今月初めに出かけた、ニッポン城めぐり
「家康公が愛したまち 静岡 ゆかりの地めぐり」、
寺社ポイントのひとつが「金米山 寶臺院(宝台)院」
(コンベイザン ホウダイイン)、浄土宗のお寺だ。
家康公・側室、於愛の方(オアイノカタ 西郷の局)の菩提寺である。
大河ドラマ「どうする家康」では、広瀬アリスさんが
少々そそっかしい女性を演じ、とっても可愛らしい♥
この日、お参りしたのは朝早くながら、
お掃除をしていらいした住職さんのご厚意で、
堂内、宝物室も拝観できた。
於愛の方の菩提寺を、ゆっくりお参りしたかったので
願ったり叶ったり、感謝!。
とにかくここは必見!
静岡市立歴史博物館にあるレプリカ「白本尊阿弥陀如来立像」の
オリジナルも安置!
ご本尊でもある「白本尊」阿弥陀陀如来像(↑)は、
家康公の守り本尊のひとつだ。
しかも、ありがたいことに三階の宝物室以外は、
たいてい撮影が可能、おすすめ!!
まずは、於愛の方、西郷の局(サイゴウノツボネ)について、ざっくりと。
於愛の方は、二代将軍・徳川秀忠と、尾張の松平忠吉の生母。
27才の頃より、浜松城で家康公に仕えた。
この時期は、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧長久手の戦いばかりか、
築山事件まで起こっており、家康公の1番大変な時期。
このとき、浜松の奥向きを取り仕切ったのが於愛の方。
三河衆にも、もっとも人望があったとか。
天正14(1586)年、家康公が東海一の実力者として駿府へ移ると、
於愛の方も伴われる。
しかし、ここでも何かと苦労が多く・・・
諸々の疲れが出たのか、翌々年の天正17年5月、38才で逝去。
以上が、お寺の解説版に書かれた於愛の方の生涯。
「どうする家康」第24話「築山に集え」で、
広瀬アリスさんは既に秀忠を身籠もっていて感無量。
ちょうど、築山事件の頃でもあり
正室と嫡男を同時に失った徳川家、
家康はもちろん、家中は、いかばかりだったか・・・
そんな中、於愛の方は、家中に残る男子(次男は養子に出している)の
生母として、正室代わりに奥向きを取り仕切っていかざるをえず・・・。
先週、描かれた織田信長への接待旅行の気疲れも大きかったはず。
お寺に残る於愛の方のエピソードでは・・・
ドラマでも描かれていたが、とても近視が強かったため、
目の不自由な女性を手厚く遇したそう。
彼女が亡くなると、その人たちが於愛の方の後生を弔うために
群れをなすほどだったとか。
於愛の方に惹かれるのは、
わたしも病的近視だからだなと、今気づくw
もし、この時代に生きていたなら、
きっと於愛の方を敬愛しまくったはず!
意外だったのは、於愛の方のお位牌と、お江の方のお位牌が
仲良く安置されていたこと。
お江の方は、2代将軍・秀忠の御台所。
浅井三姉妹の末娘、つまりは茶々(淀殿)の妹として知られる人だ。
秀忠公は、大勢の側室を抱えた父とは逆に、
その生涯のほとんどで、お江ひとりを妻としていた人。
年上の妻に頭が上がらなかったからとも言われるが、
やはり妻を大事にしていたのだと思いたい。
となれば、秀忠公は、幼くして亡くなった母と、
長年連れ添った妻の、いわば最愛の女性2人の霊を
同じ寺で懇ろに供養したことになる。
これは、女性として、秀忠公への好感度がアップする行動!
時代的に数多の側室はしかたがないと、わかっちゃいてもねw
於愛の方に惹かれたきっかけは、村木嵐の小説『阿茶』(幻冬舎)だ。
主人公はタイトル通り阿茶、
「阿茶局」と呼ばれた側室は、女性ながら家康に軍師のごとく頼られ、
於愛の方亡き後は、秀忠の母代わりとなった。
小説中、於愛の方は誰からも愛される女性として描かれ、
阿茶は、生涯、於愛の方を慕い、徳川家の奥向きを取り仕切る。
秀忠の母代わりを務めることも、次のように考える。
「西郷(於愛の方)といると秀忠は天下人になれなかったからだ。
あれほど欲の欠片も妬みもない母親は、秀忠にすすんで人の後ろを
歩かせてしまう。(=養子に出したとは言え兄の結城秀忠に譲る)
だから阿茶が西郷の代わりになった。そうとでも思わねば、阿茶は
今もって西郷の死を受け入れることはできない」『阿茶』123頁
この場面は、秀忠がお江と結婚したばかりの頃、
つまり、西郷の局が亡くなって十年ほどが経っている。
それでも、その死を受け入れられないままだ。
小説とは言え、ここまで書かれる於愛の方って
本当に素晴らしい女性だったのだろうと、すっかり魅せられてしまった。
同時に、阿茶の局にも!
・・・と、すっかり気持ちが盛り上がり、
もっと於愛の方を知りたくなったので、
山本博文『徳川秀忠』(吉川弘文館)を読んでみた。
しかし・・・
なんと!
天正10年頃(本能寺の変、大河ドラマでは今!)
新しく下山の方が側室となると、
「西郷は(その後)子どもを産むことなく」「駿府で死去した」とある。
さらにダメ押しのように書かれている一行は・・・
「家康の寵愛を受けたのは、わずか4年ほどのことだった」。
ここでは於愛の方の享年も「27才(一説には三十才)」となっている。
20代の女性が側室としての寵愛を喪って早世、では
哀しすぎるじゃないか!
村木嵐小説のような、あるいは宝台院の解説板の描く姿が、
於愛の方だったと思いたい。
「どうする家康」では、演じるのが広瀬アリスさんなので、
安心して観てはいるのだけれど・・・
なお、阿茶の局が建立した京都にある寺も
この2月にお参りしている。
アップできずにいたので、この機会に、近々まとめてたい。
そういえば、「どうする家康」で阿茶は、どなたが演じるのだろう?
大阪の陣では、絶対に必要な人で登場はするのだろうけれど・・・
本来だったら、そろそろ側室になっているはずなのに・・・・
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
現地の案内板と以下の本を参考にまとめましたが、
間違いや勘違いもあるかと存じます。
歴史に素人のことと、どうぞお許し下さいませ。
📖参考
●山本博文『徳川秀忠』(「人物叢書」)吉川弘文館
●村木嵐『阿茶』幻冬舎