ひとまず、落ち着いたとは言え、
通常の気分には、全く至らない今回の大地震。
日本列島では、過去何回も地震や津波の被害を受け続けているようだ。
三陸の津波では、チリ津波を参考にしていたようだけど、
1100年前に貞観津波というのがあり、今回と同じくらいの津波被害だったらしい。。 貞観津波に関して
いや~・・1100年に一度の地震に遭遇することになろうとは・・ねえ。。
その頃も地震の活発期になったようだけど、
江戸末期にも同じような地震の活発期があったと言う。
下記は、安政の地震と佐久間象山について書いてあるブログを見つけて、その中から抜粋させていただいたもの。。
・1995年と2011年の空気感
人生の中で今回の大震災、大災害ほど「国難」を思はされたことはなかった。
1995(平成7)年にも似たやうなことは感じた。あの時は1月に関西で「阪神淡路大震災」が、3月に東京で「地下鉄サリン事件」が起きた。あの時の雰囲気に似てゐる。あの時もあはや国家が転覆するのではないかといふ危機感を感じた。そしてあの時と「空気感」も似てゐる。1995年はサリンといふ目に見えない恐怖があった。その前年の夏には、暑いから窓を開けて寝てゐただけの人が亡くなってしまふといふ「松本サリン事件」が起きてゐた。日本中の人が、窓を開けて深呼吸をするのさへ心配してしまふやうな、そんな恐怖感に包まれてゐた。
今回は、あの1995年の時の地震とサリン事件が同時に同じ地域で起こったやうなものだ。しかもスケールアップして。今回はサリンのかはりに放射能といふやはり目に見えない恐怖が人々を包んだ。東京でさへ、窓を開けてのびのびと深呼吸をするのが躊躇はれる空気感を感じる。福島県に住んでる人はもっと感じてゐるだらう。
私はなんとなく、自分はある程度完成した成熟した社会に生まれてきたのだと思ってゐた。自分が生きてゐる間にはそんなに大きな出来事は起こらないだらう、と。「国難」などといふ言葉は知らなかった、と言ってもいいぐらゐだった。しかし、日本の歴史を振り返れば、さうした「国難」はたびたびあった。江戸時代末期の「安政期」(1854-1859)もその名とは裏腹に、国が亡びるかもしれないといふぐらゐの国難の時代だった。
・安政年間と地震
安政年間7年間は、ほゞ地震とともにあったと言っても過言ではない。「安政の大地震」が有名だが、その他にも大小の地震がたくさんあった。
安政元年6月15日 安政伊賀地震
安政元年11月4日 安政東海地震
安政元年11月5日 安政南海地震
安政元年11月7日 安政豊予地震
安政2年10月2日 安政江戸地震
安政5年2月26日 安政飛越地震
規模が大きかったものだけでもこれだけある。このうち安政2年の「江戸地震」が「安政の大地震」と呼ばれるが、「東海地震」と「南海地震」は規模から言へば江戸地震を上回るマグニチュード8.4の巨大地震だった。
江戸末期にも、たてつづけに地震が起きているということだ。
安政南海地震では、高知や徳島、大阪などでも津波の被害が甚大だったという。 安政南海地震
現在の日本も、地震の活発期に入ったかもしれない。。
ひとまず安心なんて思わないで、地震について、地盤について、津波について知識を得て、
備えの気持ちを忘れないことは大切かもしれません。。。
※地震の前に、このあたりでミミズがいっぱい出てきていた・・、深海魚がたくさんあがってきていた・・との
予兆があとからわかってます。
地震の五日前、茨城沖で50頭のくじらが打ち上げられていたこともわかっています。
予兆は必ずあるんですねえ。
気象もおかしいし、へんな虹がでたりもしたようです。
いざという時の為に再度、家族で話し合っておくこと・・大切です。。
通常の気分には、全く至らない今回の大地震。
日本列島では、過去何回も地震や津波の被害を受け続けているようだ。
三陸の津波では、チリ津波を参考にしていたようだけど、
1100年前に貞観津波というのがあり、今回と同じくらいの津波被害だったらしい。。 貞観津波に関して
いや~・・1100年に一度の地震に遭遇することになろうとは・・ねえ。。
その頃も地震の活発期になったようだけど、
江戸末期にも同じような地震の活発期があったと言う。
下記は、安政の地震と佐久間象山について書いてあるブログを見つけて、その中から抜粋させていただいたもの。。
・1995年と2011年の空気感
人生の中で今回の大震災、大災害ほど「国難」を思はされたことはなかった。
1995(平成7)年にも似たやうなことは感じた。あの時は1月に関西で「阪神淡路大震災」が、3月に東京で「地下鉄サリン事件」が起きた。あの時の雰囲気に似てゐる。あの時もあはや国家が転覆するのではないかといふ危機感を感じた。そしてあの時と「空気感」も似てゐる。1995年はサリンといふ目に見えない恐怖があった。その前年の夏には、暑いから窓を開けて寝てゐただけの人が亡くなってしまふといふ「松本サリン事件」が起きてゐた。日本中の人が、窓を開けて深呼吸をするのさへ心配してしまふやうな、そんな恐怖感に包まれてゐた。
今回は、あの1995年の時の地震とサリン事件が同時に同じ地域で起こったやうなものだ。しかもスケールアップして。今回はサリンのかはりに放射能といふやはり目に見えない恐怖が人々を包んだ。東京でさへ、窓を開けてのびのびと深呼吸をするのが躊躇はれる空気感を感じる。福島県に住んでる人はもっと感じてゐるだらう。
私はなんとなく、自分はある程度完成した成熟した社会に生まれてきたのだと思ってゐた。自分が生きてゐる間にはそんなに大きな出来事は起こらないだらう、と。「国難」などといふ言葉は知らなかった、と言ってもいいぐらゐだった。しかし、日本の歴史を振り返れば、さうした「国難」はたびたびあった。江戸時代末期の「安政期」(1854-1859)もその名とは裏腹に、国が亡びるかもしれないといふぐらゐの国難の時代だった。
・安政年間と地震
安政年間7年間は、ほゞ地震とともにあったと言っても過言ではない。「安政の大地震」が有名だが、その他にも大小の地震がたくさんあった。
安政元年6月15日 安政伊賀地震
安政元年11月4日 安政東海地震
安政元年11月5日 安政南海地震
安政元年11月7日 安政豊予地震
安政2年10月2日 安政江戸地震
安政5年2月26日 安政飛越地震
規模が大きかったものだけでもこれだけある。このうち安政2年の「江戸地震」が「安政の大地震」と呼ばれるが、「東海地震」と「南海地震」は規模から言へば江戸地震を上回るマグニチュード8.4の巨大地震だった。
江戸末期にも、たてつづけに地震が起きているということだ。
安政南海地震では、高知や徳島、大阪などでも津波の被害が甚大だったという。 安政南海地震
現在の日本も、地震の活発期に入ったかもしれない。。
ひとまず安心なんて思わないで、地震について、地盤について、津波について知識を得て、
備えの気持ちを忘れないことは大切かもしれません。。。
※地震の前に、このあたりでミミズがいっぱい出てきていた・・、深海魚がたくさんあがってきていた・・との
予兆があとからわかってます。
地震の五日前、茨城沖で50頭のくじらが打ち上げられていたこともわかっています。
予兆は必ずあるんですねえ。
気象もおかしいし、へんな虹がでたりもしたようです。
いざという時の為に再度、家族で話し合っておくこと・・大切です。。