歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

お城EXPOで・・・「島原の乱」のこと

2022-12-19 14:18:16 | 長崎県
先週末は、「お城EXPO 2022」 に出かけていました。

毎回楽しみにしているのが、お城専門家の「厳選プログラム」。
今回も、面白く拝聴したのですが・・・

ちょっと気になるエピソードがありまして・・・
本家ブログにアップするには、ためらわれるので、
史実の一つとして、こちらにアップしたいと思います。



佐賀大学教授・宮武正登先生の
「陣・陣場・陣所の実像 -戦争拠点の正しい姿-」。

城の研究の中で、もっともわからないという「陣」について
さまざまな史料を紹介、源頼朝から島原の乱までの時代における
「陣」について、考察されました。

レジュメ【史料28】「本陣と部隊の陣ー「島原の乱」の鍋島勝茂陣」には
「※ 鍋島勝茂(管理者注・ナベシマカツモチ)が感じたジェネレーション・ギャップ
(「手前之陣所」をうかつに動くな)のところでした。


(以下、原城跡の画像は、今年の秋に撮影)


島原の乱は、寛永14(1637)年10月に、
一揆軍の蜂起が起こり、原城に立てこもります。
幕府軍が総力を挙げて、これを鎮圧できたのは、翌年の2月でした。

慶長19・20(1614・15年)年の大坂の陣からも20年以上、
関ヶ原の乱(慶長5/1600年)にいたっては40年近くの時が経過、
太平の世として落ち着きかけていた頃です。

そのため、島原の乱では、出陣した多くは、戦を知らない世代ばかり。
天正8(1580)年生まれの、この鍋島勝茂は57歳、
この戦では最年長の一人だったかもしれません。

戦争を知らない世代は、何か起こる度に、
兵が動揺し、バラバラと持ち場を離れてしまう・・・
だから最長老になるだろう勝茂は
「手前の陣所をうかつに動くな」というのです。


(天草四郎時貞像)


・・・と、説明をなさったあと、宮武先生は、
スクリーンに何とも陰惨な古い絵(当時のもの?)を出されました。

「最近、地下から発見された、遺骨をきちんと調べたところ、
埋められていたのは、17歳くらいの女性ばかりだったとわかりました。
どの遺体も焼けていないんです。
つまり生きている状態だっただろう・・・と。
しかも、それが、なぜか下半身だけだったんです・・・
この絵が描いているとおりでした。」

とお話しなさいました。

会場は、しんと静まりかえります。

先生は、「戦には戦場のルールがあったんです。
やっちゃいけないことがあり、しっかり守られていた・・・
けれど、太平の世が続いていたため、島原の乱では
実戦を知らない世代が戦に出た結果、パニックになって、
こういう凄惨なことを行ってしまったんです。
戦場の狂気でしょう」と締めくくられました。


(原城跡から天草を望む像)


太平の世、戦争のない平和な時代はありがたいけれど・・・

もし、その平和が崩れたらば、こんなことが起こるの?

今、ウクライナで起こっていることも、そういうことなの?

そして、もしも、もしも、戦後77年を数える、日本が戦いに巻き込まれたら
起こりうる狂気なのでは?


軍人という、いわば戦争のプロ集団でない、
一般市民が兵士として戦場に駆り出されたら・・・
人間の狂気の部分だけが勝ってしまうのかもしれません。

と言って、決して決して
軍隊復活を主張するのではありません!

ただ、人間には、こういう狂気の部分があることを
認識しておかなければ・・・と思うのです。


島原の乱の戦場、原城跡は、3度ほど訪ねました。
直近の今年の秋は、おそらく鍋島軍などが布陣したあたりを
少しだけ歩いてもいます・・・

それでも、まだまだ、驚かされ、衝撃を受けることが
現われてくる・・・
知りたい、知っておきたいと思うのです。

歴史散策の折は、場所にも寄りましょうが、
必ずお数珠を携え、鎮魂の思いで歩いています。

そのことは、城歩きや歴史散歩の折りに、
絶対にもっていたい気持ちです。


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おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

宮武先生のお話については、わたしの勘違いなどもあるかもしれませんが、
素人のことゆえ、お許し下さい。
また、先生がスクリーンに映された史料の名前も、
記録していなかったので、わかりません。残念です。

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