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れきしぱうち

日本史を、まんが入りでノートにしました。
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平安中期 13章-5 「道長時代の天皇達、67代三条・68代後一条天皇」

2014-01-05 | 平安時代
(1)第67代 三条天皇
【道長の圧力に屈した失明の天皇】

冷泉天皇と、藤原兼家の長女:超子の子で、冷泉天皇の第2皇子。
父は精神病、母は7歳で亡くなり、後ろ盾は薄弱であったが、外祖父:藤原兼家に容姿がそっくり
であったため、兼家の寵愛を受けて育った。

一条天皇は兼家の孫、であり、もう一人の孫である「居貞おきさだ親王=三条天皇」も東宮にしたい
兼家の後押しで、11歳で立太子する。
一条天皇より4歳年上であった為「さかさの儲けの君」と呼ばれていた。

1011年、一条天皇の崩御を受けて、36歳で即位。
すでに中宮も多くの皇子もいたが、道長は次女:妍子(けんし)を中宮にたてて、再度1帝2后とした。
しかし、妍子(けんし)が女児「禎子内親王」しか生まなかったこと、三条天皇が先の后を優遇したこと、
天皇親権を望んだことなどから、道長と対立した。

三条天皇が、仙丹(不老長寿の薬といわれるが、水銀などが入り人体に有毒といわれる)を飲んだ直後
に失明し、道長は、眼病を理由に、再三譲位を迫り、圧力に屈する形で譲位する。

三条天皇は、譲位の条件に息子の「敦明親王」を東宮にするよう約束したが、
道長に嫌がらせと圧力に屈して、東宮辞退した。


(2)第68代 後一条天皇
【藤原道長の絶頂期の天皇】

藤原兼家の絶頂期を支えた一条天皇と、道長の娘彰子の子で、道長の孫にあたる。

道長にとって、初の天皇外戚をもたらす男子の誕生に、狂喜乱舞したという。
その後一条天皇(敦成親王)を即位させるため、道長は三条天皇を天皇からひきずりおろした。

9歳で即位した後一条天皇は、摂政で祖父である道長に従うだけの、覇気のない傀儡であった。

道長の娘で、自身の叔母にあたる「威子」を中宮としたが、皇子をもらけないまま29才で病死した。



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