韓リフの過疎日記

経済学者田中秀臣のサブカルチャー、備忘録のための日記。韓リフとは「韓流好きなリフレ派」の略称。

猪瀬直樹・東浩紀「今、ここにある皇室の危機」『天皇の影法師』(中公文庫)巻末特別対談

2012-04-27 10:07:17 | Weblog
 猪瀬直樹さんの処女作『天皇の影法師』が復刊された。天皇を問題にした猪瀬さんの著作の中では、僕はこの本が最も好きだ。特に森鴎外の「かのように」や『元号考』についてのエピソードは知的な興奮を与えてくれる。今回の復刊では、東浩紀氏(彼の名前の命名由来が皇室由来とはちょっと驚いた)との対談がついていてそれも興味深いものだった。

 その対談の中で猪瀬さんは森鴎外について以下のように述べている。

「猪瀬 『天皇の影法師』に、死期を予感した森鴎外が『元号考」執筆に打ち込んだことを書きました。漢籍を調べ「大正」の年号が「越」すなわち現在のベトナムで使われてたことを見つけ、中国では「正」の字を年号に使うことを避けていたと友人に手紙で述べています。要するに元号というものを決めるにあたっては、きちんと考証しなければいけない、そのために『元号考』が必要でした。鴎外は、明治国家が急ごしらえの「普請中」つまり建設中の国家だと世代的に知る立場にいた。だからこそ、元号という飾り、国家の形式を整えなければいけないと危機感をもっていました」[301頁)」。

 森鴎外に関する部分を再読してみると、いまだに日本は鴎外が「普請中」と見なした側面ー天皇と近代的(というか現代的)国家との関係ーがいまだ普請中である、という認識を猪瀬さんはもっているのではないか、ということだ。例えば、昨日配信されたメールマガジンにも再録されていたが、『Voice』3月号に掲載された猪瀬さんの論考「『万世一系の危機』にいまから備えよ」では、最近の女性宮家創設に関連しての発言には、天皇と現代国家との関係がいまだ普請中であり、その側面で霞が関官僚的な思考で、天皇家と国家との関係が分断される危険性を指摘してもいる(と僕は考える)。

「 また今上天皇の皇太子時代には、小泉信三という師父がいた。美智子妃殿下
とのご結婚についても、彼がよきマネジメント役として演出を手がけていた。
しかし、現在の皇室にはそのような存在がいるのかどうかは疑わしい。周りに
いるのは宮内庁の官僚、それも霞が関の他の府省から順番に出向してきた融通
のきかない官僚たちである。他省からの出向で来ているから、みな本省ばかり
向いている。自分の出世だけを考え、天皇を守るという立場にない。

 基本的に官僚は、皇族の権威を利用できれば利用したい。自分たちの関係す
る団体の式典や催しに、できるだけ臨席してもらいたいと考える。その結果、
皇族は肉体を酷使されることになる。とくに、すでに78歳になられた天皇陛下
には公務の負担が大きく、心配された秋篠宮殿下が天皇の定年制を提案された
ほどであった。これも天皇の側に立つ人間が、役人のなかにいないことを表わ
している。少なくとも皇族のスケジュール管理は、官僚に任せてはいけない。
民営化して民間人から募ったほうがよい。霞が関からの侵食を防ぐためには、
官僚と渡り合えるような民間出身の人間を皇室の周りに配置しなければならな
いだろう。

 いま起きている天皇家の後継者問題とは、「家族としての危機」の問題でも
ある。これは周囲に役人しかいないことが大きい。家族とは「柔らかい」もの
で、それを役人、制度という「堅いもの」だけで囲んでいるから、問題が生じ
てくるのだ。家族と制度のあいだを埋めるような、潤滑油のような存在をつく
らなければ、危機の解消は難しいだろう。 」

猪瀬直樹『天皇の影法師』


ちなみに『天皇の影法師』や『ミカドの肖像』について、ちょうど10年前に、猪瀬さん、宮崎哲弥さん、内藤陽介さんたちと対談した記録がまだネットで読めるのでご紹介。猪瀬さんの著作はほぼすべて読んでます。

http://www.inose.gr.jp/mailmaga/mailshousai/2002/02-6-3.html

特に僕の発言の前後を以下に引用。言ってることがまだまだ若い 笑。

○田中● それこそ「日本の近代」ですね。猪瀬さんは、近代の始まりは明治
     維新ととらえているんですか。

○猪瀬● もちろんある意味では江戸の末期も近代だけど、元号と西暦の二つ
     の時間軸で生きるということが始まるのが、「日本の近代」ととら
えています。

○田中● 山口昌男さんの「中心と周縁」の理論は、近代以降の話じゃなくて、
     近代以前の話ですよね。主に江戸より前のほうの時代の。

○宮崎● そうです。あるいは未開社会ね。

○田中● 猪瀬さんのは、それを近代天皇制にある意味で拡張していったとい
     う理解でいいんですよね。

○猪瀬● うん。

○田中●『ミカドの肖像』を最初に読んだ80年代始めの頃というのは、山口昌
     男理論とか、ドゥルーズの『リゾーム』論とか、当時これが非常に
新鮮でしたね。

 それを読み直してみたのですが、山口理論だと、王権というものの怪しさと
いうものを近代以前は国家がうまく象徴化していったと。猪瀬さんは、近代以
降は王権の怪しさ自身が空洞化して、象徴みたいなものだけしか残っておらず、
つまり空虚な中心しかない。そういった舞台設計をしているのが官僚であると
指摘している。

○猪瀬● いま田中君が言ったように、80年代の頭のほうからポストモダンと
     かニューアカとか流行り出したでしょう。

○宮崎● 懐かし(笑)。

○猪瀬● あのへんは、左翼思想の終焉みたいなところがあった。ところが、
     そもそも左翼というのはじつは何にも実体がなかったわけだから、
それとポストモダンとくっつけても、それは新しい流行になるっていうだけな
んだよ。日本人が全体を、たとえば左翼の言葉を使わないで、ちゃんと説明を
尽くしたあとにポストモダンはあるはずなんだけど、どうもそうじゃなかった
んだよね、僕の感じでは。

○宮崎● 当時の雰囲気はその通りですが、日本のポストモダニズムが本当に
     本当に問題にしていたこととは少しズレると思うんですよ。

 まず第一に、本家本元のフランスのポストモダンというのは、いわば左翼ラ
ディカリズムの末流に属する思潮で、担い手となった人々も、あの1968年5月
の反乱の当事者です。第二に、ポストモダン日本ヴァージョンは、本家が底流
に秘めていた政治的ラディカリズムをほぼ完璧に脱色したということ。これへ
の反省から、最近はポストモダンの「左転」なんてことが取り沙汰されるよう
になっている。

 この二点を踏まえて決定的に重要なのは、80年代日本のポストモダンは、フ
ランスのそれよりもはるかに徹底していたといえるということです。何故なら
ば、シミュラークルだの、ハイパーリアル、主体の虚構性の暴露、知の階層秩
序の崩壊だのといった状況は、日本ではまったく「現実」だったから。日本の
80年代は、フランスなどより徹底してポストモダンな社会が現出していたから。
ポスト・インダスリアルなエコノミーが登場し、ポスト・インダストリアスな
人格様式が拡大した。佐山一郎氏が80年代の終りに『東京ファッションビート』
で活写した通りですよ。

 90年代はその事実を再確認する時代だったいってよい。宮崎勤、オウム、援
助交際、長期不況、若者の学習意欲低下は、すべて80年代のポストモダン状況
の露頭、深化、展開なんですね。そういう意味で、一番日本の状況に親和的な
思想家はジャン・ボードリヤールだったかもしれない。他の人びとは本当はズ
レていた。

○猪瀬● いや、じつは論壇では左翼を否定するポストモダンとしてしか現れ
     てなくて、だけど経済生活は、いま言われたようなことで拡がって
きた。そこからの分析がほとんどないんだよ。結局日本のポストモダンは、
「左翼は間違ってた」と思った左翼がポストモダンという言葉の枠のなかに入
り込んだ。

○宮崎● うまい免罪符をみつけた。

○猪瀬● そう。本当の拡がりを持っていくんだったら、言われたような拡が
     りでいくはずだったんだ。だから、僕はそれをやってるわけね。

○宮崎● そこを言おうとしたんですよ(笑)。

○田中● いまのボードリヤールの話でいくと、『ミカドの肖像』のなかで突
     出して優れているのは、御真影の話と複製技術文化の話ですよね。
近代以前というのは共同体意識が残ってて、なにか生々しいコスモロジカルな
世界があったのに、近代以降になると、御真影のように象徴的なものがどんど
ん、どんどんコピーされていく。近代以前だと、土着的なほうが量的に多数で、
象徴的なほうが少数だった。だから、いったん土着的なものが溢れると、象徴
的な世界は簡単に転覆するんです。近代以降は、複製技術が発展して象徴的な
ものが無制限にリコピーされるので、量的に象徴的な世界のほうが圧倒してし
まう。そういった観点は、おそらく消費文化であるとか大衆文化のあり方とも
リンクして、ボードリアールの理論とも密接に関わってきて、なおかつ『ミカ
ドの肖像』のいちばんおもしろい部分だと思うんです。

○内藤● たしかに、あの御真影の部分は突出してますよね。その後、多木浩
     二の仕事なんかがわりとポピュラーになったりして、いまとなって
はちょっと古びた感じはしちゃいますけど。僕なんかがフィールドとしている
切手や絵葉書の分野だと、象徴的なもの、特により象徴度の高いものが量的に
他を圧倒していくというのは実感としてよくわかる。

 たとえば、直接御真影が描かれているわけではないんですけれども、記念切
手というかたちをとって直接的に「天皇」という存在が初めて表に出てくるの
は1864(明治27)年のことです。でも、より象徴度の高い菊花紋章はそれより
もずっと早く、郵便創業の翌年1872(明治5)年にはもう切手上に登場してい
る。まあ、この辺は技術上の問題もあるので一概には言えないんですけれど、
日清戦争後、日露戦争を控えて「臥薪嘗胆」の時代になると、切手のデザイン
がほとんど菊花紋章だけになるんです。額面の数字なんかほとんど端っこに追
いやられちゃってね。切手本来の機能から言えば、それは困るはずなんだけど、
逆にこのことは、国家にとって何が重要化ということを、それこそ象徴的に示
していますよね。国家意識みたいなものを表現したいのなら、御真影でなくと
も、ヤマトタケルみたいな建国神話の登場人物を切手上にバンバン登場させる
ことだって選択肢に入っていいはずなんだけど、そうはしていない。物理的に
は不可能ではないんですよ。神功皇后は、ほとんど一般国民の目には触れない
5円・10円という超高額の切手、いまなら5万円切手とか10万円切手とかって
いう感覚でしょうかね、そういう切手になってるんだから。それでもやっぱり、
菊花紋章が切手やはがきの中心的なデザインになるというのは、より象徴度の
高いものが国民生活のなかに広くかつ深く浸透していくことを、当時の大日本
帝国が理解していたことのあらわれじゃないかと思いますね。

○宮崎● ポストモダニズムのコロラリーとして、カルチュラル・スタディー
     ズなんていう批判的文化研究が出てくるんだけど、猪瀬直樹の仕事
はその方法を先取りしているところがあるね。その流れは、先述した坪内祐三
『靖国』や関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』、あるいは原武史氏の天皇
や都市をめぐる仕事に方法的に影響を与えていると思う。

○内藤● ちょっと脱線するかもしれないですが、いま話題になった原さんと
     いう方は、もともとの根っこは「鉄道オタク」なんですよ。会って
お酒を呑んだりすると鉄道の話しか出てこない。純粋に鉄道が好きで、鉄道網
が拡がっていった理由とプロセスをたどっていったら、天皇にたどり着いちゃっ
たという。ただ、「鉄道」では飯が食えないし、なんとなくカッコも悪いから、
「思想史」の看板を掲げてるっていうオーラが全身から漂ってる(笑)。その
意味では、けして左翼系の流れを汲んでいるいんちきカルスタ系の薄っぺらな
人たちとはぜんぜん違いますよ。鉄道というきちんとした土台があるもの。だ
から、そういう人の仕事が、ホテルオタクではない(笑)猪瀬さんの仕事とあ
る種の相似形を成しているっていうのはすごいですよね。結局、行き着くとこ
ろは同じなんですかね。

○猪瀬● だから僕は天皇とか、いちばん固定観念に嵌まりやすい場所から入っ
     たんだよ。そこから思考方法を解体していく。ある意味では日本は、
その近代の始まりからすでにポストモダンみたいな世界だからね。

○田中● 複製技術にこだわるんですけど、1930年ぐらいに大宅壮一がコピー
     文化というものに注目しているんですね。長谷川如是閑も複製技術
というものに非常に興味を示して、如是閑も大宅も複製技術の極致としてラジ
オとかテレビを見ているんですよ。「ミカド三部作」になっていて、三つ目は
に『欲望のメディア』があります。それはテレビの物語を複製技術の発展とい
う経路から見ると納得いく流れで、さらに90年代に入っての三部作のうちの真
ん中に『マガジン青春譜』があるというのも、80年代の三部作と複製技術文化
というところで非常に関連している――というふうに、僕は読んでるんですけ
どね。

○宮崎● 力技のまとめだけど、なるほどね(笑)。
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