・・・。

こちらが わが仙台市代表のチーム応援団ご一行様。

会社あげての この大応援団・・・すごいです。

ちなみに 応援にくるのに年休を取って交通費も自腹です。

まわりの人たちを見てると 目の前をお札が飛び交い ビールが次々投入されて行きます。仕事を片付けてから駆けつけた上司とおぼしき人には すかさず席を譲りビールの手配をする若手社員。こんなところでも 職場での人間関係の一端を垣間見ることができるのですね。

応援も趣向を凝らして、遥々やってきた人たちを飽きさせることなく

私個人としては このスタイルでの応援が大変気に入りました。もちろん 他にもチアガールの皆さんや、応援団員、すずめ踊り等など・・・メリハリの利いた素晴らしい応援でした。だんだん こちらも熱くなって 必死で今流行の空気棒を打ち鳴らしておりました。

 

点が入るとこうしてみんな並んでジェンカを踊ります。

今年は2回見れました。つまり2点。

残念なことに1回に2点をとったきり・・・・その後はこのジェンカを見ることはなく

結局、2対4で負けてしまいました。

勝負は応援の数じゃないんだね~。

さすが、都市対抗野球、このあと またまたエールの交換をし 勝った相手にエールを送る・・・・というスポーツマンシップに触れることもできました。

 

水泳の大会の応援じゃなかなか 感じることのない 『チームスポーツ』の醍醐味ってもんです。

ドームを出ると雨も上がってお月様が見えました。

選手のみなさん、応援団のみなさん、係りの役員のみなさん お疲れ様でした。

このまま 都会の雑踏の中に消えてしまいたいという 衝動を抑えつつ

帰りの新幹線に乗りました。