60代 スッキリ行こう🐦

還暦過ぎた!
これからも、心の向くままケセラセラ。

命を守る町でなければ

2011-04-18 21:32:54 | 震災後の日々
                        


地震関係の話ばかりのブログになってますけど、
まだまだおつきあいを。。

私は、今回の津波であまりにも多くの人が亡くなったことは
本当に大変なことだと考えています。

今の家に住む時に、地盤のこと、活断層のこと、
もちろん考えました。

仙台には町を南北に貫く長町・利府断層が走ってます。
ここが動くと都市直下型地震となります。
阪神大震災と同じです。
なので、街中は避けました。

今回津波が来た宮城野区や、多賀城市は、大雨が降ると水が溜まったりしやすい低地があります。
なので、低地も、避けました。

泉区の北あたりの住宅地は岩盤だというので、その先の今の宅地ならいいかな・・と考えました。

今回、山の方の宅地でも地割れで家が傾いた所があります。
そこは、谷筋の斜面の宅地を造成した時に、低地になっていたところに盛り土をしたところです。
地盤が弱いのです。
そこまでは考えていませんでしたが、同じ山を削って造成したところでも、
削ったところは固いけど、その先に土を盛って平地を作ってるんですよね。
元々の地形や、周りの地形を見なければなりません。

(ものごとは、それを売りたい人に聞いても正しいことは教えてはくれません・・・
 それ、本当は大問題やと思うけどな)

田んぼを埋め立てた所も、今回多くの被害が出ています。
地盤が弱い所は後で必ず不具合が出るのです。
泉区の住宅地で去年、陥没騒ぎがあったりもしました。
地下に水が通っているのです。

あと、埋立地は必ず地震で液状化で悩まされます。
全国どこでもそうです。

地震国日本では、そういったことに神経を使わなければなりません。
一度家を建てた後では、後悔しても打つ手はあまりありませんからね。



そんな私も、海の近くなら住んでみたいな・・と思ったことがあります。
瀬戸内育ちなので、津波が頭に浮かぶことはありませんでした。

仙台に来て、子供が小さい時、一度か二度海水浴に行ったことがあります。
でも、仙台に面した太平洋は、とにかく海の波が荒いのです。
なんか、海がとっても怖いのです。
北の海って感じもあって、
好きだった海水浴にも、潮干狩りにも、仙台では行かなくなりました。
なんだか、海沿いの街も古くて、荒々しくて、シーサイドなんて言葉が似合う感じではありませんでした。
昔も津波があったんだ・・と思うと、
そういえば、そんな感じだったな・・なんて思えてきます。

今回、津波を遮ったのは、海と並行して走ってた東部自動車道という高速道路でした。
普通、高架の道路を作るところを、ここは盛り土の高速道でした。
もしかの津波を遮るねらいもあったそうです。
津波の後、高速道路から海側に住んで、家を流された人は
始めから、自分達は見捨てられていたんだ・・と言ってたそうです。

安全か、そうでないか・・
なぜか正しい情報を積極的に誰も伝えてはくれません。
自分で感じて、調べて、情報をとっていかなければ、
本当に不完全な危険なところに平気で家を建てることができてしまうのが今の日本です。
そんな所に住んで、仕事をして、大勢の人が出入りしている。
経済活動を絶対に遮ることは、できない。
それが、命より大きい問題になってしまっているのです。


人の命が一番だ・・・なんて、何かが起こってから言うのなら、
起こる前に、人の命を守る街、都市、であってほしいと思うんですけどね。

自分の命は、自分で守るしかない・・地震国日本の今も変わらぬ本当の姿です。




(写真は、津波を遮った東部道路)





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史観が変わりました

2011-04-17 16:35:55 | 震災後の日々


今日は一日、町内会の新旧引き継ぎの会議に追われました。

震災の影響で、四月初旬の予定が全部今日にずれこんで、
朝の町内清掃、町内会総会、役員引き継ぎ会、連合町内会総会・・と一日中追われて

全く、疲れました。

今年度は、土日は、町内会行事や、その打ち合わせに随分、時間を費やすことになりそうです。





さて、3月11日の地震から一か月以上が経ち、やっと物を考えられるような状態になってきました。

今朝、NHK教育テレビの日曜美術館を見ていたら、
マリー・アントワネットを描いた画家の特集をしていました。

フランス革命で、1793年にマリー・アントワネットが処刑台に連れていかれる時のスケッチがありましたが、
以前なら、1793年・・18世紀というと、随分昔のこと・・と思ってました。
前時代のこと・・と思えていたのです。

けど、あの地震があってから、前に同クラスの地震があったのが平安時代の869年・・と聞いて
なんだか、歴史観が全く変わってしまったのです。

18世紀なんて、ついこの前のことじゃないの。。って。

三陸には明治、昭和の津波があり、それぞれ1896年、1933年です。

1100年ぶりの津波が現実に起こるってことは、100年前や200年前のことなんて、
何度でも起こるって気がしてくるのですね。これが。。

マリー・アントワネットやナポレオンでさえも
ついこの間までいた人として、その実際の姿が
脳裏にちらつくぐらいです。

平安時代のことなんて、全く別世界のことって思っていたのが、
時が収縮してしまったように、
私の頭の中で、現代の日本と地続きになってしまったのです。

(ちなみに、平安時代の仙台の津波の後、波除神社が作られていて、
今回の津波は、その手前でピタッと止まっていたそうです。)

江戸・明治なんて、まったく最近のことと思えてきて
なんか、全く頭の中が、変な感じ。。。



それぐらいのことですよね。
1100年ぶりってことは。


もう、現代に親鸞様なんかがいたっておかしくないぐらいやわ。

想定外が起こってしまった以上、
とらわれている常識のフレームが、ぼよ~んと相当広がってしまったなあ・・とつくづく私は感じてます。

1000年単位で受け継がなければならない情報が、歴史の中には
たくさん眠っているのだよ。。



※ 鎌倉の大仏さんには、大仏殿があったこと、聞いてました。
  その大仏殿は、津波で流されたってことを今回新たに聞き直し、
  ・・ハッと、びっくり!!!


  ・・気を付ければ、地震、津波の話は、各地にいっぱいです。




(写真・・春の花に癒されるう。。。)









コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震列島

2011-04-13 16:34:51 | 震災後の日々



日本の活断層です。

他にも、内閣府の防災情報のページから主要活断層の評価結果 という図を見つけました。

想定外の海溝型巨大地震が起きたおかげで、今後北米プレートの周辺では
いつ、どんな余震が来てもおかしくない状態だし、
それは、今後数年続くという。
スマトラ地震の余震は、5年後にもマグニチュード7クラスが起こっています。

これが、東海、南海地震に影響を与えるかどうかは、現時点ではわからないそう。。

そうでしょうね。起こったことには、しのごの言えても、
結局先のことは、いつも何もわからないってことなんでしょうよ。
内陸の活断層に与える影響もわからないってことですよね。


大阪に母を逃がしたとしても、
これ、この図を見ると、
大阪あたりにも、活断層がいっぱい。

・・・こうなると、どこが安全??

岡山あたりが地震の被害は少ないらしい・・なんて噂も聞きますが、
だからといって、その為に母を一人でそこへ逃げてもらう・・という訳にも
なかなかいきません。

岡山には母の姉妹がいるけれど、みんなお年寄りだもんねえ。

これを見ると、今後数年にわたって、どこが安全かなんて
全く言えないなあ。。


会社では、職場がボロボロなのに、上の方から何の注意もないので、
自前で、ヘルメットと、生き埋めになった時の為のホイッスルでも持参しようか・・なんて
本気で話しています。

地震は来るんだと思って備えて暮らすということが
今後数年にわたって、とっても大事だと思ってます。


※ちなみに 参考にさせてもらった
 日本の原発からの距離を見る地図
 半径100キロで、主要都市ほとんど覆われちゃうんですね。
 もちろん、同時に全部爆発することなんてないけれど、嫌な感じやなあ。。

 地震と原発を必ずセットで心配しなければならないなんて、ほんま、勘弁してほしいよね。







コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余震頻発 覚悟した・・

2011-04-11 18:25:01 | 震災後の日々
こう、大きな余震が頻発すると、
みんな、精神的にナーバスになっている。

会社は、天井がところどころ落ち、トイレのドアは閉まらない。
そんなところで仕事をしているものだから、
シャッターのガラガラという音でも、ビクっとする人もいるくらい。


今日も大きな余震が福島で起こった。 

もう、これは当分、楽観していてはいけないのだな・・とつくづく思う。

母は、もう怖くて宮城県から逃げたいと言っている。
西日本の友達や親戚が、心配して、
頻繁に電話をかけてきてくれる。
あちらにしばらく逃げてもらう事を考えなければいけないかもしれない。

私だって逃げたい気もする。
地震がない時から、将来は西に帰りたいと思っていた。

でも今は仕事があるし、息子は今年高3で、この一年は動きにくい。
それになんと、今年は町内会の班長の役もある。。。(大事でしょ。。これ。。)


そんな時に、逃げられへん。



大きな余震は、いつまた起こるかわからない・・と覚悟をした。
停電にも、いつなんどきなるか、わからない・・と覚悟をした。

油断なく暮らすことなんてできないから、

落ちて危ないものは、もう落としておく。
懐中電灯、ろうそくは、場所を確認しておく。
そして、
日々、前に進むなんて考えない。
当分、計画なんてたてない。
一日も早く・・なんてこと言わない。

得意の出たとこ勝負です。


もうやめてくれるやろ。。。なんて思っても通じるわけないのです。

相手は大自然なんだからねえ。


でも、原発だけは、お願いします。
爆発させないでえ。。。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奪い合えば足らないけれど

2011-04-10 13:09:05 | 震災後の日々
地震以来、いろんな事を考えます。

今、一番思うことは、
人の気持ちは、同じ経験をした人でなければ本当には、わからない。。ということ。




家族と家と仕事を無くした人。
家族と家をなくし、仕事がある人。
家族をなくしたけど、家と仕事がある人。
家だけがなくなった人。

ライフラインを無くした人。

もう・・・様々だ。

上から順番に悲惨だ。。なんて順位をつけられるもんじゃない。
当事者の気持ちは、当事者と同じ立場になければ
本当にはわかるものではない・・とつくづく思う。

やっとのことで命を得た人も、津波で流されていく人を助けられなかったことを後悔する。
人を助けて、なくなった人のことを思うと、自分自身が嫌になる。


もう、思いはそれぞれだ。

全てが悲惨だったことには変わりないけど、
考えてみれば、災害でなくても、そういう事はたくさんあるのだ。

大きな病を得た人。家族をもたない人。仕事を失った人。

人の悲しみは、もともと、この世にたくさん満ち溢れている。

同じ経験のない、わからない人には、絶対にわからない。。

そのことに行き当たる。



いざという時は、みんな、自分を守るのに必死なのだ。
そんなことあたり前だ。
そうでなければ生き残れないこともあるのだ。
そのことが実際に生死を分けてしまうこともあるのだ。

物流不安の買占めは一つのたとえで、
いけないんだけれど、とっさの時は、生き残りたい本能で
そうなることは、十分わかる。
責め切れないものがある。

「どんな資源も、奪い合えば、足らないけれど、分け合えば、余る。。。」


冷静になればわかることだけど、

いざという、咄嗟の時には、生死を分けてしまう
難しい言葉なのかもしれません。。




人が生きるということは、厳しいことやねえ。。

その事をわかった上での、支えあい、許しあい・・が必要なのでしょう。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする