(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十章 騒がしいお泊まり 後編 三

2008-11-23 20:06:46 | 新転地はお化け屋敷
「それでは日向さんはどこから料理を? やはり親御さんですかな」
「いえ、殆ど独りで勝手にやってるうちに覚えただけですね。親はむしろ女々しい特技だ、とか言って渋い顔でしたから」
「ははは、それは手厳しい。私などは女々しい爺ですな」
 しまった、料理をしている男性という括りには大門さんも入るか。「あ、すいません」と軽く頭を下げ、話題を修正。
「……えーと、独りでやってたって言ってもやっぱり、親の味の影響は大きいでしょうけどね。今でこそ色々工夫する余裕もありますけど、最初は『お母さんみたいな料理』が目標でしたし」
 話題を修正したのはいいものの、言い切ってからだんだん恥ずかしくなってきた。昔の事で事実とは言え、「お母さんみたいな」なんて言うか、僕。大門さんは「でしょうな」と頷いてくれたものの、恥ずかしさが紛れるわけでもなく。うう。
 するとここで、栞さんが口を開いた。
「そう言えば義春くんも言ってたよね、お母さんが作ってくれるのに似てるって。『お母さんの味』ってどこの家でも似たようなものなのかな?」
 おお、流れに沿ったいい話題転換。と言って栞さんは転換したつもりなんてないんでしょうけど、ここは乗らせてもらうべきでしょう。
「凄いですよね、あんなに小さいのに味の違いが分かるなんて。初めに気付いたのも義春くんだったし」
「ほほう、坊ちゃんが」
 呟き、顎に手を当ててううむと唸る大門さん。
「『幼いのに』と言うよりは、『幼いからこそ』なのかもしれませんな。大人のように素材だ味付けだと難しい事を考えず、ものの味を美味しいと美味しくないの二極だけで捉えているからこそ、その機微には敏感なのかもしれません」
 言われた瞬間にはああなるほど、と得心した。しかしその瞬間が過ぎた頃には、それにしたってまだ小学校にも行ってなさそうなあの子が? と。その心情の移り変わりが顔に出たのかどうかは分からないけど、僕をまじまじと見詰めた後、壁のほうを――いや、壁の向こうの義春くんを、か。そちらへ目を向けた大門さんは、どことなく陰りのある声で言う。どうしてそんな声になるのかは分からなかったけど、
「出来たお子です、本当に。年に相応の愛嬌も、年に不相応の礼節も、どちらも持ち合わせておられる。当主と奥様はもちろん、四方院家に勤める者全員の宝でしょうな。坊ちゃんは」
 こちらの話には疑問を差し挟む余地などない。自分があのくらいの年齢だった頃を思い返してみても――愛嬌はそれなりにあったかもしれないけど――礼節なんて言葉も概念も、持ち合わせていなかったと断言できる。同じく、それが同年代の友達にも当て嵌まっていた事も。
 壁側からこちらへ視線を戻した大門さんは、「布団を干す回数がやや多くなるくらいですかな、手が掛かる点と言えば。まあそれは料理人の仕事ではありませんが」と、笑みを浮かべながら。……それはまあ、仕方がないですよね。
 そんな軽口を差し挟んで、
「お願いしたい事があるのですが」
 孝治さんと椛さんのケーキ、僕と栞さんの焼き飯とお味噌汁に続いて、またも何かを頼んでくる大門さん。はて、今回は。

「急なお話で申し訳ないです、楽さん。お帰りの時間も近いというのに」
「いえいえ。んっふっふ、記憶を頼りに描くというのも新鮮ですねえ。私はいつも、描きたいものを前にして描いていますので」
 と言いつつも難儀する様子なんてまるでなく、すらすらとスケッチブックに鉛筆を走らせる清さん。一見すると向かい合って座っている大門さんが被写体のようにも見えますが、そうではなく。では何を描いているのかと言うと、ジョンにナタリーさん、加えてサンデー達七名全員のスケッチです。それらは、義春くん宛てのプレゼントとして。
 たった今大門さんが言ったように、帰る時間はそろそろ近い。だけど荷物は各人が部屋に持ち込んだものだけなので、今から慌てて準備をするような事もない。ので、今になってこんな事をしている時間もあるというわけです。
 被写体になるべきジョン達は義春くんと遊んでもらっていて、大吾と成美さんもそちらに付き添っている。そして家守さん達はやっぱり定平さん達と身内同士の話があったりするようなので、ここにいるのは清さんと大門さん、そして僕と栞さんの四人だけなのです。
「あの、何か?」
 唐突に栞さんの声。見ると、軽く首を傾かせた栞さんの視線に若干しかめられた大門さんの視線が重なっていた。
「いえその、幽霊である喜坂さんの前でするには少々、無神経な話題を口走りそうになったもので」
 気まずそうでありながらも、適当にお茶を濁したりせず正直にことわりを入れる大門さん。しかし、その無神経な話題というのが何であるかは分からない。それに「幽霊である栞さんの前では」と言うなら、清さんだって幽霊なんだけど……。
「子どもの話、ですか」
 意図が見えずに首を斜めにしていると、清さんが手を止めずにすぱっと言い放った。
「お察しの通りです」
 大門さんが頷き、僕も心の中で頷いた。ああなるほど、と。
 清さんには既に――恐らくこれは僕のプロフィール同様、定平さんが家守さんから聞いたのを又聞きしたというところだろう――息子さんがいる。だから清さんの前でならまだ問題はないけど、栞さんの前でその話をするのは無神経になる。それはつまり、幽霊は子どもを作れない、という点においてだ。
 同じ「子どもの話」であっても、義春くんという一個人をさしての話ならば問題はない。しかし大門さんがこれから話そうとしている内容は、子どもという言葉とその意味、それ自体を扱ったものだという事なんだろう。ストレートに子作りの話だって事は、さすがにないと思うけど。
 でも栞さん、「ああ、それなら大丈夫です」とにこやかに。
「楓さん――家守さんからきちんと説明はしてもらったし、話し合わなくちゃいけない人とももう、ちゃんと話し合ったので」
 この人のこういうところが、とついつい頬が緩みだす。そしてそれを堪える。「話し合わなくちゃいけない人」が自分であると見せびらかしているようで、とても気の向くまま笑顔ではいられなかった。実際に自分の事なのだと分かっている以上、そしてそれがバレバレである以上は、実に滑稽でしかない行動なのですが。
 面食らったような顔になった大門さんは、次の一瞬にはもう笑顔で「お強いですな」とだけ。しかしそれは、僕からしても誇らしい一言だった。
「坊ちゃんは出来たお子です。今の時点からですら将来が楽しみなほどに。……しかし、霊能者の家系であるこの四方院家が身を置く場所は小さく、狭く、そして時に暗いのです」
 思い出されるのは前日、露天でない方の風呂場で聞いた『ここに雇われている者の殆どは、何か事情があってここへ来るしかなかった者達です』という、その事情を刺青という形で背中に背負った木崎さんの話。大門さんの話は霊能者という職業全体の話だけど、四方院家を指した木崎さんの話だって、その一端ではあるのだろう。
「出過ぎた考えである事は承知の上ですが、坊ちゃんにはもっと人と触れる機会をと、ついつい思ってしまうのです」
 それは例えばお客さんが作るケーキや焼き飯を食べお味噌汁を啜ったり、動物の絵をプレゼントされたり、とそういう事なのだろうか。
「私の絵がその考えにどれほど貢献できるかは、あまり自信がありませんが」
「いえ、そんな滅相もない。……当主と奥様も同じような考えをお持ちで、だから今回ここに皆さんをお呼びしたのでしょう。高次様を引き合わせるだけなら、呼ぶのは家守様だけでよかったのですから」
 という事は、ここへ来る事について四方院家側から家守さんに打診があった時点で、僕達も一緒に来るよう言われていたという事か。
 そうでなくても家守さんなら僕達全員を連れてきていたんだろうけど、それは敢えてここで言う事でもないだろう。今話しているのは定平さんと文恵さん、それに大門さんやここに勤めている他の方々もそうなんだろう、四方院家全員が持つ義春くんへの想いの話だから。

 そうしてついにお別れの時間。玄関を出た所まで見送りに出てきてくれた四方院親子と高次さん、その四人の中でも最も背丈の小さい人物に、清さんからプレゼントの贈呈。
「あ、ありがとうございます!」
 年に不相応の礼節を持つ義春くんは、その礼節を以ってして清さんに頭を下げるのでした。年に相応の愛嬌の方は――振りまかれるまでもなく感じ取れますね。
「いえいえ、どういたしまして。喜んでいただけて何よりです。んっふっふ」
「凄いなあ。僕もこんなに上手な絵、描いてみたいです」
 一枚一枚に誰が見ても上手いとしか言えなさそうな動物の絵が描かれている九枚の画用紙を両手に持ち、食い入るように眺め回す義春くん。そんな彼に清さんは、
「実際にあるものを絵にするだけなら、そうそう難しい事でもありませんよ。しかし何より、絵を描く事それ自体が楽めるならそれが一番です。絵の上達は二番ですね」
 そんな難しそうな事をさらっと言いますか。技術面でも心構えの面でも。
「そうだ、まだ他にも……」
 嬉しそうに頷く義春くんを前に、背負ったリュックを降ろして中を漁り始める清さん。何が出てくるのかと見ていたら、スケッチブックとは別の、版画板に留められたままな絵が。先に渡した絵よりサイズが大きい画用紙に描かれたそれは、絵の具で色が付いているものの、黒だか藍色だかの暗い色を基調とされていた。
「昨日、裏の山に入らせてもらった時に描いたものです。描いている間に夜になっちゃいまして、この通り薄暗い仕上がりですが……よければ」
「い、いいんですか? こんな、凄いのに」
 それなりの額縁に飾ってそれっぽいタイトルでも付ければ、美術館に飾られていていても違和感のなさそうなレベル。もちろん素人目なのでそんな評価が妥当かどうかなんてまるで自信がないわけですが、少なくとも、義春くんの両隣に立っている定平さんと文恵さんも驚いたような顔をしています。そして義春くん本人は言うまでもありません。
「もしその絵が本当に凄いのなら、それは景色のおかげですよ。ならばその景色――つまりあの山の持ち主である方に受け取って頂いて、何の問題もありません。……自分の絵を見返す趣味がないだけなんですけどね。んっふっふ」
 ならば自分の手元に置いていてもあまり意味がない、とそういう事なのだろうか。でも多分、清さんの事だから、他の人の絵を見るのは趣味に含まれるんだろうなあ。
「ありがとうございます……」
 喜びがないというわけではないだろう。だけど圧倒されてしまった面のほうが大きいらしく、これまでのぴっと背伸びをしたような元気のいい声は出てこず。しかしそうして何かの表彰状を受け取ったような格好のまま目を丸くしている義春くんだったけど、それが済むとその途端、くすっと嬉しそうな笑みをこぼして、ジョン達のもとへ走り寄るのでした。
「本当にそっくり!」
 手元のスケッチブックの一枚一枚と彼等を見比べ、実に楽しそうな義春くん。しかしサンデーはくいっと首を一捻りすると、
「ぼく達の似顔絵よりお外の絵のほうが手が込んでるのって、ちょっと寂しいなあ。遊んでくれてありがとうね、義春くん。そこに描いてあるみんな、楽しかったよって言ってる」
 不満とお礼を同時に言っちゃうかねサンデーくん。
「私も楽しかったです。怖がらずに遊んでくれて、ありがとうございました」
「ワフッ」
「僕も楽しかった。また遊びに来てね」
 そんなお別れの言葉にそうそう来るようになる場所ではないのだろう、とは思うものの、それはこの家で育った義春くんにも――と言うよりはいっそ、義春くんのほうがしっかりと分かっているんだろう。それでもこの別れ際を惜しむ素振りがまるで窺えないのは、子どもの無邪気さがなせる業か、それとも義春くんという個人の器量の問題か。……どちらか一方という話でもないんでしょうね、多分。
「おっ、そういうパリッとした挨拶は気持ちがいいね」
 僕と似たような、しかも僕のそれよりよっぽど簡潔なその感想の発言者は、高次さん。
 自分の事を言われているとは理解して、しかしその内容が今一判然としない。義春くんからそんな目を向けられた高次さんは、一瞬だけ優しく微笑み返すと視線を自分の兄へ。
「ってわけで兄貴、ここで俺等がぐだぐだと場を長引かせるのも気が引けるんだけど、どうよ? ここはさっと引いちゃわないか?」
「俺に訊くか? では、嫌だと言ったら?」
「言わないだろ?」
「言わないさ」
 意地悪を仕掛けてくる際の家守さんに似たような雰囲気の高次さんと、弟であるその高次さんが相手であるせいか口調がこれまでより砕けつつ、それでも尚風格を感じる定平さん。あまり似ているところはなさそうな兄弟だったけど、息は合うようでした。
「じゃあ行ってくる」
「ああ。今日の失敗はきっちり挽回するんだぞ」
「はは、同罪のくせに」
 軽口と、その返事。しかしこちら側数名の間で「え?」という空気が。もちろん僕もその数名の中の一人だ。
「旦那サン、来るのか? それってつまり、今日からもうずっとって事か? いやそもそも、ヤモリがこっちにじゃなくて、旦那サンがうちになのか?」
 歯に衣着せる前に言葉が出てしまうのが特徴な大吾から質問が噴出。今回は衣どころか質問文の推敲すら上手くいかなかったようで、やや言葉足らずな装いに。
「旦那さんがうちに、なんだよだいちゃん。正式な夫婦になるにはまだやる事があるけど、今回は気分だけでもってとこかな? ま、詳しくは車の中ででも」
 早めに切り上げようという高次さんの意見を受けてか、この場での説明を避ける家守さん。しかしその顔はこれまでにあまり見た事がないような、と言って一度も見た事がないかと言われたら自信を持って頷く事はできないけど、照れが混じったような笑顔なのでした。もとの顔が整っているのでそんな表情も見栄えがあるのですが、どこか悔しいのはいったい何なんでしょうか。
 ともかく、それぞれがそれぞれに手短なお別れを告げ、僕達はついに四方院家を後に。


 美味しい食事にふかふかの布団、四方院家の皆さんとの出会いに女性の艶やかな浴衣姿、それに二つの浴場それぞれでの出来事や、男同士でだったり恋人同士でだったりした部屋割りによる出来事等々。特には、栞さんの傷跡の一件。
 走り出した車の後ろからずっと手を――と言うか腕全体をぶんぶんと振っている義春くんを振り返りながら、今回の宿泊で起こった事を思い返す。
「来て良かったなあ」
「帰り際になって言うかそれ」
 ついつい声に出して呟いてしまうと、後ろから即座に返事が。空気を呼んでくれないそんな返事が誰のものであるかは、
「わたしも日向と同意見だぞ、怒橋」
 です。まあ、具体的に名前が出なかったとしても分かり安過ぎますが。……それにしても成美さん、随分と上機嫌に言いますね。
「んな事くれえ、言われなくたって分かってるっつの。誰だってそう思うだろあんないいとこに泊まったら。しかも色々あったし」
「そうだよね、栞だって来て良かったって思うし」
 というふうに後部座席が盛り上がっていると、助手席から声。僕のいる真後ろの席からでも、その声の主の触覚みたいな髪の毛はしっかりと窺える。
「おやおや、そうかそうか色々あったのか若者達よ。しおりんとこーいっちゃんの喧嘩くらいしか知らないよおばさんは」
 続いて、運転席から苦笑が漏れ聞こえてくる。
 いつもなら助手席には僕が座っているのに今回はどうした事なのかと言うと、家守さんの車には高次さんだけが同乗していて、それ以外のメンバーは全員、孝治さん運転のワゴン車……いや、正確にはミニバンだよってさっき言われたんだった。に、乗せてもらっているのです。言い出したのは椛さんですが、久しぶりの再会なので少しは二人きりの時間を取ってあげようという事なのでしょう。車の発進直後には「信号待ちの度にキスしちゃったりしてねー」とか仰ってましたけど、家守さんって高次さん相手にはそういうキャラなんでしょうか?
 まあしかし現在の話題は僕達についてなのです。そんなわけで、二列目シートに座る僕の隣から「んっふっふ」といつものあの笑い声が。
「まあ何もないほうが不純な気もしますしね。なんたってどちらも公認のカップルなんですから」
 そういうものなんでしょうか、と疑問が浮かんだ傍から今度は、
「カップルって事は大吾と哀沢さん、孝一くんと喜坂さんの組み合わせだよね。何があったの? 大好きだよって言い合ったとか? 言わなくても分かってるのに言いたくなるよね、こういう事って」
 それはそうだけど、そんなに単純でもなかったんだよサンデー。と言って複雑だからいいってわけでも――いや、どうなんだろう。取り敢えずは複雑だったことに不満があるわけでもなし、自分的にはこっちのほうがいいのかな? どうだろう。
「あ、怒橋さんがそっぽ向きましたよ」
「実況いらねえ!」
 三列目シートには成美さんを真ん中に大吾と栞さんが座っていて、大吾の膝の上にはサンデー、成美さんの膝の上にはナタリーさんが腰を落ち着けています。そして体の大きなジョンは比較的スペースのある二列目シート前で大人しく伏せって……まあ、いつも通りいっぱいいっぱいって事なんですよねつまりは。
「図星ですか?」
「そうだよ悪いか! ……あ、大は付けてねえぞ!? そんなみっともねえ、」
「むっ。大って付けたらみっともないの? それは暴言だよ大吾くん」
 ナタリーさんの冷静な分析に逆切れを起こした大吾でしたが、自分でそう言った通りにむっとした栞さんの声に沈黙。
「ね、孝一くん?」
「え、ええ」
 だって、僕も栞さんも言っちゃいましたしね。はっきりと大を付けて。そのうえ何度も。……しかし栞さん、実際に言ったという事がモロバレになってしまうのでそれ以上は勘弁してください。今の時点でもう察せられてもおかしくないですけど。
「ところで椛さん、これから家守さんと高次さんがどうなるのか、聞かせてもらってもいいですか?」
「しっしっし、さては体よく誤魔化しにきたねこーいっちゃん?」
 その通りでございます。もちろん、本当に気になってる面もあるんですけど。
 詳しくは車の中で、と家守さんは言っていたけど、現在はこの状況。同じ車に乗ってないんじゃあ話が聞けるはずもない。しかし「じゃあ椛に訊いてくれたらいいよ」との事だったので、椛さんも今後の事情を把握しているんだろう。
「えーとだね、あっちの家を出た時にも言ってたけど、姉貴があの家に嫁ぐんじゃなくて高次さんが家守の家へ入る事になるんだよ。婿養子ってやつだね。――と言っても別に実家で暮らすわけじゃなくて、これまで通りあのアパート暮らしなんだけどさ」
 という事はつまり四方院楓さんではなく、家守高次さんという事か。――しかしそんな名前がどうこうの話より(当人からしてみればそれだって重大な話だろうけど)、家守さんのアパート暮らしが続くという点にほっとする。
 一方で大吾は別の点が気に掛かったらしく、「なんか、いきなり過ぎて実感湧かねえです。ヤモリが結婚とか同棲とか」とうろたえるような声色。
「ああ、今回のはまだ同棲スタートって話じゃなくて、形としては高次さんがそっちにお泊りに行くってだけの話ね。何日泊まる事になるのかは知らないけど。って言うか、具体的に決めてないんだろうけど」
「あ、そうなんですか」
 ふっと緊張の解けたような返事をして、しかし大吾、今度は何かを思い悩むように険しい顔をし始めた。となれば、隣の方が反応しないはずもない。
「どうした怒橋、眉間に皺なんぞ寄せて」
「ちょっと考え事。でも気にすんな」
「ふむ。気にするなと言われればそれは無理だが、声は掛けないでおこう」
 あらあら、お優しい。
「ねえ孝治ぃ、若者達が見せ付けてくるよぉ。あのなるみんがだいごんに優しくするのを隠そうともしないよぉ。むしろ自分からひけらかしてるよぉ」
「そんな事、今言われても……」
 つまり自分にも優しくしてくれ、と誘いを掛けているのでしょうか。しかし孝治さんは現在において運転中であり、それこそ今言われてもって話です。手が空いていたらどうする予定なのかは存じませんが。
「哀沢さん、前よりもっと大吾と仲好くなった? だとしたら嬉しいな。ボク、大吾も哀沢さんも大好きだし」
「やっぱり恋愛はこうですよね。人間の複雑で遠回しな愛情表現は、私にはよく分からないです」
 そしてジョンは床に伏せったままで尻尾をふりふり。
 ナタリーさんはともかくとして、ジョンとサンデーは随分と前からこの二人の関係を知っている。そしてしょっちゅう小さな諍いを発生させていたその付き合い方も知っているけど、今みたいなストレートな仲の好さのほうが見ていて喜ばしいらしい。
「ふっふっふ、わたしだって好きでツンケンしていたわけではないのだぞ。時期が来ればこうして真っ直ぐにだな」
「まあ、だからって今までみたいなのが一切なくなるとは思えねえけどな」
「……こういう時くらいは同意しておくかせめて黙っておけこの馬鹿者!」
 あの、成美さん。言った傍からってやつですよそれ。
 車内のあちこちから大小様々な笑い声が響き、成美さんが赤くなった頬をぶすっと膨らませ、そしてそれらが収まった頃。
「よければ、もう少しお伺いしてもいいでしょうか?」
 清さんが言う。その視線からして、尋ねた相手は椛さんのようだった。
「何ですか?」
「婿養子、というのは実際の養子縁組も含めた話なのでしょうか。高次さんが家守姓を名乗るというだけではなく」
「んーと、そうなりますね」
 清さんの質問は一つ。そして椛さんはそれを肯定。それだけの遣り取りだったけど、僕の頭はその情報を上手く処理できなかった。それってつまり、どういう事なんでしょう?
「何言ってるんだか全然分かんないよー。眠くなっちゃうよボク」
「私も全く……あの、もしよければどなたか説明を……」
「ワウゥ」
 動物さんがたのそんな反応を見る限り、やっぱり人間って面倒臭いなあ、なんて。なんせ人間である僕ですら話についていけてなかったりするもんで。
 こういう難しい話の時に頼りになると言えば、やっぱり清さんだ。いつもの笑い声を口の中に籠らせると、誰が指名したわけでもないのにするりと説明に入ってくれた。
「まず、人間が結婚すると、一方の苗字をもう一方も名乗る事になります。私の妻も私と同じ『楽』という苗字を持っているのは、そういう事ですね」
「うむ、楽明美だな。それに月見椛だってそうだし」
 確認するように付け加えたのは成美さんだった。今でこそ人間の姿だけど一年前までは猫だったんだし、立場はサンデー達と同じなんだろう。
「しかし私は、妻が夫の苗字を受け取るのだと思っていたぞ? 今の話だと高次が家守を名乗るそうだし、妻と夫が逆の場合もあるという事なのか?」
「ええ。と言っても、妻が夫の苗字を名乗るほうが圧倒的に多いですがね。家長は男性であるべきという風潮が……いえ、それはどうでもいい話なので横に置いておきましょうか」
 短いながらも喋りが止まらなくなった時のような語調になっていたので、車内に安堵の溜息が多数、吐き出された。自制を効かせてくれたものの、危ない危ない。


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