ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

しょっぱい北海道

2007-02-13 | 医療
 北海道に赴任して10年を越えるが、いまだに食べ物に慣れない。
 道外の誰もがみな、北海道は食べ物がおいしいでしょう、とうらやましがるが、私はいまだに北海道の食事が駄目だ。
 おそらく、魚も、貝も、果物も、野菜も、素材そのものはとびきり美味いのだと思う。わざわざデパートで高級食材を買わなくても、近所のスーパーで300円くらいで売りたたかれているメロンが絶品に美味かったりする。が、なまじっか素材が素晴らしいがために、それを料理する文化がほとんど育たなかったのではないかと思うのだ。素材をそのまんま載せた海鮮丼や、そのまんま焼いたジャガバタやらホタテバターが溢れているが、いわゆる北海道料理という分野はない。
 本州から引っ越してきた馴染みのシェフが、ヒラメの昆布〆のことで嘆いていた。北海道では、他のシェフも含め、誰も昆布〆というものを理解してくれないのだという。「ヒラメは捕れたてを生で食うのが一番旨いのに、それを昆布で巻いて一晩も放置しておくとは何事だ、鮮度が落ちるじゃないか」と怒られるのだそうだ。かくして、ヒラメの昆布〆と聞けば私なんかは思わずつば一杯になってピヨピヨ寄って行きたくなるのだが、こんなに新鮮なとびっきりのヒラメが手に入るにもかかわらず、私は北海道でヒラメの昆布〆を食べることができないのである。

 今日もまた、発売されたばかりのカップ麺を試して、途中でげっそりして食べられなくなってしまった。
 実は、北海道のカップ麺は他地域よりも味が濃い目に・・・というより、あからさまにしょっぱく調整されている。そうしないと売れないのだと言う。
 カップ麺だけでなく、北海道はとにかく、しょっぱい。ひたすら、しょっぱい。
 それは、かつてニシン漁が栄え、そして炭坑が栄えた北海道では、肉体労働で汗水流す人々の求めに応じて塩分の多い食事が供されたからだと言われている。汗とともに体外に失われてしまう塩分を補うのに、その食事は理に叶っている。十分な量の塩を身体に補給し、疲労を回復させるためにも、十分に塩が加えられた食事は必要だったのだ。
 だからと言って、かつてのようなニシン漁も炭坑もなくなった現在、食事だけが変わらないというのはおかしな話だ。伝統の味、と名打っているラーメンや鍋は、しょっぱくて舌も涙も飛び出しそうになる。要は、北海道料理という分野があるのではなく、味が濃くてしょっぱいことが、「北海道の伝統」なのである。
 もう身体は塩分を必要とはしていない。のに、人々は過酷な労働者並みの塩分を摂り続けているのだ。

 かくして、私が北海道の地方病院で、外来に来る患者さんを診て一番にげっそりするのは、とにかくこぞって血圧が高いことである。体調が悪い人しか病院には来ないのだから、一般よりは血圧の高い人の割合は多いだろうが、それでも、北海道の患者さんは「またか」というくらい血圧が高い。正常範囲の人も中にはいるが、それは血圧の薬を飲み続けている結果である。頭が痛い、胸が苦しい、息がくるしい、身体がだるい、足がむくむ、めまいがする、みんな、高血圧である。
 ついでに病院で出してくれる食事さえも、私にはしょっぱい。時々、箸が止まってしまう。
 同じ病院食を、入院患者さんみんなが食べているのだが・・・。

 北海道のみなさん、どうかこれが普通の味付けだと思わないでください。
 道外、特に西日本から来た人間にとっては、しょっぱくてたまらないです。

 出張で、大阪より西、九州でも八重山でも、とにかく西、西に行くことがあると、もう涙出るくらい何でもたいらげてしまう。漬け物一つとっても、西日本ではしょっぱくはない。塩(もしくはしょうゆ)をかける「加える」文化と、ダシを滲み出させる「引き出す」文化の違いとも言えるかもしれない。
 かくして皆が「何でもおいしくていいねえ」と羨望のまなざしで見る北海道にいて、私はやっぱり食べ物が駄目だ。でも食べられないおかげで、塩分の過剰摂取にならないで済む・・? それが幸いなのか、不幸なのか、よくわからないけれども。




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