週末は、掛川での講演会に出かけることとなり、
せっかくならと、ニッポン城めぐりの地域限定城めぐり
「家康公が愛したまち静岡 ゆかりの地めぐり」スタンプラリーにも
挑戦してきた。
その最初のスタンプが藤枝市「田中城」だ。
徳川家康公は、「天ぷら」の食べ過ぎで亡くなった・・・と、
はるか昔に聞き、最近では、「天ぷら」と言っても、
現代の天ぷらではなく、魚のすり身を揚げた、さつま揚げみたいなものだと
知るようになった。
田中城は、まさに、その「天ぷら」の城。
家康公は、この城で天ぷらを食べ、激痛に苦しみ、
急ぎ、駿府へ戻ったという。
がっ!
どうも、私が思っていた話とは、ずいぶん違うらしい。
現在、田中城に関わる皆さんがまとめた資料
「亀城ー特別号ー」に詳しく、
これをもとに、まとめておきたい。
家康公は、天ぷらをどこで食べたのか?
たとえば田中城で食べて、腹痛が起こったのか?
それとも駿府で食べたせいで、田中で痛くなったのか?
そんな議論から、「田中城跡保勝会」の皆さんが、
当時の史料にあたり、まとめた記録が「亀城ー特別号ー」だ。
ざっくりいうと、以下の通りとなる。
元和2(1616)年正月、家康公は田中城で鷹狩りをする。
(鷹狩りは食事の後との史料もあるそうだ)
ちょうど京都から豪商・茶屋四郎次郎(中村勘九郎丈ね♥)も
来合わせた。
「上方での流行もの」を家康公がお尋ねになると・・・
「京都、大阪ともに、鯛を油あげに仕り、料理致し候へば、
その味至極よく、諸人賞味仕り候」と、茶屋が申し上げた。
ちょうど、榊原内記(榊原康政:杉野遥亮さんね♥ )より、
領地の久能で獲れた鯛が献上されていた。
さっそく、これを油で揚げさせ、召し上がる。
家康公は、うまいうまいと平らげ・・・
その後、腹痛に襲われる。
急ぎ、駿府城へ戻り、療養に入るが、高齢のため、ぶり返して苦しみ
なかなか回復とはならなかった。
痰が詰まって苦しんだと、する史料もあるとのこと。
こうしたなか、家康公は太政大臣となった。
3月末、家康公は病を押して、天皇から使わされた勅使のために、
盛大な饗応をしている。
この一ヶ月後、4月17日に、家康公が亡くなったことを思えば、
朝廷の使者に礼を尽くすために、
気力を振り絞った「最後の晩餐」だったのだろう。
田中城跡保勝会の文章は、こう結ばれている。
(勅使との華やかな宴よりも)
茶阿の局、茶屋四郎次郎など気心の知れたものたちと
気楽に行った1月の田中城での天ぷら(鯛の揚げもの)料理こそが、
「家康の最後の晩餐だったと思いたい」と。
同感!
(右手は田中城内より移築した本丸櫓)
この天ぷら料理。
すりつぶしてから、揚げたとは書かれていない。
資料を見ると、
鯛はゴマ油(榧カヤ油とも)で揚げた後、
ニラ(にんにくとも)をすりおろして、かけたとされている。
天ぷらやさつま揚げというよりは、
素揚げっぽい気がするのだけれど・・・
これに、ニンニクなりニラを載せて、風味付けにした一品のようだ。
いずれにしろ、当時の75才には、かなり重い料理なのでは??
おいしそうだが、現在、60代の私だって、胃もたれしそうだ。
(六間川?)
さて、田中城、別名・亀城。
上から見たところが亀の形をしているからとのこと。
現在、藤枝市指定史跡である城。
今川氏の時代には、既に、徳一色(とくのいっしき)城、
この地の土豪・一色氏の居館として存在した。
今川家が没落した後、これを基に徳川の城が造られたのだろう。
城は、駿府の西の守りとして、代々、譜代大名によって治められ、
明治維新を迎えている。(知らなかっただけに、感心!)
現在見学できるのは、
本丸などのある「城」ではなく、下屋敷跡。
藩主の別荘の庭園だった場所に、ゆかりの建物を移築し、
公園として整備された。
わたしたちは、駐車場側から入ってしまったが、
移築された当時の建物・本丸櫓がそびえる冠木門がある。
その受付でいただいたのが、この資料だ。
とにかく、すばらしい!
たとえば「徳川家康鷹狩り等田中城渡御一覧表」を見れば、
家康、秀忠、家光の誰が、いつ、
田中城にやってきたのかが、すぐわかる。
ちなみに、鷹狩りの他は、上洛の途中や帰りに
田中城に立ち寄って、泊まっている。
田中城跡保勝会や、ゆかりの皆さんの
郷土愛と誇りが感じられる、素晴らしい城跡と、感激♫
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
この日は、本降りの雨で、城跡の庭園を眺める余裕がなかったのが
心残りです。
以下の資料を基に、まとめましたが、
勘違いや間違いは、素人のことと、お許し下さいませ。
◆参考
●パンフレット「田中城跡散策ガイド
~徳川家康ゆかりの田中城・御成街道を歩く~」 令和2年2月第2版
●田中城保勝会「亀城ー特別号ー 家康と鯛の天ぷらの話
ー家康は鯛の天ぷらをどこで食べたのかー」平成26年3月
●プリント「藤枝市史だより」他