(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十八章 無計画な戯れ日和 六

2009-08-18 21:04:37 | 新転地はお化け屋敷
「あの時以来って言ったら大層なものに聞こえますけど、実際は一週間程度のことですよね」
「まあね。でも、その一週間程度ってけっこう大きいんじゃない? 少なくとも栞は大きいと思うなあ」
「もちろん、僕だってそう思ってるんですけどね」
 例えば、恋人とのメールでの遣り取りは頻繁にしないと物足りなく感じるような人。
 実際にそういう人は見たことがないですけど、テレビなんかじゃあ割かし目にするような話だと思います。「そういう人は見たことがない」と言うからには僕達自身もそうではないんですけど、それはそもそもメールでの遣り取りが必要ないくらい完膚なきまでにお隣さん同士だからであって、その状況が備わっていなければ僕と栞さんは――もしかしたらどちらか一方だけかもしれないけど――テレビでよく見る話と同じような行動をしていたかもしれません。まあ、あくまで栞さんが携帯電話を持っていないという点を考慮外として、ですけど。
 しかし、メールでの遣り取りが不必要だからといって、それで何事もなく万事解決、とはいかないわけです。メールが駄目なのなら、それに変わる何かが浮上してくるわけです。
 簡潔に言えば、栞さん一緒に何かしらの恋人らしい振る舞いをしたいわけです。もっと言ってしまえば、何でもいいからとにかくいちゃいちゃしたいのです。
 で、今回の話では、それがいわゆるキスというやつだったのです。それに関連して、一週間程度前の話を掘り起こしてはしまいましたが。
「じゃあせめて、やり直してみますか? さっきの」
「うーん、どうだろう」
 今回の恋人らしい振る舞いであるところのキスは、失敗とは言わないまでも、ちょっとした後悔の残るものでした。なのでそんなふうに尋ねてみますが、栞さんは何やら思うところがある様子。
「馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、やり直しで無かったことにはしたくないかなあ。さっきのも」
「ありゃ、そう来ますか? まるで予想外、しかも残念です」
「やり直しじゃなくて『さっきのを踏まえて改めてもう一回』ってことなら、それまで断ったりはしないけど?」
 これまた予想外な話ですけど――さて、どうしましょうか。
 しかしまあ、こんなふうに立ち振る舞っているからこそまだまだ一緒に暮らすには至っていない、とそういうことなんでしょうけどね。

「なあ、成美」
「なんだ大吾」
「その……そんなに面白いか? それ」
「面白い面白くないの話ではない。久しく忘れていた狩りの感覚を思い起こさせてくれるこれは、見ているだけで気分がいいのだ。見ろ、こいつだってさっきからずっと真剣だろう」
「いやまあ、旦那サンのその動きが狩りのそれだってのはさっきも聞いたけど……悪い、本当にどうしても、オレ等からしたら可愛い動きにしか見えねえんだよそれ」
「うむ、わたしもさっきそれは聞いた。人間からすれば猫というものは随分と体が小さいからな、それも仕方がないことだろう。謝るようなことではないぞ」
「…………」
「そこで、だ。わたしが、人間の体でもって、猫の狩りの動きというものを実演して見せるというのはどうだ? ふふん、華麗かつしなやかな動きに惚れ直すこと間違いなしだぞ」
「いや、それは断る」
「……ど、どうしてだ? どうしてお前はどうあってもこの猫じゃらしを持ってくれないのだ? さっきからずっと自分で手を出したくてうずうずしているのに、持っているのがわたし自身なのではそれも適わないのだ」
「…………」
「頼む大吾、頼むから、ちょっとの間だけでいいから、わたしの代わりにこれを持ってくれ。こんな気分は本当に久しぶりなんだ、頼むから曝け出させてくれ。このままずっとお預けだなんてそんな、むごすぎる」
「いや、な。旦那サンはともかくオレがオマエをじゃらしてるってのは、絵的に最悪なことになりそうっつーか」
「全く理解できんぞ、そんなこと。理解できんし、できたところで知ったことか。うううう、お願いだ大吾、お願いだから――」
「怒らせるどころかこんなことになってるって知られたら、思いっきり変な目で見られそうだよなあ……」


 いろいろあるようでありつつ、何もないような気もする時間がそれなりに経過し、時刻は夕食時。となれば今夜もやって来るのはあまくに荘の管理人夫婦でありまして、
「へえ。話だけ聞く限りじゃあ、真剣に考えたんだかそれをダシにいちゃついてただけなのか、よく分かんないねえ」
「真剣に考えてかつそれをダシにいちゃついてたんじゃないか? 俺、自分でもそういう覚えあるし。まさか楓にそれがないなんて言わないよな?」
「んー……キシシ、自分の話を持ってこられると辛いかな。もちろんそういう覚えなんていくらでもありまくりだし。高次さんにだけあってアタシにないなんて、そんなことあるわけないじゃん」
 つまり、別に僕達が特別にそうなんだということではないようです。ちょっと安心。
 からかうような、もしくはからかわれたような笑みを浮かべていた家守さん、テーブルに肘をついて組んだ左右の手の甲に顎を乗せました。その見た目だけで真面目度が増したような気がしないでもないです。
「でも、一緒に暮らし始めるタイミングかあ。考えちゃうと難しいことだよねえ、考えなけりゃあさっさと決められるんだろうけど」
 真面目度が増したような家守さんに返事をするのは、引き続き高次さん。こちらも、腕を組んで真面目そうです。
「俺らはどうなんだろね。俺が日本に戻ってきたらってだけ決めといて、あとはその通りにしただけだし」
「その場で決めるのは難しそうだけど、アタシらみたいに先に決めとくと楽だよねえ。なんたって、話し合いをするまでもなくそうするって決めてんだもん。二人の間で」
「その『先に決めとく』時にちょっとぐらい話し合いはするけど、まあその方が楽だろうね。なんせ先の話だから――こう言うとちょっと悪く聞こえるけど、深刻さがそれほどでもないもんなあ」
「ねえ」
 悪く聞こえるけどと言いはしましたが、しかし高次さんのその意見に、家守さんもさも当然のことと言わんばかりにあっさり同意してしまいました。僕からすればその話は少なからず意表を突かれるような内容だったのですが、けれどもその話を受けてこうも思います。
 家守さんと高次さんは付き合っている段階からしていろいろと大変だった――それは家守さんの霊能者としての腕と、高次さんの家柄を原因としている――と聞いているので、それを乗り越えてしまった今となっては、肝の据わり方が人一倍しっかりしているのではないだろうかと。だからこそ今言っていたようにあっさりと同棲や結婚を決められるし、だからこそ今のようにそれを軽く口にしてしまえるのではないだろうかと。
 要は問題の解決方法がどうこうでなく、家守さんと高次さんが凄いからなのではないのだろうかと。
 そんなふうに思ったところで口を開くのは、栞さん。
「大吾くんと成美ちゃんは、その場で決めたようなものですよね?」
 ここでその二人の名前が出てくるということは、栞さんも僕と同じような思考を巡らせたのかもしれません。
「高次さんの家にお邪魔した時に大吾くんがそう決めて、帰ってきてから成美ちゃんがそうしようって言われて、そのままそうすることになったんですし」
 それを聞いた家守さんと高次さん、やや表情を柔らかくします。
「あれは俺もびっくりしたなあ。久々にみんなに会ったと思った途端だったし」
「いやいや高次さん、あれは久々に会ったとかじゃなくても驚くって」
「でも楓――と言うかみんなの中じゃあ、驚き混じりの大歓迎ってとこだったんじゃないか? 俺なんて純粋に驚いてただけだもんな。まあ、暫くのうちはって話だけど」
 その「みんな」の中には僕も入っているのでしょう。ということでその瞬間の自分を思い返してみますが、なるほど確かに高次さんの言う通りなのかもしれません。なんせ、
「そりゃあ、あの二人だもん」
 という家守さんの言葉そのままですから。
 これについては「みんな」そう思うところなのでしょう、栞さんも家守さんの言葉ににっこりと微笑んでいました。
「はっは、それ言われたらもう納得するしか手がないね」
「よし、手がなくなったところで頼みますよ先生」
 僕が先生と呼ばれる時というのは――そう、夕食の準備はこれからなのです。

『いただきます』
「冷しゃぶかあ。肉料理の割にはさっぱりしてて食べやすいよね」
「作るのも簡単だしね。……と、今日初めて作ったアタシが言うのもなんだけど」
「作れる料理が増えてくるの、楽しいですよね。まあ、一人でもちゃんと作れるかどうかっていう問題もありますけど」
「やってみてもいいと思いますよ? そろそろ。全く手も足も出ないって事態に陥ることはもうないでしょうし」
「いやあこーちゃん、そこは女心だよ。しぃちゃんが自分で料理するって言ったらまずはやっぱりこーちゃんのためだろうしさ、ちゃんとしたものを食べさせてあげたいんだよ」
「と楓は言ってますが、どうでしょうか喜坂さん」
「……まあ、なくはないです。やっぱりその、美味しいとは言って欲しいですし」
「それを考えるとこーちゃんは贅沢者だねえ。ほぼ毎日言ってもらえてるんだもん、美味しいって」
「贅沢、ですか。いやまあ、確かにそうかもしれませんけど、それでも毎回ちゃんと嬉しいですよ? 僕だって」
「だってさしぃちゃん。これからもいっぱい言ってあげるといいよ」
「夕食以外に機会がある時とか、俺らが帰った後とかね」
「は、はい……って、帰った後って言ったら夕食が終わってるのに、何を美味しいと言えば?」
「そりゃあもちろん、諸々なほにゃららだよしぃちゃん」
「楓、それ全然もちろんじゃない。同意見だけど」
「料理の先生である今は、夜食のことを言ってるってことにしときますね。絶対違うんでしょうけど」

『ごちそうさまでした』
「んなわけで、アタシとしては予め『これこれこういう時期になったらその時は一緒に暮らそう』って決めておくのをオススメしたいかな」
 みんな揃って手を合わせた直後、家守さんは唐突にそう仰りました。加えて軽く手を振りながら、「いや、アタシ達がそうだったからってだけの話だけどね」とも仰りました。
 それに対する僕もしくは栞さんのリアクションより早く、次に話すのは高次さん。
「でもそもそも、楽だったら良いってな話でもないからなあ。俺らの話はあんまり参考にしてくれなくてもいいと思うよ? もちろんしてくれても構わないけどね」
 じゃあどないしたらええんですかってな話ですが、それも含めて自分で考えろということなのでしょう。一から十まで誰かの教え通りに動けば済む、という類いの話でないことぐらいは、僕でも分かっているつもりです。
 そんなふうに自分へ向けての確認をしてみたところで、今度は栞さん。
「うーん、まだそういう段階じゃないっていうのが正直なところなんですけどね。その前に話さなくちゃならないことって、あると思いますし」
「ほほう? しぃちゃん、良ければ聞かせて――いや」
 具体的に何があると言われたら咄嗟には思い付けないけど、でも栞さんの言う通りなんだろう。口には出さずにそう思った僕なのですが、しかし家守さんの視線は、そんな僕へ向けられたのでした。
「こーちゃん、しぃちゃんはこう言ってるけど、何か思い当たることってある?」
 ……咄嗟には思い付けないと思ったばかりなんですけどねえ。
 そうは言ってもものを尋ねられて無言のままというのは具合が悪いので、何かしら答えようと頭を働かせてみたところ、
「すいません、ぱっとは出てこないです」
 という素晴らしい返答を口にするに至りました。ちょっと泣いちゃってもいいでしょうか。
「楓さん、それはちょっと意地悪だと思いますよ? 何も出てこないほうが普通ですよ、急に今みたいなこと訊かれても」
「やっぱり? キシシ、ごめんごめん」
 と女性二人は微笑み合っていますがしかし、それに乗っかって気を取り直してしまってもいいものなのかどうか、悩むところではあります。
 悩んでいる間に、栞さんが首から上だけでなく体全体をこちらに向けて座り直しました。
「栞は幽霊だけど、孝一くんは幽霊じゃないでしょ? いろいろあると思うんだよね、そのことだけ見ても」
 それは、いまさら確認するまでもないような情報でした。現在僕が恋愛をしている相手である栞さんは、幽霊なのです。
 しかしそれは、これまでにも何度かあったのと同じく、普段は殆ど気にならないが故に意識に上りにくくなるような情報でもあるのでした。
「ああでもこれって、一緒に住むってことよりもっと先のことに繋がっちゃうのかな。……うーん、一緒に住むってことをどういう位置付けにするかで変わっちゃう、かな」
 その言葉の意味は、はっきりとは浮かばなかったものの、何となくぼんやりとは把握できたような気がします。
 ですがやっぱり何らかの返事をするのははっきりと理解してからのほうが好ましいだろうということで、多少の時間を費やすことを覚悟の上で栞さんの言葉を噛み砕いてみようとしたところ、
「そういう話になっちゃったらアタシらはお邪魔だね。そろそろお暇しましょうか」
「だな。今日もご馳走様でした、日向くん」
 家守夫妻が空の食器を手に立ち上がるのでした。

 玄関での別れ際、「余計なお世話だろうけど――焦ることはないよ、日向くんも喜坂さんも。楽だったら良いって話じゃないとは言ったけど、それと同じで早けりゃ良いって話でもないからね」と高次さんに言われました。……正直、危ないところだったような気がします。一緒に住むかどうかの結論ではなく、栞さんの持ち出した話の結論についてではありますが。
 そんな一幕があって、栞さんと二人きりです。
「あはは、いくらそれが楓さんと高次さんでも、人前でする話じゃなかったかな」
 二人が部屋に戻る切っ掛けを作った栞さんは、照れたような笑みを浮かべていました。
「だったかもしれませんね。まあ、僕も真面目に答えようとしてたんですけど」
 一区切りとはいかないまでも、ちょっとした息抜きの時間。それが功を奏して、気持ちに余裕が生まれました。
 逆に言えば、さっきは余裕がなかったのです。栞さんが「自分は幽霊で、孝一くんはそうではない」という話をしたその瞬間から。
「……それで、今は孝一くんと二人だけになったんだけど」
「なりましたね」
「幽霊かそうじゃないかって話の前にね、さっき言った位置付けがどうのって話をしたいんだけど、いい?」
「はい」
 僕から余裕を奪ったあの話が来るのかと思いきや、そうではありませんでした。しかし今回の話を持ち掛けたのは栞さんなので、聞き手側である僕が話の進行について異を唱える必要性は、全くと言ってないわけです。
 栞さん、一呼吸。
「必ずしもそうでないことは分かってるけど、それでもやっぱり、自分がまず思い浮かべるイメージってあるでしょ? 何事においても」
「今回の話だと、一緒に暮らすってことについてですか?」
「うん」
 まあ、そういう話なんだからそうなんでしょう。それは当然のこととして、ここで気にすべきやはりそのイメージの内容ですが。
 栞さん、もう一呼吸。
「男の人と女の人が一緒に暮らすっていうとね、栞の中では、ただそれだけで終わることじゃなくてこう……け、結婚とか、そういうところまで含んじゃってるイメージがあるんだよ。一緒に住んでるから結婚するんじゃなくて、結婚したから一緒に住むっていうか」
 そう言ってから「もちろん、必ずしもそうでないってことは分かってるんだけど」としっかり付け加え、最後にふう、と小さく息を吐いて、話はここで区切りを迎えました。
「僕もまあ似たようなものですかねえ。と言っても、栞さんほどきっちり分けてはいませんけどね。ぼんやりしつつも方向性は同じかなあって、そんな感じです」
 これで伝わらずに「どういうことだそれは」と訊き返されたら困ってしまいますが、そういうことです。
「良かった、方向性は同じなんだ」
「良かったと思えてもらえて良かったです」
 二人して居心地が良くなりそうな悪くなりそうな笑みを向かい合わせ、しかし話はまだ続きます。
「そういうことだからね、孝一くんと一緒に暮らすっていう話は、栞からすればとっても大きいことなの。だから、今はまだその時期じゃないかなとか、そういうふうに思っちゃうんだよ」
 それを聞き終えた瞬間、いや、聞き終わるその前から、僕の頭の中に栞さんへの返事が浮かび始めていました。それはまるで、台本でも眺めているかのようにすらすらと。
「でもそれって多分、いつまで経ってもそう思い続けちゃいますよね。『今はまだ』って」
 思い付いたその台詞を間断なしに続けてみたところ、栞さんの動きが一瞬停止します。
 そしてその一瞬を挟んでから、
「…………さすが、方向性が同じ孝一くん。痛いくらい核心を突いてくるね」
「あはは、僕も自分で言ってて痛いです」
「ふふっ」
 似たような考えを持つというのは、良いところだけでなく良からぬところも似てしまうんですねえ。当たり前と言えば当たり前ですけど。
「……それでね、ここでやっと幽霊がどうのこうのって話になるんだけど。『今はまだ』って思っちゃうその理由、だね」
「あ、はい」
 軽い笑いは内に押し込め、一気に真面目な話をする体勢へ。とは言ってもまあ、家守さんと高次さんがいた時に比べれば、気持ちにいくらかの余裕はあるわけですけども。
「栞は幽霊で、でも孝一くんはそうじゃないでしょ? それで、その――」
 ここでまた栞さんは一呼吸。
 ただし今回のそれは、厳密に言えば呼吸ではありませんでした。口にするのを躊躇って、間が生じただけなのでした。
「孝一くん、一人っ子でしょ?」
「え? はい。――えっ」
「分かっちゃった? 何を言おうとしてるのか」
「……はい。多分ですけど」
 可能性を思い付きはしました。けれど、それが栞さんの言いたいことと合致しているという証拠なんてものは当然あるわけもなく、なので僕の返事は曖昧なものになってしまいます。
 それでも、話の流れからして僕は、その思い付いた可能性を口にしなければなりません。
「僕と栞さんが一緒になったとしたら、僕の親は」
 そうしようと思ったわけではもちろんありませんが、そこで僕は言葉を詰まらせてしまいます。それは、ついさっき栞さんが一呼吸を置いたのと同じ意味合いで、です。
「僕の親は、孫というものを」
「うん」
 言い切るよりも前に、栞さんは頷きました。そこで僕の言葉は止まります。
 ――栞さんにとって異性との同居というものは、結婚までをも意識してしまうほど重大なことです。そして栞さんにとっての「異性」であるところの僕は、幽霊ではありません。
 栞さんは幽霊です。そして幽霊は、子どもを作ることができません。
 できないのです。
「もちろんそれを考えないようにすることもできるんだけどね。実際、一緒に住み始めることが即そういうことに繋がるわけじゃないんだし。栞が自分の中でそういうことにしてるだけで」
「でも……」
「考えちゃうよね、やっぱり。栞も孝一くんも、程度は違うみたいだけど、そういうふうに考える人なんだし」
 普段、そういうことを考えながら栞さんと接しているわけじゃない。栞さんと顔を合わせる度に親の顔が浮かぶわけではないし、孫がどうだなんてことももちろん気にしない。それが普通というものだろう。
 しかし、「そういう話」をするに至ったのなったなら、考えてしまう。「そういう話」の中でどういうことを考えるのかは人それぞれなんだろうけど、そこはいま栞さんが言った通り、僕と栞さんはこういうふうに考えてしまう。何故ならそれは、僕と栞さんだから。
「あのね、孝一くん」
 座る姿勢を正してからここで改めて、栞さんがこちらへ呼び掛けてきた。
「栞は、ずっと今はまだって言ってはいるけど、孝一くんと同じ部屋で一緒に暮らしたいなって思ってる。そう思う理由はもちろん孝一くんが好きだからで――大好きだからで、多分、他の理由を挙げてもそれは『大好きだから』の一部でしかないんだと思う。だからね」
 ほんの少しの間。
 自分へ向けられた大好きという言葉に、今になって照れるようなことはない――ということもなかったとは言え、せめて外面だけでも真面目な顔を保たせたまま、僕は栞さんの言葉を待つ。
「自分が幽霊だってことがどんなに孝一くんの負担になってもね、それでも、そのことでどんなに悩んでも、孝一くんと一緒にいたいってところは変わらないんだと思う。孝一くんが好きだってところが変わってしまわない限りは、ずっと」
 そうまで言って栞さんはふわりと微笑み、そしてその微笑みによって、また少しの間ができる。
 こうまで言われたのならば僕からも、自分だってもちろんそうですと言い返そう。そう思った僕はその出だしのタイミングとして、栞さんの微笑みが収まる瞬間を狙った――んだと、思う。話し始めるタイミングなんてものをわざわざ意識することはあまりなく、そして今回もそうだったので、確実にそうだったとは言い切れない。
 しかし、それはどちらでも同じことだった。それは、僕の返事よりも前に栞さんが再び話し始めたからだった。
 微笑みが収まる瞬間を狙った僕より微笑みを収めながら話し始めた栞さんが早かったというのは、当然の結果だろう。
「栞が幽霊であることと孝一くんがそうじゃないことで、負担が掛かるのがどっちかって言ったら、それは孝一くんなんだよね、やっぱり」
 普段だったらそれこそタイミングなんてものは一切考慮せず即座に「そんなことはないですよ」と返す場面だったと思う。
 だけどこの場面、栞さんはそんな気遣いを望んではいないだろう。ふとそんなふうに感じてしまった僕は、何も言い返さなかったし、首を横に振りもしなかった。
「それでもやっぱり、栞は孝一くんと一緒にいたいと思う。ずっとずっと一緒に暮らしたいと思う。……ねえ、孝一くん。孝一くんは、受け入れてくれる?」
 返事はとうに決まっている。問われる前から決まっているし、問われた後にもそれは変わらない。だけど僕は、即答しなかった。できなかったんじゃなく、しなかった。
 栞さんの言葉は重かった。問いに対する返事は、僕の心へじわじわと圧し掛かってくるその重さを抱え切ってからにしよう。何の意味もないことだけど僕はそう思い、そしてそうすることにした。
 僕が返事をするまでのタイムラグに、栞さんが言葉を差し込んでくる。
「――あはは、栞は負担を掛ける側だから、受け入れてもらう側になっちゃうんだよね」
 抱え切ろうとして手間取っていた重さはその一言によって一転、あちら側から一気に心を押し潰しに掛かってきた。
 抱え切れた――かどうかは定かではないけど、とにかくこれで、全ての重さを感じ取ることはできた。
 潰れかかった心を何とか踏ん張らせ、僕はようやく答える。
「受け入れます」
 そのたった一言だけでした。
「僕だって栞さんが好きです」だとか「僕だって何をどう悩んでも栞さんと一緒にいたいってところは変わりません」だとか、幾つか考えていた「僕だって」は、一つも口にすることができませんでした。しなかったのではなく、できませんでした。
「ありがとう」


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